聖書箇所 使徒の働き12:1,2
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
お気づきの方も多いかと思いますが、新約聖書において、「ヘロデ」という名前の付いた王が3回登場します。
いずれも別々の人物ですが、3人の共通点は人殺しです。
ちなみに、一番はじめに登場するヘロデは、生まれて間もないイエス様を殺そうと計るのですが、それがうまくいかなかったのでベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をすべて殺しました。
二番目に登場するヘロデは、バプテスマのヨハネを殺しました。
そして、本日のメッセージ箇所に書かれている三番目のヘロデは、2節にあるように、ヤコブを殺しました。
また、殺されたターゲットとなった人物についても、共通することがあります。
それは、聖書の御言葉から真理について正しく解き明かしをし、人を永遠の命の道へと導くための働きに携わっていた人々です。
そう、人を一人でも多くの人をゲヘナの火へと道連れにしたいサタンにとっては、このような働きをする人は、邪魔でしかない存在なのです。
少しでも長く生きられると、より多くの人たちに真理が伝わり、あわや真理に立ち返る人もいるので、困るのです。
そこで、人を通して、正しい人を死に追いやっていく、このことは、すべてサタンによる策略なのだということを、どうか、正しく御理解くださいますように。
このようなことを陰謀と呼んでいますが、人を死に追いやらないまでも、今の時代にも、同じようなことはありますし、背教が進み、時を経ていくにしたがっていく中で、このようなことは更に拡大化し、日常茶飯事のことになっていくと思われます。
たとえば、あるとき、礼拝のメッセージでこんな話を聞きました。(うろ覚えなので、すべてその通りかどうかは定かではありませんが、そのことはご了承ください)
アメリカのあるクリスチャンの団体に属する人々が聖書とハンドマイクを持って「同性愛はやめましょう」と、呼びかけたところ、逮捕されたというのです。
しかも、同性愛者が逮捕されたのではなく、クリスチャンたちが逮捕されたというのです。
そして、ハンドマイクは、個人の尊厳を無視した行為だというわけの分からない言いがかりをつけられ、刑務所に入れられ、あげくの果てには、多額な罰金まで課せられたというのです。
また、アメリカでは503C教会法というのがあり、正しい教理を語る教会に対しては不利な税金を課し、嘘・偽りを語る教会は優遇されるというのです。
このようなことについて、皆さんはどのように思われますか?
明らかにキリスト教界は正しい人を排除していくような方向に進んでいることは確かなのではないでしょうか。
そして、今は終末の時代です。
今までも、何度か語らせていただきましたが、聖書を正しく読むならば背教が起こり、かつてもないような大艱難の時に入っていきます。
そのときには、ここに書かれているヤコブのように剣で殺されたり、3節にあるように、ペテロが捕らえられたりと、そのようなオンパレードになっていくのではないかと思います。
もちろん、すべてのクリスチャンがそのようなことを体験するわけではありません。
いわば、聖書に御言葉に堅くつくクリスチャン、そして、真理について正しい知識を持っていて、なおかつ、そのような働きに携わっているクリスチャンだけが、そういったことを目の当たりにしていくようになります。
あるいは、そのような立場に立たされていくようになります。
残念ながら、そういったクリスチャンはこれからカルト呼ばわりされたり、原理主義者と言われたりして、排斥されていく方向になっていくのではないかと思われます。
1節の部分を英語で見てみると、「Now about that time Herod the king stretched out his hand to harass some from the church.」と、あります。
「stretched」という言葉を調べてみると、「延ばす」さらに、こじつけるという意味合いもあります。
