Ⅰテサロニケ人への手紙2章 2013.7.7,7.14



 



2:1 兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。



「むだではありませんでした」と書かれているということは、むだな奉仕が結構あるのでは?割と的外れなことが多いのでは?(罪=的外れ)



一生懸命行っていても罪があると的外れになってしまう



主の御心をたずね求めていく中で的をついた奉仕をしていく



むだな奉仕があるので主の御心をきちんととらえる



 



2:2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。



パウロはどういう人か?→本当の伝道者、また、ユダヤ人の会堂で教えていたペテロやヨハネとは異なり、異邦人への召しを受けた、そしてあらゆるところで福音を伝えた



「はずかしめを受けた」と書かれているように、本当にパウロに神からの啓示があったなら、この世の神であるサタンがこういう目に会わせる



本当に神からの福音や啓示を受けたらこんなもの



神も生きている、しかし、サタンも生きている



もし、パウロを通して福音が伝わったら多くの人が救われてしまう、しかしサタンは多くの人を「火の池」に道連れにしたいため、そんな容易にはいかない、ゆえに苦しみに会ったり、はずかしめを受けたり、苦闘の状況に置かれたりした、そんな中でパウロは福音を語った



終末の今でも神の語りかけがあり、啓示、奥義が開かれる



本当に真の奥義であったら、パウロと似たような目に会う



人々から賞賛されたり喜ばれたりするのではなく、逆に辱めに会う、イエス様もそうだった、人々から頭を叩かれたり、罵られたり、つばを吐かれたりした



レムナントにおいても時としても、「ニュースレターを送らないでくれ!」と言ってくる人がいる



この世の神がサタンのゆえに色々と働く



パウロに関して結論としてサタンが裏にいる



もし本当に啓示が開かれたら、間違えても大歓迎ではない



今でこそパウロは大使徒と言われている、しかし生きている間は認められなかった、死後、人気が出た



もしもレムナントに真理があったら似たようなもの



人間的には評価とかは全く期待できない



真理を伝えていくときに順風ではなく、逆風の中を進む



見える形とは限らず、本物だったらあらゆる形で逆風が吹いてくる



たしかにパウロの福音はヨーロッパ全体に伝わった



そうかと言って、サタンはそれであきらめたわけではない



何が何でもひっくり返したいと、敵はいつでもチャンスを狙っている



パウロの時は、福音は純粋だった、しかし、サタンは変質させた



ゆえに変質した福音に対しては、妨害は無い



しかし本当の真理や隠れた啓示を語ることについては妨害する



パウロの歩みは例外的ではない、真理に関しては今でも同様であることを理解する



 



2:3 私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。



パウロは、わざわざこのように言っている



迷い(KJV):間違い



聖書に書かれていることの11つのことばには意味がある



聖書には神様が言われているパターンがある



キリスト教会の中で色々なムーブメント、教理、熱心な働きがある



その中に、ただの偽りに過ぎないもの、間違えたものがある



鳩のように素直に、しかし蛇のように聡く、色々と吟味しなければいけない



色々と間違いがある



Ex:ブラザレン系の教会は牧師を認めない、牧師を立てずに兄弟が順番にメッセージをしている→ゆえに変なものをつかんでいる



よくよく聖霊にあって見分けていく



御言葉は剣なので気をつける、命(永遠の命)に関わることなので見分けていく



熱心だからと言って真理とは限らない



しかもサタンはしつこく偽りを入れてくる



 



2:4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。



パウロはここで自分たちのことを称している



神に認められて(KJV):神に認定されて



わざわざこう書いている以上、神に認定されて福音を伝えている人と勝手にやっている人がいることが分かる



神が認定したら、認定の印がくる



たとえば車を運転するときもそうであるように、神の働きもそれに準じる



特に終末の啓示を開く働きに関しても同様のことが言える



終末の啓示に関しても神が認めて委ねられた人たちがいる、あるいはそういう教会がある



レムナントが特別そうだとは言いませんがパウロの時代もそうだったように、今の時代においてもそういったことを任された人々はいる



パウロは牢屋に入れられたりして色々とハンディがあった



ゆえにパウロの書簡が残った、これも神の選び



神に委ねられた人のメッセージが今でも残るし、今の時代も終末の啓示を教会なりに委ねられている、それに伴う啓示やしるしがある



どこかに神が委ねられる、今も委ねられて終末の仕事を任せる



1つのしるしは、本当に啓示が開かれていること



レムナントに、もし本当に啓示があったら名前はともかく、示されたことは語る



Ex: 十本の角についての啓示が開かれたのでニュースレターのメッセージにおいてそのことを語った→アメリカと世界が10に区分される、そして全世界を支配する等→これは1つのしるし、そしてレムナントで示されたことに関して徐々に真理を見るべき人が見たり、場合によっては出版物等で取り上げられたりしている



それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語る→福音に関して、パウロは神のほうを見ていた、神を見上げて語っていた



神の視点で語る



神の御心からズレたことをしてはダメ



パウロのことばを尊重したい



 



2:5 ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。



こういうのはNG



人におもねってしまうのはダメ



Ex:あなたがたがすばらしいので、神様は愛しているので艱難には会わせずに、艱難の前にキリストは来られる等→NG



 



2:6 また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。



このこと(使徒としての権威を主張すること)は、キリスト教会で起きている



人間の使徒とか権威とかをグーッと強調する方向



パウロはそういうことをしなかったのに、今のペンテコステの教会の多くは権威か強くなり、色々と弊害が出てしまっている



そういう教会では神よりも人に従い、誤りに入ってしまう可能性がある



これからこういう災いがキリスト教会で起きてくるという預言



人の権威が強くなり、御言葉に従わなくなる



参照 Ⅰサムエル記8:6,7



8:6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください。」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。



8:7 主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。



真の王は神ご自身、しかし、人を王として災いに入るという預言、そして、この時は現にそうだった



参照 Ⅰサムエル8:8,9



8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。



8:9 今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」



王の権利が強く、災いに入る



参照 Ⅰサムエル8:17,18



8:17 あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがたは王の奴隷となる。



8:18 その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。」



新約のクリスチャン、教会への預言



人の権威が強くなり、災いに入る



このような災いを黙示録でも預言されている



Ⅰサムエル記12章では「雷の災い」が来たことについて書いてあり、同じことが黙示録にも書かれている



参照 Ⅰサムエル記12:17,18



12:17 今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」



12:18 それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。



参照 黙示録4:5,8:5,11:19,16:18



4:5 御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。



8:5 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。



11:19 それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。



16:18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。



人の権力が強くなり、クリスチャンや教会に災いが現に起こっているし、これからも起きてくる



 



2:7 それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。



2:8 このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。



人が権威を持つことがいけないわけではなく、しかし主張し過ぎると災いに入る



 



2:9 兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。



2:10 また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。



パウロは働き人としてテサロニケの教会に働きに行った



ただ、しかしパウロはメッセージ、すなわちことばだけではなく、ふるまいも大事だと言った



主にあってことばもそうだし、それに伴うことを主の憐れみによってできるように祈り求めていきたい



働き人になったら敬虔に正しく、責められることがないようにふるまう→働き人を通して福音が広まるゆえ



 



2:11 また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、



2:12 ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。



働き人は父、母の役目もする、同じようなことがⅠテサロニケ1章にも書かれている



父の役目:ちゃんと正しいことが子どもたちに浸透するか?そのためにきちんと子どもをしつける



こういうことをきちんとなすべき



きちんと信者が御言葉に従える環境を整える



「御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩む」ということばに語りかけがある→ふさわしい人とそうでない人がいる



世の中では「か」差別は良くない!」という風潮がある、しかし神の前ではそういうことはないのでそのあたりに関して考え違いをしてはダメ



御国にふさわしい人は御国に入る、しかし神にふさわしくないと判断されたら入れない



このことは奥義、さりげなく書かれている、ゆえに本当に御国に入るつもりなら、見落としてはダメ



奥義に関して→Ex:賢い娘と愚かな娘、良い魚と悪い魚



こういうことは聖書に書かれているポイントの1つ



「ふさわしい」ということばに関して



参照 マタイ22:16,1114



22:1 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。



22:2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。



22:3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。



22:4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』



22:5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、



22:6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。



22:11 ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。



22:12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。



22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。



22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」



14:このことはイエスの時に実際に起きた、主はあらゆるところに招待をかけた、そして群衆はそれにあずかった、しかし最後はイエスのことをインチキだと言って十字架に付けた



