聖書箇所 ヨハネの黙示録4:1

 

 

 

4:1 その後、私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また、先にラッパのような声で私に呼びかけるのが聞こえたあの初めの声が言った。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう。

 

 

 

「天的な教会で封印が開かれる」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

 

 

突然ですが、教会に関して皆さまはどのように思われているでしょうか?私個人としては随分長い間、教会というのは一色だと思っていました。どこもそれほど大差はないと・・・せいぜいカトリックとプロテスタントの区分くらいかな?と思っていました。でも、レムナントキリスト教会の礼拝のメッセージやおすすめを通して学んでいく中で、それだけではないということを理解するようになりました。そう、冒頭のみことばに「天」ということばが使われていますが、これは神さまがおられる「天の御国」以外に、「教会」のことも指します。また、他の箇所において「天地」ということばが使われています。これもまた、「教会」のことを指します。ですから「天地」とは、「天的な教会」と「地的な教会」のことを言います。人前はともかく神さまの前に、「教会」は二分するのです。もちろんカトリックとプロテスタントというのもそれに含まれるかも知れませんが、神さまの前の区分は、「天的」いわば神さまのことばについている教会と、一方「地的」、こちらは地に着く教会、少し嫌な言い方に聞こえるかも知れませんがズバリ言うと、神さまのことばにはついていない世的な教会とに分けられます。

 

 

 

さて、どちらかの教会に御心があるか?は、私などがあえて言わなくてもお分かりかと思いますが、もちろん神さまの前に「天的な教会」にポイントがあります。そして本日のみことば「天に一つの開いた門があった」とありますように、天的な教会、いわば神さまの御心の教会に関しては門が開かれているということが理解できます。ちなみに「門」ということばで思い出すみことばがあります。それは私たちの死後の行き先を確定するみことばで、「命に至る狭い門」「滅びに至る大きい門」です。なので、もしかすると天的な教会は、「命に至る門」についてのメッセージや解き明かしをするのかもしれません。また、上記みことばに関連して、参考までに新改訳聖書の注釈にあるみことばを見てみたいと思います。

 

 

 

参照 エゼキエル書1:1,ヨハネの黙示録19:11

 

1:1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。

 

19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

 

 

 

まず、エゼキエル書から見てみます。

 

 

 

1:1 第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで、捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。

 

 

 

これは預言者エゼキエルが見た幻です。「天が開け」とあり、ここでも「天」が開かれるということについて書かれています。「神々しい幻を見た」とあるように、神さまからの幻を見ることと、天が開かれることは密接な関係があることが分かります。

 

 

 

次を見ます。

 

 

 

19:11 また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

 

 

 

これは12使徒ヨハネが見たものです。ヨハネも天が開かれたのを見ています。そして「白い馬」と書かれています。「白」は「義」をあらわします。また、「馬」は「勇士」とか「教会」を指します。そのあとには「それに乗った方~戦いをされる」とあって、これはイエス・キリストのことを指します。

 

 

 

これらの箇所で言おうとしていることはこういうことです。天、すなわち天的な教会において、神さまはこれから起ころうとすること、いわば未来のことに関して啓示をされるのです。神さまの御心を聞いて行っている、もしくは行おうと心がけている教会に関して、御自身の啓示を示そうとされるのです。また、黙示録5章には、そのことに関連して封印の解き明かしについて書かれています。そしてそれはなんと、「ユダ族から出たしし」(レムナントでは、ユダ族は日本人だと理解しているのですが・・・)すなわち日本人、もっと言うなら、今の時代における神さまから勇士と見なされている日本人のクリスチャンが封印を解くと言っているのです。

 

 

 

それに関して、少し証をしたいと思います。手前味噌で恐縮ではありますが、レムナントキリスト教会ではすべてではないにしろ、教会において封印が徐々に開かれつつあります。たとえば黙示録には「十本の角」についての記述があります。かつてはこれをEUという風に理解していたこともあったのですが、獣の国がアメリカだということを理解するようになってからしばらくの間、時を経て・・・「十本の角」とは、アメリカがいずれ独裁国家になる際に世界が10の区域に分けられること、それからアメリカが10に区分けされてそれぞれの区域を支配するということについての示しを受けました。このことは現状では今ひとつピンと来ないかもしれませんが、恐らく艱難時代に入っていく中で、少しずつ「なるほどなぁ」と分かるのではないかと思われます。なのでレムナントではその時のための備えを今着々と行っております。

 

 

 

これはほんの一例ではありますが・・・何を言いたいのか?と言うと、レムナントが及ばずながら神さまの声を聞き、御声にその都度応答していく中で神さまが徐々にレムナントに必要な啓示を開いてくださったり、封印の解き明かしをしてくださるようになったのです。そしてどれもこれも非常に大事なものばかりなので、主の導きと方法を求めて、レムナントではそのことを伝えるようにしています。あんたの教会だけが特別なわけではない、神さまはひいきするお方ではないだろう?すべての教会に啓示が開かれるはず!と思われる方もいるかも知れません。でも、聖書にははっきりと、「天に一つの開いた門があった」とありますので、天的な教会、いわば神さまの言うことに従う教会に啓示をお示しになるのです。ですから、もし神さまから啓示を受けたい、あるいは封印を紐解きたいと思われているのでしたら、天的な教会の歩みをすれば良いのです。そのことに関して、神さまはまったくえこひいきはなさいませんので、信じて実践していくならその教会、あるいはクリスチャンの上に実現していきます。「ここに上れ。この後、必ず起こる事をあなたに示そう」のみことばがまさにそういうことを言われていると思います。「ここ」とは、「天」すなわち「天」に属する教会、いわばキリストに着く教会です。天的な教会で歩みをするなら・・・「この後、必ず起こる事をあなたに示そう」と言われているように、啓示を開いてくださるということを神さまが約束してくださるのです。もし、啓示や封印の解き明かしに興味をお持ちでしたら、ぜひこのことに目を留めて実践されていくことをおすすめします。そして本当に神さまが開いてくださったのなら、神さまに導きを求めて人々に伝えていきたいと思います。それを通して多くの人が益を受けたり、建て上げられたり、はたまた滅びから免れたりしていきますので、そのこともおすすめします。また、補足までに・・・預言者エゼキエルにしても、キリストの12弟子のヨハネにしても、いずれも主のしもべとなって歩んでいた人たちです。なので天的な教会の歩みにプラスして、しもべとしての歩みも志していきたいと思います。