聖書箇所 ルカ24:1-11
24:1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
24:2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
24:3 はいって見ると、主イエスのからだはなかった。
24:4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
24:5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
24:7 人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
24:8 女たちはイエスのみことばを思い出した。
24:9 そして、墓から戻って、十一弟子とそのほかの人たち全部に、一部始終を報告した。
24:10 この女たちは、マグダラのマリヤとヨハンナとヤコブの母マリヤとであった。彼女たちといっしょにいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
24:11 ところが使徒たちにはこの話はたわごとと思われたので、彼らは女たちを信用しなかった。
24:12 〔しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。それで、この出来事に驚いて家に帰った。〕
上記の御言葉を通して神様が私たちクリスチャンに望んでいる信仰の歩みについて見ていきたいと思います。
まず、このメッセージを読まれているあなたに一言お尋ねします。
もし、あなたがクリスチャンでしたら、聖書を読んだことはありますよね。
旧約、新約合わせて66巻から成り立っている聖書ですが、あなたは聖書の言葉をすべて信じていますでしょうか。
ちなみに、私は、すべて信じています。
何度か通読しているのですが、回数を重ねるたびに、御言葉が真実であることにますます確信を得ています。
そして、これからも更にそのようになっていくのではないかと思っています。
ここでは、女の人たちがイエス様のからだに香料をかけようとして墓まで行きました。
しかし、石が墓のわきに転がしてあって、墓の中に入ってみましたが、イエス様のからだは見当たりませんでした。
良い例かどうか分かりませんが、もし、私たちが自分の家族を亡くした直後にお墓に行って、埋葬したはずの遺体や遺骨が入っていなかったとしたら驚きますよね。
4節に途方にくれていると書かれているように、この女の人たちも、動揺していたのだと思います。
でも、すぐに御使いが来られてイエス様はよみがえられたのだということをお話しになりました。
そしてそのことを11弟子やほかの人たちに話しました。
しかし、使徒たちはこのことを信じませんでした。
7節の御言葉は、イエス様御自身が十字架にかかられる前に、弟子たちに話をされていました。
彼らは、十字架につけられ、三日目によみがえることについて、イエス様から直接話を聞いていたのです。
でも、11節にあるように、この時、女の人たちがイエス様と同じことを言われたにも拘らず、信じようとしませんでした。
そして、25,26節に「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない心の鈍い人たち。キリストは必ずそのような苦しみを受けて、それから彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」と、復活されたイエス様に出会った二人の弟子たちは叱責を受けてしまいました。
このことは、決して他人事ではないように思います。
と、言うのは、建前はともかく、私たちクリスチャンの実際の歩みはどうなのかについて、今一度、吟味する機会としてこのようなことが書かれているように思うからです。
この箇所を通して、不信仰がもたらす結果について、考える必要があります。
不信仰というのは、神様の目から見てとても悲しいことだからです。
さきほどの、25,26節の御言葉でも理解できるように、御言葉で預言されていることを信じないことに対して、イエス様は嘆いておられます。
そして、不信仰だと、どうなってしまうのでしょうか。
15,16節には、このように書かれています。
「話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」と、あるのですが、イエス様が一緒におられるにもかかわらず、そのことに気づくことができませんでした。
聖書の言葉=イエス様と理解するならば、クリスチャンが御言葉を正しく理解出来ない、つまり、霊的に盲目になってしまうということを言われているのだと思います。
クリスチャンであれば、大体の人が聖書の御言葉に触れる機会はあります。
実際に聖書を持っている人であればいつでも読むことが出来ます。
普段あまり読まない人でも、礼拝に行けばメッセージを通して聖書の言葉を聞いたり学んだりします。
