聖書箇所 創世記40:8

 

40:8 ふたりは彼に答えた。「私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。」ヨセフは彼らに言った。「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」

 

「終末は夢や預言や幻が解き明かされる時」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

前章において、ヨセフはエジプト人の主人の家にいたのですが、しかし主人の奥さんに言い寄られて、そのことが度重なる中で、ある時ついにヨセフは外へ逃げたのですが、あろうことか主人の奥さんは「この男は私にいたずらをしようと入ってきました。それで私が声をあげて叫んだので外へ逃げました」と告げたので、ヨセフは監獄の中に入れられてしまいました。そしてヨセフと同じ監獄にエジプト王の献酌官長と調理官長が拘留されることとなりました。そのふたりが夢を見たのですが、冒頭のみことばにてそのことを言われています。「私たちは夢を見たが~」と。

 

ところで「夢を見る」ということが聖書ではあちこちに書かれています。せっかくですので、見てみましょう。

 

参照 使徒の働き2:17

2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る

 

このことはじつはヨエル書にも同じことが書かれています。「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」と。

 

そう、テーマにも掲げましたが、終わりの日、つまり終末というのは、預言をしたり幻を見たり、そして夢も見る時なのです。今がまさにそうなのです。そして創世記のほうに戻りますが、10節以降に「三本のつる」とか「三つのかご」ということばが出てくるのですが、これらはいずれも「三日目」のことを言われていて、第二ペテロの手紙で、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」と言われていますように、ADから数えるなら今は主イエスの時から、3つ目のミレニアム、つまり三日目なのであります。すなわち創世記で言われていることも、じつは終末のことではないかと思われるのです。ですから献酌官長や調理官長が夢を見た、というのは終末にも起きる型であり、そしてそれは解き明かされていくのであります。そして聖書で、「終わりの日~老人は夢を見る」と書かれている以上、預言や幻や夢の解き明かしがされるのは、特に終末に行われるのでしょう。以下、ダニエル書にもそういったことが書かれていますので、よろしければ見てみましょう。

 

参照 ダニエル書12:4,8,9

12:4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」

12:8 私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」

12:9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。

 

ここで、ダニエルは終末に関する啓示を受けました。しかし8節にありますように、ダニエルはそれを悟ることができませんでした。それに対する答えが「このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ」です。「終わりの時まで~封じられている」とありますように、つまり終末の啓示は終末に開かれる、ということを言われているのです。その方法が預言とか幻とか夢ではないかと思われるのです。そして繰り返しますが、終末の事柄については、終末以前には開かれることないのでしょう。聖書において「終わりの時」とか「終わりの日」とかありますように、「終わり」ということがことさら強調されているからです。

 

それではさらに、どんな風にして夢や幻や預言が解き明かされていくのか?ということが冒頭のみことばにありますので、よろしければお話したいと思います。

 

「それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。」のことばに、ヒントや答えがあります。「神さま」が解き明かしをなさるのです。さらに言うなら、神さまがご自身にお仕えするしもべを通してなされるのです。つまりこの時ヨセフは神さまに夢を解き明かしていただけるように、お祈りしたのでしょう。そして結果として、的確な解き明かしをすることができたのでしょう。もちろん実際になしてくださったのは、神さまなのであります。そう、厳密にはご自身にお仕えするしもべのお祈りを通してなれされたのであります。じつはそれと同じような記述がダニエル書にもありますので、よろしければ見てみましょう。

 

参照 ダニエル書2:18

2:18 彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。

 

「この秘密」とは、ネブカデネザル王が見た夢のことです。そして王は、自分が見た夢を示し、さらに夢の解き明かしをするよう、バビロンの知者たちを呼び寄せました。ところがその夢を示し、解き明かしをすることのできる人は誰ひとりとしていませんでした。けれどもそれができないのなら、知者たちやダニエルとその同僚は殺されてしまうということがダニエルに知らされたので、彼とその同僚は何とか夢を示してもらい、解き明かしができるよう、神さまに願い求めたのです。その結果、神さまはダニエルに秘密を啓示してくださり、そのおかげで皆の命を救うことができました。

 

