第5回黙示録セミナー テキスト H21年7月19(日)
(1)<この曲がった時代から救われる>
テキスト: 使徒2:36-42
”36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。
41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。”
<ポイント>
1. イエスの時代の人々に対して、ペテロは、「この曲がった時代」から救われることを
語った。
すなわち、このイエスの時代は曲がった時代であり、もし、人がその時代に合わせて生き、
その時代に合わせて教理を持ち、その時代に合わせて信仰を持つなら、いずれは
滅んでしまうことを示唆する。
2. それは氷山にぶつかり、難破した巨船タイタニック号に乗っている人々は、
みな、この船と運命をともにし、いずれ、滅んでしまうようなものか。
3. 氷山の海に沈むタイタニックから逃れ、救われた人は例外的である。
彼等は命を失わなかった。同じように、
ペテロのことばを受け入れ、この時代から、救われた人々も例外的な人々であり、
彼等はその曲がった時代、世代が受けるべき裁きから、例外的に救われた。
4. 事実、エルサレムはキリストの十字架の死後、西暦70年における
ローマによる攻撃で破壊され、その都にいる人は最後の一人まで、殺された。
この「曲がった時代」は、神の恐るべき裁きに直面したのである。
5 このイエスの時代の人々の「来るべきキリストの来臨」に関する聖書理解、信仰の歩みはどういうものかというと、以下のようなものか;
1)メシヤ、キリストは、王家の子として来る:
従って大工の子であるナザレのイエスはキリストではない。
2)キリストはベツレヘムで生まれるはずである:
従って、ナザレ出身のイエスはキリストではない。
6. これらの聖書理解、キリスト来臨教理はみごとに間違えており。
この時代の曲がった歩みをしている人々はことごとく、
自分は聖書に従っている、神に従っていると思いつつ、
その実、みごとに滅びに入ってしまった。
7. その滅びに至った、聖書の専門家はの筆頭は「偽善なる律法学者、
パリサイ人」すなわち、白く塗られた墓のように、
外側はきれいでも、内側はどん欲と罪に満ちている人々である。
8. 実はこのような偽善者達を、神がみことばのわなをもって捕らえる事は、
旧約聖書に預言されている。以下の通りである。
”イザヤ29:13 そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」”
ここには、口先だけの偽善者の知恵が滅び、役に立たないことが
預言されている。
ベツレヘムから来るキリストという固定観念に
捕らえられ、ナザレのイエスを十字架で殺した
偽善なる律法学者、パリサイ人はまさにこの預言の成就である。
9. 以下のことばも同じ事を語る。
”イザヤ44:25 わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。”
自分達の聖書知識を誇り、他の人々を安息日を破った、律法を破ったと非難し、
罪に定めていた、偽善なる、律法学者、パリサイ人の知恵、知識は役に立たず、
その日、真に来臨したキリストを認める事ができず、理解する事ができなかった。
キリスト来臨の預言を用いて、偽善者の鼻をあかし、彼等を罪に定めるとは、
実はかねてから、預言されていた神の方法なのである。
10.かつて、イエスキリストの初臨の時に起きた事は、キリストの来臨の時に、
再現すると理解できる。
すなわち、キリストの再臨の時も
全ての人が篩にかけられ、「この曲がった時」から救われない人は、裁きに、
滅びに至る可能性が強い。
11. またかつてキリストの初降臨の預言がわなとなり、
多くの偽善者を倒すもととなったように、
キリスト再臨の預言も同じように用いられる可能性が高い。
かつての日、キリスト初臨の時に神の民が持っていた、
キリスト来臨に関する「常識、一般的な理解」が
ナザレのイエスを受け入れるさまたげとなったように、
終末の時代においても、キリスト再臨に関する常識、
広く受け入れられている教理がわなとなり、さまたげと
なる可能性が高い。
12. すなわち、今の神の民に広く受け入れられている
下記の再臨教理は、みなわなとなる可能性が高い;
1)ヨーロッッパが獣の国となる、ローマが獣の国である。
→実際はアメリカが獣の国であり、アメリカによる、世界覇権、
またキリスト教中心教理破壊は着々と進んでいる。
2)艱難時代の前に教会は挙げられ艱難に会わないという、2段階携挙説(艱難前、艱難中携挙説)
→この説はまったく聖書に根拠のない、逆にキリストのいわれた「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は、
救われます」とのことばと矛盾する、非聖書的な教理。
3)終末の時代においても神の民、クリスチャンが裁きにあうことはないとの
教理 →これも聖書を無視した、誤った教理。
実際には聖書は、終末には2種類の神の民、再臨のキリストに受け入れられる神の民と
13. 終末の神の民の誤解、まちがえは、
自分達は何か特別なもの、神の特別な恵みにあっているので、決して裁きにも災いにも会わないと、
誤解していること。
”イザヤ47:0 あなたは自分の悪に拠り頼み、『私を見る者はない。』と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、穴たは心の中で言う。『私だけは特別だ。』
11 しかしわざわいがあなたを見舞う。それを払いのけるまじないをあなたは知らない。災難があなたを襲うが、あなたはそれを避けることはできない。破滅はあなたの知らないうちに、突然あなたにやって来る”
しかし、明らかに終末に関する神のみことばは、不義である神の民に災いが来ることを
語る。
ただしく目覚め、行いをただすことが大事である。
冒頭のペンテコステのテキストの中で、「この曲がった時代から救われよ」とのペテロの
ことばを受け入れた人々のことが書いてあるが、今の時代においても
同じく、正しく警告のことばを受け入れる人とそうでない人はわかれる。
”使徒2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。”
(2)<キリストの再臨に関して>
2. 以下の箇所は明確にこのことを語る。
”ヨハネの黙示録 1:7 見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。”
彼、キリストを刺し通した者たちは、キリストの敵であり、
そのような人々にとり、キリストの再臨は祝福ではなく、裁きの時となる。
なお、刺すは剣と関係したことばであり、「御霊の剣、すなわち神のことば」と関係がある。
主旨はことばは神といわれた方のことばに反対し、突き刺すような人々、みことばを投げ捨て、
冒涜教理に肩入れする人にとり、キリストの再臨は災いになると語っていると理解できる。
3.以下の箇所もキリストの再臨が、祝福というより、神の子を冒涜する人々への
裁きの日となることを暗示する。
”マタイ26:62 そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
65 すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。”
上記箇所で、キリストの来臨が、主イエスを非難し、十字架につける人々へ、
語られている事がわかる。
キリストの来臨の日が、この大祭司の様に偽善のゆえに神の子を非難し、
死に定める人への裁きの日となることが暗示される。
4. 以下の箇所では、目をさまさず、罪に陥っているサルデスにとって、
キリストの来臨の時が決してわからないことが描かれている。
”黙示録3:3
だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。”
サルデスはプロテスタントの予表であるとよくいわれる。
もしそうなら、艱難前携挙説などの誤り教理を妄信するプロテスタントが、そのキリストの来臨を正しく理解できず、裁かれることを暗示していると理解できる。
ー以上ー
レムナントキリスト教会
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