聖書箇所 マタイの福音書13:17
13:17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。
「悟りを得るために」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。
上記みことばは、イエスさまが弟子たちに言われたことばです。「あなたがた」とは、イエスさまの弟子たちのことを言われています。ここでイエスさまは、ご自分の弟子たちが見ているものを見られなかった多くの預言者や義人たちのことについて話されています。
ところでふしぎに思いませんか?預言者なら、あるいは義人なら、イエスさまの弟子たちの見ているもの、すなわち真理を見てもおかしくありませんよね?しかし、イエスさまはハッキリと「見られず、聞けなかった」と言われているのです。イエスさまはご自分の弟子だけではなく、群衆や預言者や義人と言われる人たちに対しても同じようにメッセージを語ったのですが、しかしイエスさまの弟子以外の人たちは真理を悟ることができなかったのです。なぜでしょうか?ちなみに多くの預言者とか義人とは、恐らくパリサイ人や律法学者のことを言われていると思います。今回はなぜ、彼らが見ることができなかったのか?もしくは聞くことができなかったのか?についてみていきたいと思います。
イエスさまはこのことばを発する前に、種蒔きのたとえについて話をされていました。そこからヒントを得ていきたいと思います。以下のみことばを見てみましょう。
参照 マタイの福音書13:3‐8
13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
上記ことばを、イエスさまは語られました。そして以下、それに関しての解説もされていますので、見てみましょう。
参照 マタイの福音書13:19‐23
13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
順に見ていきましょう。
13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
「御国のことば」とは、聖書のことばのこともそうですが、永遠の命に至るメッセージのことをも言われていると思います。そしてもし、悟らない場合に、悪い者(サタン)によって、それらのものを持ち去られてしまう、ということを言われています。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
みことばを聞いて、すぐに喜んで受け入れることはとても良いことなのですが、しかし、そのことが心に根付いていないというときに、困難とか迫害が起きた場合につまずいてしまう、ということを言われています。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
みことばを聞いてはいるけれども、しかしみことばよりも、要は永遠の命のことよりも、この世のこととか富のほうが上回っているために、実を結ばせるところまで行かない、ということを言われています。
残念ながら上記三つのことは、奨励されておりません。そしてそれらの共通点は、いずれもみことばを土台とする歩みをしていないために悟りがない、ということです。ちなみに「岩地」とか「いばら」はクリスチャンのことを指すたとえではないかと思います。ですから、これらの箇所において・・・みことばやメッセージを聞いても、しかし実践しないクリスチャンのことを言われているのです。このことにはポイントがありません。ヤコブの手紙の中で、「信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです」とか「行ないのない信仰は、死んでいるのです」と言われている通りで、いくらみことばを学んだり、メッセージを聞いたりして知識を得ても、しかしそのことを実践しないのなら、神さまに喜んでいただくことができません。さいごの節を見ます。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
「地」もクリスチャンのたとえだと思われます。つまり良いクリスチャンとは、みことばを聞いて悟りを得て、100倍、60倍、30倍という風に実を結ばせる人、簡単に言えば、実践する人のことを言われています。そして悟りを得ることと、みことばを実践することとは深いつながりがあるように思えます。本当に悟った場合に、それが実践へと結び付いていくのだと思います。悟り=みことばの実践、という公式になっているようです。そしてイエスさまの弟子が見るべきものを見て、聞くべきものを聞くことができた、というのは、それはみことばを単に聞くだけではなく、実践をしたからだと、言えると思います。
このことから私たちは学びを受けることができます。多くのクリスチャンはみことばに触れ、そしてメッセージや教えを受けます。しかしそれはそれでひとつのことであって、真に見るか、聞くか、悟るか?は、別である、ということです。それらに関しての区分をイエスさまはたとえを用いて語られたわけですが、見るか見ないか?聞くか聞かないか?悟るか悟らないか?は、要は、みことばを実践するか?しないか?というじつに単純なことなのであります。同じみことばを読み、同じようにメッセージを聞いたとしても、しかしそこには悟る人とそうでない人との区分があります。弟子たちはみことばを行っていたので、見て、聞いて、悟ることができました。しかし一方、パリサイ人や律法学者は、みことばを行わなかったので、イエスさまが語るみことばやメッセージを悟ることができませんでした。彼らに関して他の箇所でイエスさまは、「彼らは言うことは言うが、実行しないからです」とも言っています。みことばやメッセージが難しかったからではなく、あるいはイエスさまの話し方に問題があったわけではなく・・・みことばはじつに純粋で、メッセージも正しかったのですが、しかし「行いが無い」というときに、残念ながら、真に悟ることができないのでは?と思います。
そして悟りの無い彼らのしたことと言えば、イエスさまを散々なじったり、迫害したり、異端呼ばわりをしたりして、さいごは十字架に付けて殺してしまったのです。よくよく考えると、これって恐ろしいことですよね?それゆえ、のちに彼らはひとり残らずさばかれてしまったのですから。しかも、イエスさまは彼らのことを「ゲヘナの子」とも言っていました。つまり聖書の専門家でありながらも、しかし彼らは永遠の命を得られなかったパターンなのであります。
ですからここでの結論を言ってしまうと・・・パリサイ人や律法学者のように、みことばを聞いても実践しないというときに、彼らと同じ轍を踏んでしまう可能性がある、ということなのです。日々聖書を読み、永遠の命に至るメッセージを聞くことは尊いことではありますが、しかし、そうではあっても、霊的に見ること、聞くこと、悟ることに至らない、というときに、永遠の命が保障されない可能性がありますので、気を付けていきたいと思います。しかし一方、十二弟子(イスカリオテのユダは除く)のように、みことばを実践する歩みをさいごまで全うしていくのなら、天の御国に入れますので、ぜひ、このことをおすすめいたします。よろしければこのようなこともご理解いただけると幸いです。
証
少し前に、礼拝のメッセージの中で「御霊の実」を結ぶ人が天の御国に入れる、ということについて学びをしましたが、今回の箇所がまさに同じことを言われているのでは?と思います。かつては礼拝に出席していれば、奉仕をしていれば、あるいは聖書を読んで祈っていればそれでOK!と思っていました。もちろんそのことも大事なことではありますが、しかし、「御霊の実」を結ぶことにポイントがあることを知りましたので、そして今回の参照箇所で「実を結び」ともありますので、そのことを熱心に求めていきたいと思いました。いつも大切なポイントを語ってくださる神さまに栄光と誉れがありますように。
レムナントキリスト教会
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