そうなんです。ヨセフ、ダニエルの二者の共通点は、いずれも神さまが啓示された、示されたということです。けれどもそれは何もせずに自動的にそうしていただけたのか?と言うとそうではありません。啓示される前段階として、「祈り」や「願い」がなされていた、というのも両者に共通することであります。

 

ですから、もし私たちが夢や幻や預言を通して何らか神さまから啓示や語りかけを受けたかな?と感じた場合に、その解き明かしが正しくできるように、まずは神さまに祈る、願う、ということを優先していくことに御心があるのでしょう。そうするなら的確に解き明かしができるのでしょう。夢や幻を見たり、預言することは尊いことなのですが、それはそれでひとつのことであり、次の段階としてはそれが本当に神さまから来たものなのかどうか?という確認も含めて、もしそうならば、きちんと解き明かしができるように、そのことを示していただくことができるように、お祈りしていくことに御心があるのだと思います。そうするなら、神さまが何らかの方法を通して教えてくださいます。それは人の語ることばを通してかもしれませんし、あるいは状況を通してということもあるかもしれません。また、みことばを通して示されるということもあるかもしれません。いずれにしても、ベストな方法で示してくださいますので、よろしければぜひこのことを実践していきたいと思います。

 

リピートしますが、終末はかつて開かれなかった啓示が開かれたり、夢や預言や幻が解き明かされていく時である、ということは正しくとらえておきたいと思います。そしてそれらを解き明かしてくださるのは、「神さま」だということを念頭に置いて、祈り求めていきたいと思います。また、解き明かしていただいたり、示していただいたりしたのちには、そのことを何らかの方法で人々に宣べ伝えていきたいと思います。場合によっては危険や罠など、警告について語っていることもありますので、それを伝えることによって命(永遠の命)を救う人々もおられますので、ぜひ実践していきたいと思います。そうでないときに、神からのものであるにもかかわらず伝えないというときに、あるいは語りなさい、と主から言われているにもかかわらず口を閉ざしてしまうというときに死後、「血」(人々の永遠の命)の責任が問われてしまい、ご自身の永遠の命も危ない可能性がありますので、気を付けていきたいと思います。よろしければこういうポイントに関してもご理解いただけると幸いです。

 

レムナントキリスト教会に行き始めて早6年の歳月が流れました。その間、数々の啓示の解き明かしを受けてきました。そのひとつとして、獣の国はヨーロッパではなく、アメリカである、というものがあります。それに関して黙示録をはじめ、聖書のあちこちのみことばや実際にアメリカで起きている数々の状況から語られていましたので納得するものがありました。ちなみに黙示録には「十本の角」について書かれているのですが、このことを通して、アメリカがいずれ十の国に区分されること、そのことを契機に独裁体制で全世界を支配することについて理解しました。聞いたところによると、1970頃にこのことはもうすでに決まっていたそうです。また、現実に起きていることに関しては、たとえばアメリカでは、同性愛を指摘するクリスチャンを牢に入れたり、路傍伝道や家庭集会をしていた牧師を逮捕したりと、要は正しいクリスチャンを迫害する方向へ来ているそうです。しかも艱難時代に向けてなのか、強制収容所もあちこちに建設されていて、さらに棺桶まで沢山用意されているそうです。そのようなことから、まさにアメリカが獣の国である、ということを理解しました。

 

そしてこのことは今から100年前では全く分からなかったのでは?と思います。100年前には強制収容所もありませんし、また、十の国に区分されるなんてことも決まっていなかったからです。終末だからこそ開かれた啓示なのでは?と思います。

 

今回の学びを通して、終末にあらゆる啓示や夢や幻が解き明かされていく、というのは事実なんだなぁということを改めて思わされました。レムナントキリスト教会では神さまの憐れみによって先駆けてこういったことを示していただいていますので、礼拝やセミナーやニュースレターやインターネットの働きを通してこれらのことをお知らせしておりますが、このことは非常に感謝ですし幸いに思っております。ですので、これからも神さまが教会に何らかの解き明かしや示しをしてくださったときには、ぜひ語っていきたいと思います。今回も大切なポイントを語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。