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2014年1月12(日) 第32回黙示録セミナー by  エレミヤ    前半
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32回黙示録セミナー   H26.1.12

 

 

 

「エステル記と艱難時代」

 

 

 

 

 

*エステル記を通して終末の日に関して学ぶ:

 

 

 

1.エステル記の主旨は艱難時代に関する学び:

 

 

 

エステル

 

 3:5 ハマンはモルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。

 

 

 

 3:6 ところが、ハマンはモルデカイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。彼らがモルデカイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を、根絶やしにしようとした。“

 

 

 

このエステルの日にハマンに膝をかがめないモルデカイ、及びモルデカイの民が虐殺されることが計画された。

 

 

 

同じく、終末の日にサタンにひざをかがめないキリストにつく民の虐殺が計画されている。それが、艱難時代と呼ばれる日々である。

 

 

 

何故終末の日に神の民は艱難に会うのか?

 

その素朴な疑問に関して、エステル記は、それはサタンの怒りの故である、

 

 

 

サタンを拝することをしない正しい神の民へのサタンの怒りが頂点に達する日であることを暗示する。

 

2.神ということばの含まれないエステル記:

 

 

 

エステル記の不思議な特色はこの書のどこにも「神」ということばが現れないことである。

 

 

 

神の書、聖書の一巻であるエステル記の中に何故神ということばが含まれないのか?

 

 

 

このことは、神の配慮、知恵であり、神はこの書に登場する他の人物により、表されていると理解できる。

 

 

 

具体的には、ペルシャの王、アハシュエロス王、その当時の世界の最大の権力者であるこの王が神の位置に置かれている、と理解できる。

 

 

 

この王に権力を付与され、自分の為に権力を乱用するハマンは、神に与えられた権力を乱用し、この世界を支配するサタンの型と理解できる。

 

 

 

そのハマンに膝をかがめないモルデカイは以下の記述の様に荒野の誘惑でサタンを拝さなかったキリストの型と理解できる。

 

 

 

 

 

マタイ

 

4:8 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々 とその栄華を見せて、

 

 

 

 4:9 言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」

 

 

 

 4:10 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」“

 

 

 

 

 

エステルは何を表すか?

 

女性であり、王の妃となるエステルはキリストに正しく従う教会の型と理解できる。

 

 

 

3.ハマンはモルデカイに勝つことはできない:

 

 

 

王から絶大な権力を付与されているハマンはしかし、たった一人の男、モルデカイに勝つことができなかった。

 

 

 

以下の通りである。

 

 

 

エステル

 

6:6 ハマンがはいって来たので、王は彼に言った。「王が栄誉を与えたいと思う 者には、どうしたらよかろう。」そのとき、ハマンは心のうちで思った。「王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。」

 

 

 

 6:7 そこでハマンは王に言った。「王が栄誉を与えたいと思われる人のためには、

 

 

 

 6:8 王が着ておられた王服を持って来させ、また、王の乗られた馬を、その頭に王冠をつけて引いて来させてください。

 

 

 

 6:9 その王服と馬を、貴族である王の首長のひとりの手に渡し、王が栄誉を与えたいと思われる人に王服を着させ、その人を馬に乗せて、町の広場に導かせ、その前で『王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。』と、ふれさせてください。」

 

 

 

 6:10 すると、王はハマンに言った。「あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところにすわっているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたの言ったことを一つもたがえてはならない。」

 

 

 

 6:11 それで、ハマンは王服と馬を取って来て、モルデカイに着せ、彼を馬に乗せて町の広場に導き、その前で「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。」と叫んだ。

 

 

 

 6:12 それからモルデカイは王の門に戻ったが、ハマンは嘆いて、頭をおおい、急いで家に帰った。

 

 

 

 6:13 そして、ハマンは自分の身に起こった一部始終を妻ゼレシュとすべての友人たちに話した。すると、彼の知恵のある者たちと、妻ゼレシュは彼に言った。「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」“

 

 

 

 

 

モルデカイを憎み、彼の滅亡を密かに計画したハマンは、あろうことか、皮肉にも、自分の手で自ら、モルデカイに王服を着せ、さらに自分の声で、モルデカイのために、宣伝し、「王がモルデカイに栄誉」を与えたことを伝えた。

 

 

 

なんとも皮肉な結末であるが、しかし、このことは、未来の日に起きることの予表である。

 

 

 

イエス・キリストを憎み、彼を亡き者としたいと画策したサタンであったが、彼の行った結末、得た結果は、このイエスを王であると宣言することに加担すること、また、神がイエスに王の位を与えることへの手助けを行うことであった。

 

 

 

 

 

 

 

4. モルデカイを木に架けようとするハマン:

 

 

 

ハマンは自分の憎むモルデカイを木に架けようとする。以下の通りである。

 

 

 

エステル

 

5:9 ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。

 

 

 

 5:10 しかし、ハマンはがまんして家に帰り、人をやって、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。

 

 

 

 5:11 ハマンは自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話した。

 

 

 

 5:12 そして、ハマンは言った。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。

 

 

 

 5:13 しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない。」

 

 

 

 5:14 すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。“

 

 

 

エステル

 

7:8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。

 

 

 

 7:9 そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」

 

 

 

 7:10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。“

 

 

 

このようにして、ハマンはニサンの月に木に架けられた。

 

この日を、計算するとまさにキリストが十字架に架けられたニサンの日に相当するように思える。

 

 

 

明らかにこのことは、十字架の予表である。このことの教訓は何か?