また、「教会の中のある人々を苦しめようとして」とありますが、「教会の中のある人々」とは、ペテロやヨハネやヤコブのように、真理を正しく語るクリスチャンのことを言われているのではないかと思います。
そういった人々にこじつける、言葉尻をうまくとらえて、何か理由や難癖を付けて排斥し排除し、死に追いやる、そのようなことを明白にあらわした御言葉とも言えるのではないでしょうか。
新約の時代の終わりにも、そういったことが起こることについて、今から、正しく理解されることをおすすめいたします。
そうでないと、今起きている事柄や、これから起ころうとすることについて、さっぱりわけが分からなくなってしまうからです。
さて、それでは、本題に、入っていきたいと思います。
本日は、「王」ということについてみていきたいと思います。
今の時代、キリスト教界において、こと、カソリックのローマ法王以外は、あまり、「王」という言葉はほとんど使われていません。
しかし、旧約聖書には、ダビデ王、ソロモン王、アサ王、ヨシャパテ王等、王と名のつく人物が多々、登場します。
今、例を挙げた王は、多少の失敗はあっても、生涯を通じて、主の目にかなうことを行った王たちです。
でも、聖書を読むと明らかなのですが、残念なことに、主の目にかなうような歩みを全うした王は、非常に少なく、大半の王は、失敗し、約束の地に入ることができませんでした。
礼拝の中でも、繰り返し言われていることですが、私たちは新約時代を生きているからといって、新約聖書だけを学べばよいというのではありません。
旧約聖書は、私たちと無縁どころか、むしろ、旧約時代の神の民や王の失敗から、教訓を得て、同じ失敗をしないために、旧約聖書からも学びをしなければいけないのです。
なぜ、バビロン捕囚をされてしまったのか、約束の地(天の御国)に入れなかったのか、そのことについて正しい知識を得ることは大切です。
また、旧約時代を学んでいく中で、未来に起きてくる予表について正しく理解をし、再臨についてきちんと備えていかなければならないのです。
話は少しズレましたが、そこで、大切なのが、「王」なのです。
先に申し上げたように、今の時代、実際に王と呼ばれる人はあまりいません。
しかし、新約時代にも王はいます。
もちろん、全世界をはじめ、キリスト教界を統治されている王はイエス・キリストです。
しかし、イエス様は、御自身の体である教会に、それぞれ「王」を配置されておられます。
それは、今で言う、牧師や教師、伝道師、指導者等いわば御言葉を取り次ぐ立場の人たちのことです。
さっきも話しましたように、「王」と言っても、2種類の「王」がいることをご理解ください。
良い王か悪い王かのいずれかです。
ここに書かれているヘロデのように、サタンに導かれる王と、ダビデやソロモンのようにキリストに導かれる王がいます。
信じがたい話かも知れませんが、今の時代にも全く同じことが当てはまるのです。
サタンを父としている牧師や教師や指導者がいます。
あるいは、天の父であるイエス様を父としている牧師や教師や指導者もいます。
少し、大げさな言い方でありますが、どちらの指導者に導かれるかによって、死後の行き先が変わります。
羊であるお一人一人のクリスチャンの信仰のたてあげをなさるのはイエス様なのですが、パンの供給は指導者に委ねられています。
パンとは御言葉のたとえです。
牧師や教師は、礼拝の中で、御言葉のメッセージを語ります。
これは、ごくごく当たり前のことです。
しかし、会衆(信者)がどのようなパン(御言葉)を食べるかによって、歩みが大きく左右されます。
毒入りのパン(罪のメッセージ)を毎週受けていくなら、罪の中、いわゆる闇の中を歩むことになります。
クリスチャンは世の光、地の塩となっていくべきなのに、闇の中をさまようクリスチャン生活を送ることになるのです。
そのことを本人が意識するか否かは別として、このことは事実です。
たとえば、終末や裁きのことを語らずに、神様の愛のことばかりを強調するメッセージは、人受けはよくても、神様の前には受け入れられません。
これは、いわばサタンを喜ばすメッセージ、つまり、このようなことだけを強調するメッセンジャーは、天の父を父とせず、悪魔を父としている指導者なのです。
そして、そのような指導者は、会衆を闇へと導き、恵みから落とすことになります。
