Ⅰテモテへの手紙2(17) 2013.10.20

 

2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

このことは、そのまま実行する

すべての人&王と権威ある人のために祈り、とりなす

こういうことでも、みことばを守る

そうするなら、2節のみことばが成就する

:この世の総理大臣や権威ある人のことだけでなく、教会の牧師や指導者のことも言われている

権威に逆らうと、自分の首を絞めることになる、教会が崩壊し、まともな信仰生活が行えなくなる

深く考えずに、祈ってとりなすことが正しい

 

2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。

2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

これは事実

「救い」について

参照 マタイ8:24,25

8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。

8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」

助けてください:救ってください

滅びの中から救われる

人は皆、誰も彼も滅びるのが当然、普通の人は地獄、滅び

しかし、例外的にそこから救われる

「救い」に関して、例外的なことを求めていることを理解する

本当は全ての人が当然のように滅びに向かって行く

でも、例外的に救われる

参照 ルカ12:58

12:58 あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。

「あなたを告訴する者」とは、神さまのことを指している可能性がある、ゆえに神さまとちゃんと「和解」しないと裁かれる

人生は短い、その間にちゃんと神と和解する

多くの人は、結局は真理を見ない

この世の人は真理を見ない、クリスチャンでもそう

この世の人は根本的なことは何も分かっていない、大事な真理を何も見ていない

しかし、クリスチャンであっても、ちゃんと求めないと真理を見ない

Ex:ヨセフの物語の意味合い→日本の今、知るべき大事な真理

案外真理を知られていない、でも、知っているなら主の特別な恵みによって真理を見ている

 

2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

参照 出エジプト記32:334

32:30 翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。それで今、私は主のところに上って行く。たぶんあなたがたの罪のために贖うことができるでしょう。」

32:31 そこでモーセは主のところに戻って、申し上げた。「ああ、この民は大きな罪を犯してしまいました。自分たちのために金の神を造ったのです。

32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら――。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

32:33 すると主はモーセに仰せられた。「わたしに罪を犯した者はだれであれ、わたしの書物から消し去ろう。

32:34 しかし、今は行って、わたしがあなたに告げた場所に、民を導け。見よ。わたしの使いが、あなたの前を行く。わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。」

民が罪を犯してしまった、その時にモーセが神と人の間に立ってとりなしをしている、しかも32節にあるように、真摯にとりなしている

そしてモーセのとりなしは聞かれた→結果として神さまが災いを留めてくださったり、思い直してくださったりした

同じことを主が成してくださる

罪を犯してしまうことや絶望することがあるかも知れない

ただし仲介者(イエスさま)がいて、とりなしてくださる、ゆえに絶望することはない

とりなしてくださるので、希望が沸いてくる

 

2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

贖いの代価(KJV):身代金

私たちの負債(一万タラント)は支払われた

主の憐れみによって贖いの代価は払われた、犠牲を払ってくれた

主のために生きるのが正しい

主のために生きるようになって、自分の命を救うようになる

神さまのために奉仕することは、命を救うことに通じる

時至ってなされたあかし(注釈):時に至ってなされるべき証

肝心の民に贖いのことが知らされていない

しかし、しかるべき時にこのことは明らかになる、開かれる

 

2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

その時になったのでパウロが遣わされた

その働き(奥義や啓示を語る働き)にパウロは任じられた

終末も同じ→封印が開かれる

その時までは閉ざされていても終末の啓示も、その時になって開かれてくる

終末の啓示も神が誰かを任命する

任命される人が出てくる→信仰と真理を教える働きが起こされる

そのことに関して、今まで聞いたことがないと言われても不思議ではない、場合によっては拒否されることもある、しかしこれは聖書的

ではあっても、任じられたら忠実にその働きを行っていきたい