聖書箇所 創世記42:6
42:6 ときに、ヨセフはこの国の権力者であり、この国のすべての人々に穀物を売る者であった。ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。
「この世を真に治めているお方」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。
冒頭のみことば「ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ」とのことは、下記、みことばの成就であります。
参照 創世記37:5‐9
37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです。」と言った。
皆さまもご存知のように、ヨセフには彼のほかに11人の兄弟がいました。そして彼は17歳の時にふたつの夢を見て、そのことを兄たちに知らせました。7,9節がその夢なのですが、8節にありますように兄たちは夢のことを面白くは思わず、反対にヨセフを憎むようになって、遂にイシュマエル人に売り渡してしまいました。それから大分年月を経たのちに、エジプトで彼らは再会したのでした。なぜかと言うと、ききんが全世界に及んだために、ヤコブや兄たちの所には食物が尽きてしまい、そしてエジプトに穀物があることを聞いたので、穀物を手に入れるためにヤコブは兄たちをエジプトに遣わしたからです。その時にまさか兄たちは弟ヨセフがそこにいるなんてことは夢にも思っていませんでしたし、実際に再会したときにも全く気付かなかったのですが、しかしヨセフには兄たちのことがすぐに分かりました。そしてヨセフは国の権力者となり、穀物を売る者であったので、それで兄たちは、「顔を地につけて彼を伏し拝んだ」のでした。そうなんです。創世記37章7,9節のことばは、つまりヨセフが見た夢のことは、まさにこの時に成就したのでした。ですから、ここでの節を一義的に見るならば、夢やみことばの成就だ、と言う風に取れると思います。ただ、しかしこの箇所ではそれのみを語っているのではないことに気付かせていただきましたので、そのことをもお話したいと思います。
今回私個人は、「ヨセフはこの国の権力者であり、この国のすべての人々に穀物を売る者であった」ということばにも目が留まりました。そしてこのことばを通して神さまが大事なポイントを語っているかな?また、礼拝のメッセージの中でもエレミヤ牧師がこういったことを繰り返し語っているのでは?と思いましたので、少し見てみたいと思います。
再三申し上げているようで恐縮なのですが、「聖書がわたし(イエス・キリスト)について証言しているのです」(ヨハネの福音書5章39節)と主ご自身が言われていますように、聖書に登場する多くの人物は、その人個人のこともそうですが、しかしそれと共にイエス・キリストのあらゆる側面や御性質について、様々な角度から語っております。ですから、今回登場するヨセフも、ある意味そうなのであります。そして冒頭のみことばを通して、ふたつの側面をあらわしていますので、順に見ていきたいと思います。
①この国の権力者
細かい話なのですが、「権力者」のところはKJV訳では、「統治者」とか「支配者」とあります。また、「国」ということばに関しては、もちろんこの世界の国、たとえば日本、中国、アメリカなどのことも指しますが、けれども聖書で言われていることにおいては、キリスト教会全体のこと、分かりやすく言うと、各教団や教派のことをも言われています。ですからここで言わんとしていることは、ヨセフ、すなわちイエス・キリストこそがキリスト教会をはじめ、全世界を統治されている、治めている、ということです。それと似たようなことばが、詩篇でも引用されていますので、そこも見てみたいと思います。
参照 詩篇97:1
97:1 主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。
「主は、王」のことばが、先ほどの、「権力者」に相当します。ちなみに「主は、王」のことばも、KJV訳で「主は治める」とあります。ですから、「主は、王=ヨセフはこの国の権力者」だという風に理解できます。そして「治める」ということに関連して、以下のことをエレミヤ牧師が礼拝の中でメッセージされていました。
「治める」とは、「政治」であり、たとえば日本では阿倍首相が治めています。その時に正しい人には「誉れ」を、そして悪い人には「罰」を与えます。ちなみに私たちの歩みは「信仰」による歩みです。実際にそうは見えないけれども、みことばを信じるということです。そして「主は治める」ということに関しても、「信仰の世界」であり、要は「霊の事柄」なので見えないのです。また、ある人は真の意味でそれを信じません。でも、「そうなんだ~」と思っていくときに、「正しい道筋」に入ります。全世界もそうですし、また、キリスト教会も神が治めている、ということは正しく理解したいと思います。そしてこの世を含めて、真の支配者は神御自身ということもきちんととらえておきたいと思います。ゆえに見える事柄だけを見てはいけません。