また、それだけにとどまらず、このヘロデのように、正しく御言葉を解き明かす指導者や働き人をいずれ攻撃する立場に回るのです。
そのような指導者に御心はありません。
ずーっと、罪のメッセージを受け入れ続けるなら、永遠の命は危ないものとなりますので、そういった教会や指導者からは、ただちに離れることをおすすめいたします。
このことに関連して、証をさせていただきます。
私自身、そのような教会、指導者から離れた一人であります。
だからといって、以前行っていた教会に難癖をつけたり、非難や中傷をしたりするわけではありません。
むしろ、その教会の牧師や伝道師や献身者をはじめ、信徒のお一人一人が正しく真理に立ち返っていかれるように今でも、お祈りさせていただいております。
牧師をはじめ、信徒の方々もよく祈り、信仰熱心な方々が多数おられるので、教会にお願いして、ニュースレターも毎月送らせていただいております。
以前行っていた教会の教理は、すべてがおかしいものではありませんでした。
神様の愛だけでなく、悔い改めていくことの大切さについても強調されていましたし、時には、裁きや地獄についてのメッセージもしていました。
しかし、いくつかの誤りに気づきました。
その誤りが、永遠の命に直結するものでなければよかったのですが、残念ながら、永遠の命を得るか否かを左右してしまうものでした。
たとえば、艱難前携挙説やヤベツの祈りについて奨励していましたし、裁きに関してはクリスチャンではなく、未信者であること、終末のことは一切語りませんし、艱難の前にクリスチャンは挙げられるために、当然のことながら備えについてのメッセージもありませんし、たとえの意味合いについての解き明かしもなされていませんでした。
また、信仰や霊的な事柄に関して、牧師に相談した時に、そのことが牧師と違った考えだったために、そのことについて、「霊的傲慢」だと、牧師に言われてしまいました。
しかも、礼拝のメッセージやお祈り会とか祈祷会のおすすめの中においても誰を指してそのように言われているのかは分かりませんでしたが、「霊的な傲慢」という言葉を時々発していました。
そのことについても、私自身、納得出来ないものがありました。
聖書のどこを探しても、「霊的傲慢」という言葉は見当たりませんし、霊的なとらえが異なるだけで、相手のことを「霊的傲慢」と決め付けてしまうのはある意味その人を裁くことになるのではないかなぁと、それは少しおかしいなぁと、何か勘違いされておられるのではないかなぁと思いました。
色々なことが積み重なっていく中で、真理とは何だろう?クリスチャンが天の御国を受け継ぐとはどのようなことだろう?と、原点に立ち返っていく中で、レムナントキリスト教会で働きを担わせていただけるようにお祈りをし、主の憐れみによって導いていただき、今日のような働きにわずかでも携わるいただくことができました。
このことは、とても、感謝なことです。
ですから、もし、このメッセージを読まれているあなたさまが、上記のようなことにお心当たりがありましたら、ぜひ、正しい方向へと歩みを転換されることをおすすめいたします。
主が言われてもいないような嘘・偽りの教えをそのまま鵜呑みにしてしまうと、永遠の命は非常に危ないものとなります。
それでも、良いというのでしたら、あえておすすめはしませんが、死後、永遠の悔いを残されることのないように、天の御国ではない別のところへ連れて行かれて、こんなはずではなかったと言われることのないように、そのことについて語る責任のある立場として、前もってこのような警告をさせていただきました。
また、聖書にもあるように明らかに時は縮まっていますので、もし、おかしなことを語る教会や指導者から離れて真理の道を歩んでいかれることを少しでも決意されておられるのなら、今がチャンスです。
と、言うのは、この上記御言葉の箇所は艱難時代の予表であり、ヤコブが殺されたことは、近未来に起こる出来事だからです。
つまり、艱難時代は、殉教が起こる時であることをどうかご理解ください。
そのような時になってから、備えようとしても、残念ながらとても難しいように思います。
