聖書箇所 出エジプト記4:3
4:3 すると仰せられた。「それを地に投げよ。」彼がそれを地に投げると、杖は蛇になった。モーセはそれから身を引いた。
「『杖』や『蛇』ということばを通して語っていること」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。
マルコの福音書に、「イエスはたとえによらないで話されることはなかった。」とありますように、聖書のみことばの大半は「たとえ」によって書かれています。そして上記の「杖」とか「蛇」ということばにも、たとえの意味合いが使われています。今回はこれらのことばを通して、神さまがこんな風に語っているかなぁ?と感じることがありましたのでお話したいと思います。
まず、たとえの意味合いを見ていきましょう。「杖」は、「人の歩みを助ける者」「クリスチャンの信仰の歩みを助ける教師」のことを言われています。「蛇」は、「みことばを曲げたりおかしな教理を持ってくる人々」「みことばとは逆のことを言う人」「クリスチャンを永遠の命から外す偽りの働き」のことです。ちなみに、イエスさまは当時のパリサイ人や律法学者に対して、「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」と言いました。また、彼ら、律法学者やパリサイ人は、みことばの専門家でありましたので、「杖」、すなわち律法の教師の立場であった人々です。ゆえに、「杖が蛇になった」とのことばはある意味、イエスさまの初降臨の時に成就したのです。そう、たしかにイエスさまの時に、つまり旧約の終末にこのことは実現したのです。しかしながら、それで終わるのではなく、新約の終末、世の終わりにも同じことが再現するということが、モーセの時代から暗示されているのではないだろうか?と思われるのです。
何を根拠に?と思うかもしれません。それでは、いくつか例を挙げたいと思います。
その①進化論は正しい。
その②マリヤはキリストの共同の贖い主なので、三位一体ではなく、四位一体です。
その③地獄は無い。
その④クリスチャンはさばかれない。さばかれるのはノンクリスチャンだけ。
その⑤クリスチャンは艱難を通らずに、その前に携挙される。艱難時代を通るのはユダヤ人だけ。
以上のことは、一例に過ぎませんが、しかしこれらの教えはいずれも、聖書のみことばとはどれもこれも反するものばかりです。もし、こういったことが教会で語られていましたら、ひょっとすると、みことばを扱う奉仕者(牧師、神父、教師)が「蛇」になっている可能性があるかもしれません。だとするなら、注意が必要です。たしかに上記に挙げたことは、耳にはやさしい教理かもしれませんし、場合によっては喜ばしいものでもあるかもしれません。けれどもどれもこれもが、クリスチャンを永遠の命から遠ざけたり、外したりする教理であります。それこそ、創世記にも「蛇」が登場しますよね?そしてエバが蛇にまんまとだまされて、取って食べてはならない木から実を取って食べて、永遠の命を失ってしまいましたよね?それと同じように、今の時代も食べてはならない教理がある、ということは正しくとらえておきましょう。つまりエバのことは決して他人事ではなく、今の終末を生きる私たちクリスチャンお一人一人に大いに関係する事柄なのであります。現に、「蛇」と呼ばれるありとあらゆる教理がキリスト教会において、すでに蔓延しているからです。そう、どんなに耳にやさしいものであっても、しかし、吟味もせずに受け入れてしまうときにエバと同じ轍を踏んでしまう可能性がありますので、よくよく気を付けていきたいと思います。ハッキリ言ってしまうなら、みことばを扱い奉仕者をそれぞれのクリスチャンはご自分で吟味することが大事、ということです。
今回の要点をまとめます。
以前の私もその一人でしたが、メッセンジャーに相当する立場の人は、全て一様だと思われているクリスチャンは案外多いのでは?と思います。また、メッセンジャー、すなわちみことばを扱う奉仕者が語ることは、ほぼ誤りや間違いは無い、と思うかもしれません。けれども、イエスさまの時代もそうであったように・・・イエスさまをはじめ、十二弟子や使徒たちのように、正しくみことばから語る教師と、しかし反面、パリサイ人や律法学者のように、聖書のことばを曲解する教師とに、みごと二分していましたよね?それと同じように、今の時代もみことばをまっすぐに解き明かす教師と、上記の例にも挙げましたように、そうではない教師、すなわち「蛇」と呼ばれる教師とに分かれる、ということは正しく理解しておきましょう。そして、どのような教師からどんな教理を受け入れるか?は、あわや永遠の区分をもたらす可能性がありますので、見聞きする事柄に関してはよくよく吟味していきたいと思います。
大切なことですので繰り返して言いますが・・・キリスト教会のメッセンジャーと聞くと、どの人も間違いが無い!と思われるかもしれませんが、しかし聖書においてはそうではない、ということを語っていますので、そのあたりは謙虚に受けとめていきたいと思います。そして見聞きする事柄に関しては、聖霊にあって正しく吟味していきたいと思います。聖書のことばと矛盾が無ければ受け入れていきましょう。しかしそうではないのでしたら、除外していきたいと思います。それこそ聖書のことばに、「すべてのことを見分けて(KJV:吟味して)、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」とありますのでぜひ、このことを実践していきたいと思います。そして神さまの御教えに最後まで堅く留まって、天の御国を相続したいと思います。よろしければ、こういうこともご理解いただけると幸いに思います。
レムナントキリスト教会
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