Ⅰテサロニケ人への手紙4章 2013.7.28,8.4



 



4:1 終わりに、兄弟たちよ。主イエスにあって、お願いし、また勧告します。あなたがたはどのように歩んで神を喜ばすべきかを私たちから学んだように、また、事実いまあなたがたが歩んでいるように、ますますそのように歩んでください。



4:2 私たちが、主イエスによって、どんな命令をあなたがたに授けたかを、あなたがたは知っています。



「クリスチャンとしてどのようにして歩むか?その歩みを通してどのように神を喜ばせるか?」について、「そのことを学んだでしょう?」と、パウロは言っている



そして「益々そのことに励んでください」と語っている



クリスチャンであっても神を喜ばせる歩みと、そうではなく反対に神を怒らせる歩みがある



人にも感情がある→良くしてくれる人、喜ばせてくれる人には心を許したり友達になったりする



神様も同じ、ゆえに神を喜ばせる歩みをしたほうが良い



黙示録には神の怒りについて記されている



神を喜ばせる歩みについて学び、歩み続けたほうが良い



クリスチャン生活の中で学び、そのことを続けていきたい



弟子の歩みをしていく中で、だんだんと分かってくる



喜ばれることを続けていくことにポイントがある



色々な人の意見があっても神のことばを真実とする、すると神を喜ばせることになる



人間的に不都合があっても神に喜んでいただくことにポイントがある



Ex:サルデス(プロテスタント)の教会の災いについて語る



神に啓示を求めていくときに主に喜ばれる→神の憐れみによって見て、悟れるようになる



益々そのこと(神に喜ばれること)を続けていきなさいとパウロは言っている



そこに恵みや祝福がある



 



4:3 神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、



4:4 各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、



4:5 神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、



不品行(KJV):性的な不道徳



このことは気をつけていきたい



からだ(KJV):



クリスチャンは聖霊の油を受ける器を聖く保つ



性的な不道徳、つまり肉体を伴う不道徳に入るな!と言っている



このことを正しく守らないと厳しく裁かれる、しかも厳しく警告しておいたと書いているので気をつけていきたい



器が汚されることに対して罰が来るので、よくよく気をつけていきたい



今の時代、世の中をあげて性的なことに問題が無いがごとく、不品行を煽るような風潮になっている Ex:テレビ、新聞、雑誌、インターネット等



このことに関して→①人間はそういう面に弱い②サタンが人の弱い部分を誘惑する



参照 Ⅰコリント6:1520



6:15 あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。



6:16 遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。



6:17 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。



6:18 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。



6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。



6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。



不品行→変な関係を持つことに通じる



16:関係を持つとキリストではなく遊女と一心同体になるので御国に入れなくなる



18:具体的に罪を犯すのは避ける、人間の弱い部分なのでサタンが罪にいざなう、しかし、結果としてキリストに対して罪を犯す方向へ引っ張るので避けていく



 



4:6 また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。なぜなら、主はこれらすべてのことについて正しくさばかれるからです。これは、私たちが前もってあなたがたに話し、きびしく警告しておいたところです。



不品行に関して、「問題が無い」と言ってはダメ



ずっと罪を犯し続けてそんなことを言ってはダメ→欺いたら裁かれる



参照 へブル13:4



13:4 結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。



裁きをもたらしてしまうので気をつける



もし、そういったことに陥ってしまったら歩みを糾し、神の怒りを買うことのないようにする



 



4:7 神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。



4:8 ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖霊をお与えになる神を拒むのです。



不品行の罪を犯してしまうと聖霊に対する罪になる



参照 マラキ書2:1316



2:13 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と、悲鳴と、嘆きで主の祭壇をおおっている。主がもうささげ物を顧みず、あなたがたの手から、それを喜んで受け取らないからだ。



2:14 「なぜなのか。」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若い時の妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。



2:15 神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。



2:16 「わたしは、離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう。」と万軍の主は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。



結婚している場合、伴侶を裏切ってダメ



ただし、このことにはたとえがある



私たちクリスチャンはキリストを信じた時に一体となった



この箇所においてクリスチャンは男女問わず皆「男」にたとえられ、聖霊は「妻」にたとえられている



罪が嘆きと涙と悲鳴をあげている→聖霊の嘆きがある



不忠実なクリスチャンの奉仕や祈りは受け取らないと主は言っている



15節は創世記のアダムとエバのこと



霊の残り:聖霊



聖霊と正しい関係を持つなら、霊の子孫が生まれる→御国に入る



あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。→聖霊を裏切ってはダメ



Ⅰテサロニケの手紙では、聖霊を裏切ったという罪について言っている



ちなみに6節に書かれている「さばかれる」とは、「復讐する」という意味合い



妻を裏切った厳しい報いが来る



聖霊を受けたのは大変なこと



素晴らしい恵みがあり、導いてくださる、しかし一面、諸刃の剣になる→マラキ書の悲鳴と嘆きに通じる、ゆえに報いを受けてしまう



霊的な罪もそうだけれども、肉体においての不品行は特に重い罪になる



ゆえにサタンが色々とそういう方向に引っ張るように仕向けてくる、しかし言い訳はきかない



意味のあることなので、逆に気をつけていきたい



逆に、常に聖霊の声に聞き従っていくときに主からの祝福に入る、色々なことを聖霊が語ってくださる



聖霊は歩みをよく助けてくださる、問題を教えてくださる



聖霊の声を尊重し、それに聞き従うときに入るべきところに入る



聞き従うときにキリストの似姿へと変えられていく



聖霊は諸刃の剣なので気をつけていきたい



 



4:9 兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。



4:10 実にマケドニヤ全土のすべての兄弟たちに対して、あなたがたはそれを実行しています。しかし、兄弟たち。あなたがたにお勧めします。どうか、さらにますますそうであってください。