なぜかというと、艱難時代は、イエス様がおっしゃっていたように、かつてもなく、今後もないようなひどい苦難と言われていて、御言葉につくか反キリストにつくかの究極の選択のオンパレードの時代だからです。
最悪、肉体の死をも覚悟しなければならない時でもあるのです。
艱難時代が来るから、しかも、そう遠くない日に到来するから、私たちは弟子として歩み、そのときになって驚き慌てふためくことのないように、今から備えているのです。
今、備えるなら、遅くはありません。
しかし、いつか従えばいい、そういうことには御心はありません。
ペテロやヤコブやヨハネ、パウロのように、主から御声がかかった時にすぐに応答していくことにポイントがあります。
でも、このことにおいても、個々における人の選択ですし、主御自身も強制できることでもなく、それぞれの人の判断に任されていることですので、私自身がとやかく言うことでも何でもありませんが、死後の永遠の命にかかわる大切なことですので、繰り返し、話だけはさせていただきます。
若干、テーマからズレてしまいましたが、はっきり言います。
今は、偽教師、偽預言者の多い時代であることは聖書の御言葉も証していますし、都と呼ばれるいわば正統派の教会からは聖霊の働きが消えつつあります。
人目には分からなくても、神様の前に、偽教師、いわば、人をゲヘナへと道連れにする牧師や教師のオンパレードの中に、私たちが生きているということは、どうか正しくご理解くださいますように。
そして、そのような立場の教師たちは、ここに書かれている正しい人(ヤコブ)を死に追いやったヘロデのように、最終的には主の使いによって打たれ、神の手によって報復されてしまいます。
参照 使徒12:23
するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。
このとき、ヘロデは打たれて、虫にかまれて息が絶えたのです。
まかり間違っても、彼が天の御国を受けつぐことはないと思います。
このことには、今の、キリスト教界においても同様のことが言えるのではないかと思います。
この地上において、キリスト教界において、偉大なる牧師、教師と言われていたとしても必ずしも天の御国を受け継ぐ人ばかりではないということです。
ですから、繰り返しになりますが、そのような偽教師や偽預言者や人を恵みから落とすメッセージを語るメッセンジャーもいるということを正しく理解し、気をつけていきたいと思います。
そのような人たちの轍を踏んで、恵みから落とされることのないようによくよく注意したいと思います。
旧約の神の国、ユダヤのトップ、リーダー、王である
ヘロデ王は、今でいう、キリスト教界のトップの座にいた立場の人と同じ位置にいるといえると思います。
しかし、そのような王ですら、神様によって滅ぼされてしまったのですから、私たちは、なおのこと、主に恐れをもって正しく歩んでいきたいと思います。
本日の箇所は、これからキリスト教界で起きる予表でもあり、私たちクリスチャンにとって身近なことでもあり、これからの選択次第では、永遠の命を左右すべく大きなポイントでもあることを、どうか正しくご理解いただきたいと思います。
偉そうな言い方で恐縮ではありますが、何が大切であるのかという原点に立ち返って、今一度、通っておられる教会の指導者が語る教理、それが永遠の命に直結するのかどうかということについて、ぜひ、吟味されてみてください。
そんな風に語っている私自身も、牧師が語るメッセージをはじめ、礼拝や集会の中で語られる証や預言、また、何気なしに自分が発する言葉や聞く会話についても、聖霊の力によって吟味させられる日々だからです。
本当に聖霊から来たものなのか、はたまたそうでないのかについて、絶えず見分けていくことはクリスチャンの死活問題に関わると言っても過言ではないと思います。
王(牧師や指導者)と言っても2種類の型があることを踏まえ、神につく王なのかそうでない王なのかを正しく見分け、ダビデやソロモン、ペテロやヨハネやヤコブ、パウロのように、神の目にかなう歩みや働きをして、後において、入るべき天の御国を受け継ぎたいと思います。
レムナントキリスト教会
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