Ⅱ列王記1

 

1:1 アハブの死後、モアブがイスラエルにそむいた。

アハズヤの前はアハブでアハブの奥さんはイゼベル イゼベル:参照 黙示録

未来の教会にあらわれる予表 旧約聖書を学ぶ=未来を見る

カソリックの予表:アハブ、イゼベル(北イスラエルの代表)

旧約の時代、神の民が2(北イスラエル、南イスラエル)に分かれていた、

このことは、新約も同じ(カソリック、プロテスタント)

北イスラエルのほうが大きい、しかし、神の御心はユダにあった

なぜならカソリックは神の御心から外れているから

 

1:2 さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい。」と命じた。

バアル・ゼブブ:ハエの王(ベルゼブル) 出エジプトにも、ハエの災いがある(悪霊に祈っている)

アハズヤだけの問題ではなく、北イスラエル(カソリック)全体の問題

聖書はいつも本質をとらえている、ズバリ言う、お世辞は無い

すべての教会がまともだと限らない→霊的なことを吟味する、狭い門を見出せるように求める

 

1:3 そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。

1:4 それゆえ、主はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」それで、エリヤは出て行った。

主なる神に祈ったら、癒される、何を拝むかで変わってくる

死んでしまうことに関して、言わなければならない

 

1:5 使者たちがアハズヤのもとに戻って来ると、彼は、「なぜあなたがたは帰って来たのか。」と彼らに尋ねた。

1:6 彼らは答えた。「ひとりの人が私たちに会いに上って来て、こう言いました。『あなたがたを遣わした王のところに帰って行き、彼に告げなさい。主はこう仰せられる。あなたが人をやって、エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てるのは、イスラエルに神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」

1:7 アハズヤは彼らに尋ねた。「あなたがたに会いに上って来て、そんなことをあなたがたに告げた者は、どんな様子をしていたか。」

本当はキリストに聞くべきなのに、別のものに聞いている、それが問題→キリストの声を聞いていないことが問題

 

1:8 彼らが、「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした。」と答えると、アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ。」と言った。

1:9 そこで、アハズヤは五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂にすわっていた。彼はエリヤに、「神の人よ。王のお告げです。降りて来てください。」と言った。

1:10 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。

1:11 王はまた、もうひとりの五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。彼はエリヤに答えて言った。「神の人よ。王がこう申しております。急いで降りて来てください。」

1:12 エリヤは彼らに答えて言った。「もし、私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたと、あなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼と、その部下五十人を焼き尽くした。

参照 黙示録11:5 2人の預言者→天から火が下ってきて、焼き尽くした

:霊的なたとえEx:舌のような炎 人を滅ぼす→悪霊

神の人(神の働き)を攻撃しようとすると災いが下る→火が下って敵に滅ぼし尽くされる、

変な霊に惑わされてしまう

 

1:13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けください。

1:14 ご承知のように、天から火が下って来て、先のふたりの五十人隊の長と、彼らの部下五十人ずつとを、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちはお助けください。」

1:15 主の使いがエリヤに、「彼といっしょに降りて行け。彼を恐れてはならない。」と言ったので、エリヤは立って、彼といっしょに王のところに下って行き、

1:16 王に言った。「主はこう仰せられる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てにやったのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは、上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」

1:17 王はエリヤが告げた主のことばのとおりに死んだ。そしてヨラムが代わって王となった。それはユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年であった。アハズヤには男の子がなかったからである。

1:18 アハズヤの行なったその他の業績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

真の神に聞かずに、他のものに聞くと滅びる

15節に書かれているように、エリヤの働きに携わり、主に言われたら、王のところに行かなければならない

主に言われたら、どこにでも言って、言わなければならない

言われたことをきちんとやっていくことにポイントがある

神からの言葉だったら語る 神がどなたかを遣わして語ったら、そのことは実現する

主が語ったら、語っていきたい