でも、見たり聞いたりしたことを実際に信じるかどうかは、それぞれ個々の人の選択になります。
御言葉というのは、ただ聞くだけで、信じて行っていかない人にとっては、絵に描いた餅のようなものだからです。
ヤコブ書にも、行いのない信仰は死んでいると書かれています。
その結果どうなってしまうのでしょうか。
聖書には、良い実を結ばない者は切り倒されると書かれているように、残念ながら天の御国を相続することは難しいように思います。
このことは、実際に言われていることなので、厳粛に受け止めていきたいと思います。
それでは、どのような歩みが神様から受け入れられるのでしょうか。
とても単純明快です。
ごくごく基本的なことですが、聖書の御言葉をすべて信じることです。
聖書の御言葉を信じる人に恵みがあります。
つまり、信じる人に神様の言葉が生きて働くものになります。
そして、その都度、神様の力を体験していきます。
少し証をさせていただきます。
さきほど、私はすべての御言葉を信じていると申し上げましたが、クリスチャンとしての歩みをスタートして、すぐにそうなったわけではありません。
一歩ずつ信仰のステップを踏んでいく過程で徐々にそのようになっていきました。
つい数年前まで、御言葉の奥義について、ほとんど理解していませんでした。
その時はそのことについて何の疑問も抱いていませんでした。
しかし、エレミヤの部屋のホームページのメッセージを通して聖書はたとえの書であること、たとえの理解をすることの必要性や、たとえは弟子たちに解き明かされることについて教えていただきました。
御言葉に基づいてメッセージされていたので、すぐに納得しました。
参照 エレミヤの部屋のメッセージNo.5,No.14
それから半年後、レムナントキリスト教会の礼拝に集うようになり、その一ヵ月後には弟子の歩みに入りました。
たとえは弟子に解き明かされる、このことを信じて歩みだしました。
そして、そのことは私にとって現実のものとなりました。
すべてのたとえを理解しているわけではありませんし、逆に、ほんの一部を理解するのがやっとの状態ではありますが、わずかずつでも、聖書に書かれているたとえについて理解できるようになりました。
たとえを理解していくことは、ヘブル書の御言葉にあるように堅い食物を食べることに通じるわけですが、神様の本来語ろうとしていることや御心について少しずつ分かるようになりました。
弟子の歩みをしながら、たとえの意味合いについて理解できるように信じて祈り求めていった結果、そのことを実際に体験することが出来ました。
御言葉に「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」とあるように、まだまだ知るべきことは山積みですが、これからも一つずつ神様にたずねていきたいと思います。
このことだけに限らず、どの御言葉も信じて実践していくときにその都度神様の栄光や御業を目の当たりにさせていただいています。
そのことを励みに、これからもますます聖書の言葉だけを信じて歩んでいかれたらと思います。
本日のポイントをまとめます。
信仰の歩みの基本は、どこまでも神様に望みをおくことです。
そのためには、聖書の御言葉を信じることです。
ことばは神であると言われているように、ある意味、聖書に書かれているすべての言葉を信じることが、イエス様を信じて受け入れることに通じます。
25節に、「預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」とイエス様が言われているように、すべてを信じることに御心があります。
素直に信じて実践していきたいと思います。
なぜならこの世において、聖書の御言葉だけが真実ですし、すべての御言葉は必ず成就するからです。
今、残念なことに多くのクリスチャンが背教の道を進んでいます。
その理由は、御言葉を捨て去っているからです。
聞くには聞くが悟らず、見るには見るが理解しないということについて聖書に書かれていますが、聞いても実践しなかったり、聖書を正しく読んでいない、あるいは聖書は礼拝の時以外はほとんど読まないために主の道ではない違う方向を歩むことになってしまい、その結果、死後、天の御国ではない別のところ(火の池)に連れていかれてしまいます。
クリスチャンになって洗礼を受けたし礼拝や祈祷会に出席しているから天の御国は大丈夫と思っているクリスチャンも多いと思いますが、天の御国はどのような人が入れるのかについて、聖書の言葉は何と言っているのか、御自分の目で確認されることをおすすめします。
すべての御言葉を信じてきちんと読んでいく時に、真理についてすべてのことを理解できるようになります。
ぜひ、真理である御言葉を土台とした歩みをして、クリスチャンの入るべきところ(天の御国)を目指していきたいと思います。
レムナントキリスト教会
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