聖書箇所 ルカ9:23-25
9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
9:24 自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。
9:25 人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。
上記御言葉は、大半のクリスチャンが御存知だと思います。
私は、洗礼を受けてから、この御言葉について、度々考えていました。
御言葉の奥義に関して、学んだり、深く考えたりはしませんでしたが、少なくとも、23,24節の御言葉が、「永遠の命」を獲得する条件であることは、ぼんやりと理解していました。
本日は「永遠の命」というテーマで、御言葉を学んでいきたいと思います。
クリスチャンであれば、大半の人は、「永遠の命」という言葉を御存知だと思います。
しかし、この言葉を正しく認識しているクリスチャンは、どれくらいいるでしょうか。
過去、私も、はっきりとは理解していない一人でした。
ところで、今は、終末です。
すべてのクリスチャンが平穏に迎えられるかどうかは別として、イエス様の再臨の時を待っている状態です。
また、終末は「ノアの洪水の時」とか「ロトの時代」とも言われています。
参照 ルカ17:26-30
17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
17:27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
17:30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。
今の終末と同様、ノアの時代やロトの時代も、神の民であるクリスチャンはとても堕落していました。
ノアの時代のことを例に挙げると、洪水が起こることは、前もって神様が語っていました。
それにも拘わらず、その洪水に備えたのはノアとその家族だけでした。
そして、わずか、8人だけが洪水から逃れることが出来ました。
他の人たちは、皆、滅んでしまったわけです。
当時、何千万人、何億人、何十億人の人々が、この地上にいたのかは、分かりませんが、ノアとその家族、たった8人だけが、命への道に予め備え、助けられました。
つまり、その他の人たちは皆、命を失ったのです。
これが、単に肉体の命だけならよいのですが、そうではなく、永遠の命も失ってしまったと思います。
このことに、大きな語りかけを感じます。
これから、更にクリスチャンの背教が進むゆえに、神様の怒りが極みに達し、不法の人が送り込まれ、大艱難時代を迎えることになります。
参照 マルコ13:19
13:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。
Ⅱテサロニケ2:1-4
2:1 さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。
2:2 霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
2:3 だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
2:4 彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。
このように、聖書では、主の来臨やクリスチャンが艱難時代を通過することについて、前もって語られています。
それにも拘わらず、残念ながら、多くのクリスチャンが艱難のための備えをせずに、油断しています。
ノアの時代の人々も、まさか、自分が滅ぼされるとは、夢にも思っていなかったようです。
つまり、「永遠の命」は、既に、ゲットできたものだと、そのように考えていたと思います。
そうでなければ、ノアとその家族と共に洪水のための備えをしていたはずです。
御言葉に、「洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。」とあるように、滅ぼされる時が来るこということを、全く思っていなかったわけです。
このことは、新約時代を生きる私たちクリスチャンへの警告でもあることを御理解いただきたいと思います。
艱難時代を通過することを踏まえて、前もってそのための備えをすべきなのです。
また、23節にあるように、「日々、十字架を背負う歩み」が、永遠の命を獲得するための条件であるとも言えます。
昨今、「永遠の命」が、クリスチャンやキリスト教界の間で、いとも簡単に手に入るように言われています。
しかし、聖書をよく読むと、残念ながら、そのような記述は、どこにも見当たりません。
Ⅱテモテには、「競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」と、書かれています。
たとえば、スポーツの世界で時々耳にすることですが、金メダルを獲得した選手が、後になって、ドーピングや反則が発覚されて、メダルを剥奪され、それだけでなく、処分を受けることがあります。
つまり、規則に基づいて競技しなければいけないことが理解出来ます。
クリスチャンの歩みについても、同様のことが言えるのではないかと思います。
何を基準にしていくのかというと、「御言葉」です。
なぜかというと、私たちは、死後、各自の肉体の仕業に応じて裁きを受けるからです。
すなわち、「御言葉」によって、裁かれ、報いを受けるのです。
日々、十字架を負って、主に従う歩み、このことを真剣に考えていくべきなのです。
「十字架を負う歩み」とは、24節に書かれているように、主に、どこまでも、捧げていく歩みです。
分かりやすく言うと、主の御心にどこまでも、従っていく歩みです。
その歩みをしていくためには、自分自身に死んでいくことです。
具体的には、自分の思いや考えよりも、聖書に書かれている御言葉を何よりも優先していくことです。
そのように生きていくことは、この世的には、多くの犠牲を払ったり、喪失してしまったり、場合によっては肉体の命が危ないと思われることも時としてあるかと思います。
しかし、そのようなことを承知の上で、主に従う歩みに、神様の御心があります。
ただし、「十字架」を背負うことは、決して強制ではありません。
自分の意志で、このことを決断し、率先して、背負うものだからです。
また、一見、多くのものを失うようにも思います。
しかし、主のために、命を捨てることは、それを得ていくことが、御言葉では、約束されています。
25節にあるように、この世において、お金や地位、名声をはじめ、すべてのものを得られようとも、後の世において、「永遠の命」を失ってしまったら、もう、取り返しがつかないことになってしまうことを今のうちに理解する必要があります。
福音書の中で、イエス様は、天の御国についての、たとえで話をされました。
ある時、その話を聞いていた人の中で、「主よ。救われる者は少ないのですか」と、尋ねる人がいました。
その時に、イエス様は、このように言われました。
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから」と。
単に、神様を信じていれば、クリスチャンと名がつけば、洗礼を受けていれば、集会に出席していれば、皆が天の御国に入れるわけではないことを、このことからも、理解できるかと思います。
聖書に書かれていることは、すべて真実です。
また、これからは、惑わす力や、嘘・偽りの教理によって、多くのクリスチャンが倒されてしまうことが前もって、御言葉は語っています。
どのような時にも、御言葉を最優先し、それぞれ担うべき重荷を背負って、主に従っていく歩みを自ら選んで、永遠の命を得ていきたいと思います。
証
弟子の歩みをする以前は、人間的な視点で「十字架を背負う」ことについてとらえていました。
そんなことを選んだら、損だとか、人から嫌がられたり、悪口を言われたりするのには抵抗があるだとか、そのようなことを考えていました。
しかし、エレミヤの部屋のHPのメッセージや御言葉を通して、心の根底にあるものが変えられました。
また、「すべて疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」とか、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎが来ます」とか「わたしのくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです」と、聖書に書かれています。
これらの御言葉から、いくら、この世の知識や知恵に富み、この世的な安心感を得たとしても、そのことでは、いつまでたっても、魂に安らぎが得られないことを教えられました。
そして、主に従うことが、何よりも安全で、平安や喜びを得ていかれることを理解しました。
このような思いにさせていただいたことは、主の憐れみだと思います。
主に従っていく、このことは「永遠の命」を得るだけでなく、この世においても、祝福や恵みをもたらすものであり、何よりも主との関係を平安に保っていくことのポイントとも言えるのではないかとも思います。
自分には、力や知恵をはじめ何もありませんが、主の助けと導きの中で、十字架を背負う歩みを成していかれたらと思います。
レムナントキリスト教会
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