Ⅰテモテへの手紙2章(1-7節) 2013.10.20
2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
このことは、そのまま実行する
すべての人&王と権威ある人のために祈り、とりなす
こういうことでも、みことばを守る
そうするなら、2節のみことばが成就する
王:この世の総理大臣や権威ある人のことだけでなく、教会の牧師や指導者のことも言われている
権威に逆らうと、自分の首を絞めることになる、教会が崩壊し、まともな信仰生活が行えなくなる
深く考えずに、祈ってとりなすことが正しい
2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
これは事実
「救い」について
参照 マタイ8:24,25
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」
助けてください:救ってください
滅びの中から救われる
人は皆、誰も彼も滅びるのが当然、普通の人は地獄、滅び
しかし、例外的にそこから救われる
「救い」に関して、例外的なことを求めていることを理解する
本当は全ての人が当然のように滅びに向かって行く
でも、例外的に救われる
参照 ルカ12:58
12:58 あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。
「あなたを告訴する者」とは、神さまのことを指している可能性がある、ゆえに神さまとちゃんと「和解」しないと裁かれる
人生は短い、その間にちゃんと神と和解する
多くの人は、結局は真理を見ない
この世の人は真理を見ない、クリスチャンでもそう
この世の人は根本的なことは何も分かっていない、大事な真理を何も見ていない
しかし、クリスチャンであっても、ちゃんと求めないと真理を見ない
Ex:ヨセフの物語の意味合い→日本の今、知るべき大事な真理
案外真理を知られていない、でも、知っているなら主の特別な恵みによって真理を見ている
2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
参照 出エジプト記32:3-34
32:30 翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」
32:31 そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。
32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」
32:33 すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。
32:34 しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」
民が罪を犯してしまった、その時にモーセが神と人の間に立ってとりなしをしている、しかも32節にあるように、真摯にとりなしている
そしてモーセのとりなしは聞かれた→結果として神さまが災いを留めてくださったり、思い直してくださったりした
同じことを主が成してくださる
罪を犯してしまうことや絶望することがあるかも知れない
ただし仲介者(イエスさま)がいて、とりなしてくださる、ゆえに絶望することはない
とりなしてくださるので、希望が沸いてくる
2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
贖いの代価(KJV):身代金
私たちの負債(一万タラント)は支払われた
主の憐れみによって贖いの代価は払われた、犠牲を払ってくれた
主のために生きるのが正しい
主のために生きるようになって、自分の命を救うようになる
神さまのために奉仕することは、命を救うことに通じる
時至ってなされたあかし(注釈):時に至ってなされるべき証
肝心の民に贖いのことが知らされていない
しかし、しかるべき時にこのことは明らかになる、開かれる
2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。
その時になったのでパウロが遣わされた
その働き(奥義や啓示を語る働き)にパウロは任じられた
終末も同じ→封印が開かれる
その時までは閉ざされていても終末の啓示も、その時になって開かれてくる
終末の啓示も神が誰かを任命する
任命される人が出てくる→信仰と真理を教える働きが起こされる
そのことに関して、今まで聞いたことがないと言われても不思議ではない、場合によっては拒否されることもある、しかしこれは聖書的
ではあっても、任じられたら忠実にその働きを行っていきたい
レムナントキリスト教会
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