 

 

 

福音書ではキリストが十字架に架けられたのに、何故ここでは、サタンの型であるハマンが木に架けられたのか?この違いは?

 

 

 

聖書がここで語っているのはキリストの十字架の隠れた意味合いと理解できる。

 

キリストが十字架にかかったことがらは、人間的な目にはサタンの大勝利、キリストの働きの大敗北の様に見える。

 

しかし、それは、人の目に見える出来事に過ぎない。

 

 

 

神の目の前には、このキリストが木に架けられる日は、サタンの大敗北の日であり、また、サタンが木に架けられたと表現できる、と語られているように思える。

 

 

 

そのことを支持するように、聖書はキリストの死の一面を以下の様に悪魔を滅ぼすものと記載している。

 

 

 

 

 

ヘブル

 

2:14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、

 

 

 

 2:15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。“

 

 

 

 

 

5. プリムの日は定められている:

 

 

 

モルデカイを憎むハマンは彼とその民を滅ぼす日を定めた。以下の通りである。

 

 

 

 

 

エステル

 

3:5 ハマンはモルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。

 

 

 

 3:6 ところが、ハマンはモルデカイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。彼らがモルデカイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を、根絶やしにしようとした。

 

 3:7 アハシュエロス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられ、くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。

 

 

 

 3:8 ハマンはアハシュエロス王に言った。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の法令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。

 

 

 

 3:9 もしも王さま、よろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の金庫に納めさせましょう。」

 

 

 

 3:10 そこで、王は自分の手から指輪をはずして、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンに、それを渡した。

 

 

 

 3:11 そして、王はハマンに言った。「その銀はあなたに授けよう。また、その民族もあなたの好きなようにしなさい。」

 

 

 

 3:12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、ハマンが、王の太守や、各州を治めている総督や、各民族の首長たちに命じたことが全部、各州にはその文字で、各民族にはそのことばでしるされた。それは、アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。

 

 

 

 3:13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。

 

 

 

 3:14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

 

 

 

 3:15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。“

 

 

 

この日、ハマンが、モルデカイと彼の民を虐殺する日を定めたように、

 

終末には、キリストにつく民が虐殺される日が定められている。

 

 

 

その日は定められており、その期間も定められている。その日こそ、艱難時代であり、聖書は何度もその日に関して言及している。

 

 

 

マタイ

 

24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

 

 

 

 24:22 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。“

 

 

 

 

 

ダニエル

 

7:25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。”

 

 

 

 

 

ダニエル

 

8:24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。”

 

 

 

 上記エステル記に「そこで、第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、ハマンが、王の太守や、各州を治めている総督や、各民族の首長たちに命じたことが全部、各州にはその文字で、各民族にはそのことばでしるされた。

 

 

 

それは、アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。」と書かれているように、終末の日の正しい神の民の虐殺の日は定められており、その日は、決定されている。

 

 

 

エステル記の記す虐殺の日は、「それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。」と書かれているように、一年の終わりの月、アダルの月であった。

 

同じように、そのキリストにつく民を虐殺する計画は終末の日に行われるようになっている。

 

 

 

さらに「書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。」と書かれている。当時の世界帝国、メデイアペルシャの国中にこの知らせは送られた。

 

 

 

同じように、終末の日、世界を支配するアメリカ支配の全世界の国々に、この正しいクリスチャンが殺害される日は、知らされるようになると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6. ハマンの計画をひっくりかえしたエステルの祈り:

 

 

 

この様にハマンによって計画された悪辣な計画は、エステルの働きによりひっくり返された。以下のことばの通りである。

 

 

 

エステル

 

4:11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」

 

 

 

 4:12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、

 

 

 

 4:13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。

 

 

 

 4:14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

 

 

 

 4:15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。

 

 

 

 4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」“

 

 

 

 

 

王宮の内庭に入り、王に直訴したエステルは、神の至聖所に入り、昼夜祈りを告げる聖徒の型である。

 

 

 

そして、エステルの王への直訴が状況を一変させたように、終末の日には、聖徒の祈りが、艱難時代の状況をひっくり返すようになる。

 

 

 

 

 

主もこのように言われている。

 

 

 

ルカ

 

18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。

 

 

 

 18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。

 

 

 

 18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。

 

 

 

 18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、

 

 

 

 18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」

 

 

 

 18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。

 

 

 

 18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

 

 

 

 18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」“

 

 

 

