聖書箇所 ローマ人への手紙4:4
4:4 働く者のばあいに、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。
本日も御言葉に沿ってみていきたいと思います。
この世の中では様々な職業があります。
また、自営業、会社員、アルバイト等の雇用形態があり、いずれも、生活していくために私たちは働いて収入得て暮らしています。
たとえば、スーパーでレジの仕事に就いたとします。
時給800円の契約で一日5時間稼動するとして、ざっと計算すると4000円になります。
当然のことですが、勤務時間内にさぼったり勤務日に欠勤したりしたのなら、その分の報酬は1円も出ません。
でも、ちゃんと働くなら、給料日に働いた分はきちんともらえます。
クリスチャンの信仰の世界においても、同じようなことが当てはまります。
クリスチャンは神様の同労者の立場にあります。
神様の働きをしていくことによって、報酬をいただけるのです。
そして、世の中と同じように、それは、当然支払うべきものとなります。
本日の御言葉にハッキリ書かれているように「恵みではなく、当然支払うべきもの」なのです。
ただし、世の中と違う点があります。
それは、私たちが報酬をいただけるのは、地上ではなく、後の世においてです。
この世の仕事は、手渡しや銀行振り込み等で、お金をいただきます。
でも、神様の働きに関しての報酬は、この世ではあまり期待しないほうが良いと思います。
稀に、人々から感謝されたり、誉められたり、時には栄誉を受けたりすることがあるかも知れませんが、そのようなものばかりにとらわれるなら、ポイントからズレてしまう可能性がありますので気をつけていきたいと思います。
なぜかと言うと聖書は後の世に焦点が当てられた書物ですし、御言葉にも「天での報いは大きい」とありますように、クリスチャンが報酬を受けるのはこの世ではなく天においてということが理解出来るからです。
また、私たちは神様から報酬を受けるためには、言われたことを忠実に行っていかなければいけません。
あの奉仕もやりたくない、これも嫌だという風に何も働きをしない人は残念ながら、天において何も、もらうことは出来ません。
つまり、神様から言われたことや与えられた奉仕をきちんと行っていくときに天に宝が積まれていくというポイントについては、きちんと押さえていっていただきたいと思います。
それから、ポイントを押さえた奉仕していくことも大切です。
たとえば、ある会社に営業で雇われたとします。
でも、商品の売り上げの仕事をほとんどしないで、事務職ばかりしていたらどうなるでしょうか?
本来の雇用契約と異なることをし続けるなら、社長や上司の機嫌を損ねてしまい、挙句の果てには解雇されてしまうのではないでしょうか?
このことは、神様の働きにも当てはまります。
色々な形の奉仕はありますし、各々いただいている賜物も人それぞれです。
しかし、共通して言えることはあります。
それはきちんと実を結ぶ奉仕をしていくか否かです。
分かりやすく言うと、人の信仰をたてあげたり、人を永遠の命の道に導いたりすることです。
もし、あなたが、メッセージの働きに携わっているとします。
メッセージの働きは正しく行うなら、人に命を与え、霊的な意味合いにおいて人を生かすものです。
しかし、もし、メッセンジャーが、キリストは復活しなかったとか進化論を唱えたりするなら・・・どうでしょうか?
このようなメッセージを聞いた人々がそのことを盲信したら、永遠の命に入ると思われますか?
このように、もし、人をゲヘナへと道連れにするメッセージばかりをしていくのなら、天において報酬を得られないばかりか、反対に裁かれてしまいます。
厳しい言い方で恐縮ではありますが、その人の霊的な徳になる働きなのかどうかを主にたずねて、正しく働きを行っていきたいと思います。
正しく行うなら、本日の御言葉にありますように、きちんと報酬をいただくことが出来ます。
また、正しく奉仕をしていく時に、残念ながら、人々からは両極端の反応を受けることもあります。
当レムナント・キリスト教会は警告の働きに召されているので、それに準じて働きを担っています。
時折、人々から感謝されることもありますが、そのようなことは滅多にありません。
大体は、反対されたり批難されたりことばかりです。
特に最近は聖書の原文から出ている暗号について、インターネットを中心に攻撃されています。
聖書の原文から出ている暗号ですので、明らかに神様御自身が聖書に暗号を仕組まれたわけなのですが、それにも拘わらず同胞が猛反発しているのです。
そのことをきっかけに教会が疑いの目や冷ややかな目で見られたりすることもあります。
ゆえに、人からの賞賛など、ほとんどありません。
でも、そんなことを気にしていたら、働きにならないので意に介さずに主に言われたことをひたすら行うように心がけています。
イエス様の歩みがまさにそうだったと思います。
山上の垂訓では4千人、5千人と、多くの人々が話を聞きに集まってきました。
しかし、ある時を境に、1人、2人と去っていき、中には弟子の歩みをしている人までも大半の人がイエス様から離れていき、12弟子だけが残りました。
でも、人数が多かろうと少なかろうと、あるいは人が去っていこうと、とどまろうと、周囲の状況に振り回されずにイエス様は常に神の御心だけに目を向けて淡々と御心を行っていました。
ですので、私たちも、このことに倣う者となっていきたいと思います。
聖書にも「時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなさい」とあります。
今は、背教の時代なので、悪い時ではありますが、主に言われている働きに徹していきたいと思います。
御心を正しく行ったゆえに、この世においては、迫害者、異端者として扱われるかも知れません。
しかし、人の評価や評判等に振り回されずに、神様の前に、忠実に働きを行っていきたいと思います。
そして、後の世において、大いなる報いを得ていきたいと思います。
証
今から3年半ほど前に、私はエレミヤの部屋のホームページに導かれました。
メッセージを読んでいく中で、この働き(警告、終末の預言の解き明かし)こそ、今の時代の働きだと理解しました。
メッセージでも申し上げましたように多くの神様の働きは確かにあります。
でも、すべての働きが必ずしも益になるのかと言うと・・・それは違うと思いました。
最近、Ⅰコリント人への手紙ですべてのメッセージが人をたてあげるわけではないということを学びました。
そのことに、私も共感しています。
神様の愛だけでなく、裁きのこととかが語られなければいけないのに、ほとんどの教会では、裁きについて語られていないように思います。
でも、きちんと、裁きのことや終末や再臨について語っていくのなら人々の益になっていくと思います。
そういった意味合いで、私は「主がお赦しくださるのなら、警告の働きに携わっていきたい」と主の前に表明をしました。
すると、不思議な方法で、半年後に主が教会に導いてくださいました。
確かに以前行っていた教会の人たちから悪く言われたり、親しくしていたクリスチャンが離れていったりしましたが、このような働きを担わせていただいていることをとても感謝しています。
この世においては、パウロが言及しているように、ちりやかすのような存在かも知れませんが、後の世においての主からの誉れを期待しつつ、主から力をいただいて一心に働きに励んでいます。
なお一層働きに励んでいかれたらと本日、執筆しながらもそのような思いが与えられたことも感謝でした。
主に感謝します。
レムナントキリスト教会
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著