兄弟愛を益々強める



参照 ヨハネ13:34、ローマ12:10、Ⅰヨハネ4:7



13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい



12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。



4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。



この世の愛と聖書が語っている愛は違う



参照 Ⅰコリント13:46



13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。



13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、



13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。



愛は寛容(KJV):被害を耐える→人から、場合によっては教会の人から被害を被ったとしても、それに耐え忍ぶ



未信者もそうだけれども、場合によってはクリスチャンでも自分の要求を言って我慢しない時代



愛がどんどん冷えていく時代



「寛容」は愛の1つ



たしかに今は愛の無い時代、しかし人から害を受けたり意に反することがあっても、それを耐えていくという一面がある



愛=我慢する、人のした事柄に耐える



愛を実践していくときに、どこかで耐え忍んでいかなければいけない



理不尽だったり、損だったりしても、そういう面がある



害を受けても我慢、こういうことにおいても御心を行っていきたい



 



4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。



4:12 外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。



クリスチャン生活の中で、自分の手で働けと言っている



パウロが言っているように原則として、「自分の手で働く」ということに目を留めておく



クリスチャンであったとしても、こういうことが大事



それは1つの証になる



働いていれば生活するのに不自由することがない



男性、女性、それぞれの持ち場立場に応じて仕事が与えられている



クリスチャンでも勘違いしてしまう人がいる



「絶対にこの世の仕事をしてはいけない」と考えてしまう人がいる



信仰に生きるのでこの世の仕事をしないと言う人がいる



献金があれば別として、そうでない場合はこの世の仕事をする



信仰という名のもとに、極端な生き方については聖書において語っていないように思う



 



4:13 眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。



4:14 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。



眠った人々:艱難時代に殉教した人々のこと



このことに関してイエスの歩みが平行して書かれている



イエス・キリスト:十字架の死→三日目に復活



艱難時代の殉教者;殉教(艱難時代)→三日半の後よみがえる、復活する



「死」を艱難時代で経験したとしても、永久の別れではない



イエスも葬式の間もなくすぐによみがえった



艱難時代が終わったら速やかに復活する



速やかに復活するので「眠る」という表現を使っている



「眠る」とは、ほんの少しの間、別れるというニュアンス



こういう考え方を艱難時代に持っていなければいけない、そうでないと惑わされてしまうから



この世の人は肉体の体が一番



生死観に関して正しい知識を持っていないとひっくり返されてしまう、多くのクリスチャンにこういった知識が無い



多くの人はそこを読まずに勘違いしているので望みを持っていない Ex:二人の預言者



主の十字架の死&復活は「初穂」、ゆえに残りの人(キリストに準じる歩みをしている人)も同じ実を結ぶ



 



4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。



殉教者が先、しかし生き残った人も後に携挙される



 



4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、



主が天から下って来ることについて



参照 出エジプト記19:10,11



19:10 主はモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。



19:11 彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、主が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。



キリストの再臨と同じことを指す



「三日目」ということばに語りかけがある



一日は千年と言われているので、今はキリストの時から数えると三日目のミレニアム



ここでも「ラッパ」の響きについて書いてある



参照 出エジプト記19:16,19,20



19:16 三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。



19:19 角笛の音が、いよいよ高くなった。モーセは語り、神は声を出して、彼に答えられた。



19:20 主がシナイ山の頂に降りて来られ、主がモーセを山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登って行った。



角笛:新約聖書で言う「ラッパ」のこと



ラッパの響きの中に降りてこられる→キリストの再臨と似ている



参照 出エジプト記19:14



19:14 それでモーセは山から民のところに降りて来た。そして、民を聖別し、彼らに自分たちの着物を洗わせた。



着物を洗って白くしなければ神に会えない、このことはサルデスの教会とも符号する



参照 黙示録3:4



3:4 しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。



出エジプト記20:317では十戒のことを言っている



これはキリストが再臨をする時のことに通じる



キリストは再臨の時に何をするのか?→主はその日、十戒に基づいて民を裁く



もう、これからキリスト教会が神のことばと関係が無くなっていく



この世についた教会は別として、神の前に真の教会がほとんど消失していく



そういう状態の真只中に十戒を持った神が降りて来る



変わらない神のことば(十戒)に沿って裁かれる



そこには何の分け隔てもない



今の時代はみことばが幽霊しているので多くのクリスチャンが裁きに会う



プロテスタントも更に背教していく



状況、周りのクリスチャンや教会が変わっても、変わることのないみことばに忠実に歩んでいく



モーセの時代と同じ神様がみことばに沿って正しく裁く



キリストの再臨とは、そういうことを言っている



益々みことばに沿って忠実に歩んでいきたい→その日、祝福になる



 



4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。



4:18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。



キリストの再臨の時に賢い花嫁がキリストに会う



小羊の婚姻がキリストの再臨の時に成就する



「空中で主に会う」ことの意味合いについて



エレミヤ牧師の類推→地に降りて来ないというのは、地が裁きに会うから



地球も太陽も燃え尽きて滅んでしまうから、ゆえに地から挙げられないとダメ



Ex:ノアの箱舟→箱舟に入った人は大洪水の滅びから免れた



終末、このことは再現する、8人だけが箱舟に入って辛うじて助けられた



辛うじて救われるのは空中に挙げられる人だけ、その時地上に滅びが来るのでは?



書かれたみことばがすべて成就する日が来るのを見る



地や太陽はサタンの舞台、しかし滅びに定められている、ゆえにこの世にくっついてはダメ、サタンや世と一緒に滅んでしまうから



「空中」の意味合いとして、地や世から離れていくことをも言われているのでは?



この警告をちゃんと受け止めて正しく歩んでいきたい