(2015年2月8日の礼拝にて 詩篇97篇の講解メッセージより)
そうなんです。エレミヤ牧師がおっしゃるように、私たちの目には見えなくても、この世界を真に治めているのは、統治しているのは、主であるイエス・キリストだということは、よくよく理解しておきたいと思います。たしかにサタンもこの世を支配していますが、しかしその権威を授けているのも主ご自身だ、ということも一面とらえておきたいと思います。けれどもその上には、主がおりますので・・・この方の言われる通りに従っていきたいと思います。そう、そして「正しい人には誉れを、そして悪い人には罰を与えます」ということですので、ぜひ、神さまの前に正しく歩んでいきたいと思います。そうではなく、悪いことばかりをしていると、「罰」が下ってしまいますので、もし、そうでしたら、ぜひそれは悔い改めていきたいと思います。それでは、もうひとつを見てみましょう。
②この国のすべての人々に穀物を売る者
先ほど、「ききんが全世界に及んだ」ということを話しましたが、そして今回の前の章(41章)とも若干かぶるのですが・・・「ききん」とは、通常は物質的なことを言われていますが、しかし聖書では「みことばを聞くことのききん」という意味合いもあります。以下、「ききん」ということばに関して語られている箇所がありますので、よろしければ参考までに見てみてください。
参照 アモス書8:11
8:11 見よ。その日が来る。神である主の御告げ。その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。
そしてまさに、全世界をはじめ、ヨセフの兄弟たちにもききんが及びました。それでヨセフの兄たちは、「穀物」を求めにエジプトにいるヨセフの元へ行ったのです。このことにひとつの語りかけがあります。そしてヨセフの兄たちは、ある種のクリスチャンをあらわす型だと思われます。それはみことばを聞くことに飢えや渇きを覚えているタイプのクリスチャンを指すのでは?と思います。さらにこのことは、この時代だけではなく、これから終末に起きてくることの予表なのでは?と思います。それこそヨセフの時に起きた7年のききんとは、これから迎える艱難時代の期間に相当すると思われるからです。今現在(2015年5月)は、まだ艱難時代には入っておりませんが、しかしすでに「みことばを聞くことのききん」に関して、少しずつそういった兆候があらわれているのでは?と思うことがいくつかあります。
その一例を挙げると、一度クリスチャンなったら皆天国へ行くとか、神はあまりにも愛のお方なので人を地獄へ行かせるようなことはしない、なんていう教理がそうだと思います。もし、このことが本当なら、罪を犯しても悔い改める必要はないでしょうし、あえて聖書を学ぶ意味もありませんよね?けれども、このように、聖書に書かれていないような事柄を盲信してしまうときに、残念ながら天の御国への道に至ることはないのでは?と思います。つまり「主のことばを聞くことのききん」とは、永遠の命を得るためのメッセージが無くなっていく、ということを言われているのです。また、一部のキリスト教会では、同性愛者を迎合していて、なんと、メッセージまでお願いしているそうです。聖書において、同性愛のことは固く禁じているのですが、こういった事態の中で、そこに通っている信徒の方はいったい何が真理なのか、訳が分からなくなってしまうと思います。そして、あわやききんに入っていくのでは?と思いますが、いかがでしょうか?けれども、そうなったからといって、絶望してはいけません。
万一、ききんに陥ってしまった場合には、ヨセフの兄たちの姿勢に倣うべきなのであります。先ほども話しましたように、ヨセフはイエス・キリストを描写する型でもあります。そして兄たちがヨセフのところに「穀物」を求めに行ったように・・・また、「この国のすべての人々に穀物を売る者であった」とありますように、イエス・キリストのところに「穀物」はありますので、キリストの元へ行けば良いのです。ちなみに「穀物」は、聖書でパンや麦にたとえられていて、すなわちメッセージのことを言われています。そうするなら、必要な穀物、つまり永遠の命に至るメッセージやみことばが与えられるのです。具体的には、聖書のみことばをまっすぐに解き明かしているメッセージを聞くことであります。そうしていくときに、ききんから免れられるのです。