主の初降臨の招待は再現する



主の初降臨の招待のおもしろいところは、それが偽物に見えたこと、そして主の再臨も同じようなパターンで来ると思われる 



Ex:セミナーで大事なことを語っている、しかし大半の人は話半分でまともに信じていない



5:「畑」は種を蒔くところ、すなわち御言葉と関係がある、ゆえに「畑」とは、伝道者、働き人のことを指す、しかし伝道者、働き人であっても、その日真理を見ない



Ex:ニュースレターを送り返してくる



「商売」とは、贖いに関することを言われている→ここでも働き人が大事なものを見ないということを言っている



6:本当の王のしもべは恥をかいたり殺されたりする、もし本物だったら良いことや誉れは無い



Ex:パウロは使徒の使徒、そして神からの真の啓示が彼にきていたのに生きている間、誉れは受けなかった



2つ良いことはない、どちらか1つ→この世でも賞賛されて、後の世においても誉れを受けるというようなことはない



1114:招待客として入っていても、礼服を着用していなかったために追い出されてしまった人がいる、つまりこういう人のことを「ふさわしくない」と言う



服を着ることと、「ふさわしい」ということばは関係がある



参照 黙示録3:4,5



3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。



3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表わす。



「ふさわしい」ということばと一緒に「衣」が出てくる



さっきのマタイの福音書のことに通じる



「白い衣」を着るように求めていかなければいけない



「白い衣」は、罪とか死とかと関係している



罪とか死とかに関して正しく聖霊にあって対応し、「白い衣」を着られるようにする



そして、このことは意外と難しい、なぜなら「白い衣」を得るのは、「幾人か」と書かれているから、神ご自身の判断なので各自で「義」を求めていきたい



もしふさわしくないと判断されたら、入れなかったり追い出されたりする



正しい白い衣を神の前に着ていきたい



 



2:13 こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。



事実どおりに神のことばとして受け入れてくれた(KJV):真理のことばとして受け入れてくれた



今のキリスト教会のトレンドや神学校は神のことばを人間的な視点で見たり類推したりしている、その結果、神のことばを信頼しなくなる→これは蛇(サタン)の巧みな罠



信じて受け入れる人には、神のことばが働く



人間的な視点だと、何かが変わることは無い



真理を信じて受け入れて決断していくときに、ことばとしての効力を発揮し、働いてくる、神のことばは働いてなんぼのもの



神のことば→働く場合と働かない場合がある



真理のことばとして受け入れていくときに働く



エレミヤ牧師の証:「イエスはたとえによらないで話されることはなかった」という御言葉を端から端まで受け入れることにした、そうしたら邪魔が入った、チェーンバイブルにこの御言葉について、「誇張的表現」と書いてあった、しかしこれは罠と判断し、「誇張的表現」ということばを却下して神のことばを信じたら、あらゆる啓示が開かれるようになった、たとえばセミナーにおいてメッセージをする際に、神のことばが効果的に働き、色々と真理が開かれたり、見えてきたりした



ポイント:まず、「信じる」という行動が大事、そうしたら働いてくる、信じた者に働く



 



2:14 兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったのです。彼らがユダヤ人に苦しめられたのと同じように、あなたがたも自分の国の人に苦しめられたのです。



神のことばを受け入れるときに恵みや祝福や助けが来るのではなく、苦しめられる



本当の真理なら、そんなに“OK,OK”で受け入れられない



我々が真理を語っていくならそんなもの



 



2:15 ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。



2:16 彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。



ここでユダヤ人のことを書いている



ユダヤ人のことを悪く言うと嫌な目に会う



しかし聖書に書かれているように語らなければいけない



特に今の時代の陰謀について知っている人はそうしていく



色々な裏の世界の総元締めはユダヤ人、厳密には偽ユダヤ人が全ての人の敵



あらゆる災いはユダヤ人から来る



Ex:共産主義→マルクス、原爆を発明→アインシュタイン、原爆の計画→オッペンハイマー



メディヤやインターネットの世界を支配、NSAというアメリカが個人情報を掴んでいる、その他、遺伝子組み換え等



ゆえにあらゆる人の敵になっている



御言葉からメッセージを語ることは大事、しかし陰謀に関してはユダヤ人が関係するのでこういう一面もみたい、だからと言って「陰謀のみ」なんていう風に偏ってはダメ、「陰謀」のことだけでなく、基本的には永遠の命に至る御言葉を追求する



また、福音に関して妨害していたり、強制収容所をはじめ迫害したりするのもユダヤ人



しかし、いずれ神からの御怒りが彼らに下され、キリストの再臨の時に滅ぼされる



 



2:17 兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので、――といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、――なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。



2:18 それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。



大事なことはサタンが妨げる



Ex:出版も妨害されている、しかし引かずにこのことを押していく



 



2:19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。



2:20 あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。



「冠」に関して Ex:オリンピックの金メダル



金メダルは普通にしていたら取れない、ものすごい訓練が必要



時間等も費やして得るべきものを得る



我々クリスチャンは主に会った時に「冠」をゲットしたい



クリスチャンが正しいところに入る時に「冠」になる



神の前に大事なものを得たい



自分の働きを通して人々が建て上げられたり見るべきものを見たりするなら「冠」になる、それを目指していきたい、目指すときに得るべきものを得る



Ex:セミナーの音声メッセージ等



どこで「冠」がつながっているか分からないので一生懸命働きを行っていきたい



どこで誰が救われるか分からない



この世のことはともかく、神の前に「冠」を求めていきたい



日々の奉仕が大いに実を結ぶので、こういったポイントについてもみていきたい