この不正な裁判官のたとえは、「人の子が来たとき」と書かれているように、主の再臨の日、艱難時代に関するたとえである。

 

 

 

そして、神は、「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。」として、

 

 

 

聖徒の祈りに答えて、サタンの働きに対して裁きを行われることを約束しておられる。

 

 

 

このような聖徒こそ、エステルに表される祈りの聖徒である。

 

 

 

 

 

 

 

7. エステルに関する学び:

 

 

 

エステルは、前の妃、ワシュテイに変わって妃となる。

 

 

 

エステル

 

2:1 この出来事の後、アハシュエロス王の憤りがおさまると、王は、ワシュティのこと、彼女のしたこと、また、彼女に対して決められたことを思い出した。

 

 

 

 2:2 そのとき、王に仕える若い者たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを捜しましょう。

 

 

 

 2:3 王は、王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、シュシャンの城の婦人部屋に集めさせ、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧に必要な品々を彼女たちに与えるようにしてください。

 

 

 

 2:4 そして、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃としてください。」このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。“

 

 

 

このとき、不従順な前の妃ワシュテイの代わりに、新しい妃エステルが選ばれた。

 

 

 

このことは何を表すのか?

 

 

 

聖書は、同じように、不従順な御使いと人との立場が逆転する日が来ることを語る。

 

 

 

以下のことばの通りである。

 

 

 

ヘブル

 

2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。

 

 

 

 2:6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。

 

 

 

 2:7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、

 

 

 

 2:8 万物をその足の下に従わせられました。」“

 

 

 

この箇所には後の世において、御使いと人との立場が逆転することが書かれている。

 

 

 

 

 

 

 

8. その定められた虐殺の日は、逆転する:

 

 

 

艱難時代になった後、反キリスト支配の全世界の教会で、正しいクリスチャンが集められ、虐殺される日が定められる。

 

 

 

その日は、しかし、最後には逆転する。以下の様に書かれているからである。

 

 

 

エステル

 

9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。”

 

 

 

そのプリムの日は逆転した。同じ様に獣の国アメリカの支配、反キリスト支配の下で、あわやと思ったその日、虐殺の日は、逆転する。

 

それは、キリストの再臨により行われる。

 

 

 

2テサロニケ

 

2:8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。”

 

 

 

 

 

2テサロニケ

 

 1:10 その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。”

 

 

 

 

 

 

 

9輝かしいモルデカイの登場:

 

 

 

エステル

 

 8:15 モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた。

 

 

 

 8:16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。“

 

 

 

この逆転の日に王服のモルデカイが登場した様に、終末の再臨の日には、逆転が行われ、主は王の装いで登場する。

 

 

 

 

 

 

 

10. 艱難時代の期間は定められている:

 

 

 

以下の通り、艱難時代の初めの日、基点の日は定められている。

 

 

 

ダニエル

 

12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。

 

 

 

 12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。“

 

 

 

常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる日が

 

3年半の艱難時代開始の基点であることがわかる。

 

 

 

 

 

その荒らす忌むべきものとは何か?主もこういわれている。

 

 

 

マタイ

 

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)“

 

 

 

荒らす忌むべきもの、憎むべきものとは何か?

 

 

 

荒らす忌むべきもの、それは、我々の理解では、反キリスト個人のことである。

 

 

 

 

 

その反キリスト、すなわち不法の人(罪の人)が聖なる所に立つ日は以下の様に記載されている。

 

 

 

2テサロニケ

 

2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

 

 

 2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

 

 

 

 2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。

 

 

 

 2:6 あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。

 

 

 

 2:7 不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。

 

 

 

 2:8 その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。

 

 

 

 2:9 不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い“

 

 

 

 

 

また、この不法の人は黙示録13章では、獣の像として記載されている。

 

 

 

 

 

黙示録

 

 13:14 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。

 

 

 

 13:15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。“

 

 

 

すなわち、艱難時代の基点とは、この反キリスト、不法の人が、キリスト教会のトップとして、

 

また、キリストの代わりに崇拝の対象として現れ、認められ、崇拝される、その日が基点であることがわかる。

 

 

 

 

 

その日を基点に3年半の間、艱難時代が続くことになる。

 

11. 艱難時代の終わりに何があるか?:

 

 

 

その3年半の艱難時代のまさに終わる日に、キリストの介入、具体的には再臨がある。

 

 

 

以下の様に記載されている。

 

 

 

黙示録

 

 3:10 あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

 

 

 

 3:11 わたしは、すぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。“

 

 

 

艱難時代の終わりにキリストの再臨があるのである。

 

 

 

12. 悪魔が経巡り歩く:

 

 

 

1ペテロ

 

5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。”

 

 

 

3年半の艱難時代には多くのクリスチャンが震われることはよく知らなければならない。

 

であるがゆえに以下の様に最後の日まで、しのんで待つものは幸いであると書かれている。

 

ダニエル

 

 12:11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。

 

 

 

 12:12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。

 

―以上―