今回のポイントをまとめます。ひとつは、主がこの国、つまりキリスト教会をはじめ、世界を真に治めている、ということです。なので、私たちはこのお方を真の王とし、主のみに仕えていきたいと思います。ですから万が一にも、主のことばと器の言うことに相違がある場合には、ぜひ主のことばを優先していきたいと思います。もうひとつは、主のことばを聞くことのききんがこれから全世界に来るということです。けれどもみことばの管理人はイエス・キリストご自身ですので、万が一にも、ききんに陥っているかな?と思われましたら、ヨセフの兄弟たちのように、すぐにイエスさまに求めていきたいと思います。たとえばイエス・キリストの名で祈ったらダメとか、キリストにではなく、マリヤに祈るとかロザリオで祈りましょう、なんて語る教会は警戒が必要だと思います。もし、そのようなことを吟味もせずに盲信してしまうときに、ききんに陥ってしまう可能性がありますので、気を付けていきたいと思います。そしてイエスさまに祈り求めていきたいと思います。主は真実なお方なので、たとえ私たちがききんに陥ってしまっても、決して見捨てられるお方ではなく、求めていく人には必ず道を開いてくださいますので、ぜひ、そのことを実践していきたいと思います。
反対に、ききんに陥ったままですと・・・たとえば私たちが日常で食べる物が無い場合に、さいごは力尽きて餓死してしまうように、霊的な事柄においてもそれと同じく、死んでしまう可能性がありますので・・・そうすると天の御国は厳しいのでは?と思われますので、ききんからは何としても脱出していきたいと思います。よろしければこういうこともご理解いただけると幸いです。
証
今から10年ほど前のことですが・・・しばらく教会やクリスチャン生活から離れたことがあって、でも神さまの一方的な憐れみと恵みによってイエスさまと信仰や教会生活に立ち帰らせていただいたのですが、その時にある決意を自分なりにさせていただきました。皆さまにとってはごく当たり前のことだと思いますが、「途中で投げ出してしまうことなく、今度こそ、きちんと歩んで行こう・・・」と。
レムナントキリスト教会に行く前のことだったのですが、その教会では艱難前携挙説が奨励されていました。しばらくの間は、ほとんど疑問を持たずにそのことを受け入れていました。けれどもある時に、「もしかすると、自分は違う道を歩んでいるのでは?すべてが違っているわけではないにしろ、所々、聖書の解釈が間違えているのでは?」と思うようになりました。特に、艱難前携挙説に関しては、フィフティーフィフティーなのでは?と思い始めました。ただ、そうではあっても、教会ではそのように語られているし、携挙は艱難前なのか?あとなのか?に関して、どのみことばから正しく答えを得たら良いか分かりませんでした。それに関して、いくつかのホームページやブログや本を読んだりもしたのですが、私の中ではどれもこれも釈然としませんでした。まさに、みことばを聞くためのききんの状態に陥っていました。
それからまた時が経って、「このままだと天国に行けないのでは?」という焦燥感が沸いてきました。何を根拠にそう考えるようになったのかについては今ひとつ思い出せないのですが、でも、なんとかこの状態を切り抜けなければ、と思い、祈っていくようにしました。それから間もなくしてから、ひょんなことをきっかけにエレミヤの部屋のホームページに出会うことができました。その頃は終末のことに関して特別興味があったわけではなかったのですが、そういった事柄を扱っていることを理解したときに、もしかすると携挙のことについてハッキリしたことが分かるかもしれない、と思って順に読んでいくようになりました。そうしたところ、それに関してのことがいくつも書かれていて、しかもみことばから分かりやすく説明されていたので、クリアな解答に至ることができました。そのことを契機に、みことばを聞くことのききんから徐々に解放されていくようになりました。
それから約半年後、レムナントキリスト教会に通うようになり、そこで毎週ごとに色々と学びをさせていただき、あらゆる疑問が氷解していくようになっております。もちろん今でも分からないことのほうが多いのですが、けれどもおかげさまでかつてのききんからは脱出させていただくことができました。クリスチャンとして歩むべき方向性や、なすべき働きに関して以前よりも大分見えるようになっていることにとても感謝しております。
今回の学びを通して、「ききん」のことは決して他人事ではなく、自分自身もそういったところをかつて通りましたので、もし、そんな風な状態に陥っているクリスチャンがいましたら、一刻も早く逃れていただきたいと願いつつ、これからもほんのわずかであってもみことばを伝える働きをさせていただければ・・・と思いました。いつも大切なことを語ってくださる神さまに栄光と誉れがありますように。主に感謝して。
レムナントキリスト教会
お問合わせ
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