Ⅱ列王記24

 

24:1 エホヤキムの時代に、バビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来た。エホヤキムは三年間彼のしもべとなったが、その後、再び彼に反逆した。

24:2 そこで主は、カルデヤ人の略奪隊、アラムの略奪隊、モアブの略奪隊、アモン人の略奪隊を遣わしてエホヤキムを攻められた。ユダを攻めて、これを滅ぼすために彼らを遣わされた。主がそのしもべである預言者たちによって告げられたことばのとおりであった。

神の方法を正しくとらえる

サタンがカルデヤ人たちを送ったのではなく、主が送った

背教のゆえに、略奪隊を送った

教会が背教に入っていくならば、略奪隊が遣わされる Ex:NIV6万語削除の聖書等

 

24:3 ユダを主の前から除くということは、実に主の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、

ユダ:今でいう「プロテスタント」最も愛された民

プロテスタントも歴史の終わりには、神の民から排除されてしまう

 

24:4 また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった。

プロテスタントが裁かれる大きな要因になったのは、マナセの罪:罪の無い者の血を流した

参照 黙示録6:9-11

神の民の首都(エルサレム:教会)で、殉教者の血が流される

 

24:5 エホヤキムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

24:6 エホヤキムは彼の先祖たちとともに眠り、その子エホヤキンが代わって王となった。

24:7 エジプトの王は自分の国から再び出て来ることがなかった。バビロンの王が、エジプト川からユーフラテス川に至るまで、エジプトの王に属していた全領土を占領していたからである。

24:8 エホヤキンは十八歳で王となり、エルサレムで三か月間、王であった。彼の母の名はネフシュタといい、エルサレムの出のエルナタンの娘であった。

24:9 彼は、すべて先祖たちがしたとおり、主の目の前に悪を行なった

「すべての先祖たちがした通り」に、語りかけがある

今までの習慣を踏襲して右にも左にもそれずに歩んだ

人間的には順調 しかし、主の前には悪を行った

今は新約の終わりで、すでに曲がった時代

だから同じことをしていたら、裁かれてしまう

聖書の教理に正しく立つ→主の前に良いこと

神の前にどうかが、ポイント 自分で善悪を判断する

 

24:10 そのころ、バビロンの王ネブカデネザルの家来たちがエルサレムに攻め上り、町は包囲された。

24:11 バビロンの王ネブカデネザルが町にやって来たときに、家来たちは町を包囲していた。

24:12 ユダの王エホヤキンは、その母や、家来たちや、高官たち、宦官たちといっしょにバビロンの王に降伏したので、バビロンの王は彼を捕虜にした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。

バビロンがユダに襲いかかった ユダは戦ったけれど、負けてしまった

バビロン:アメリカ由来の教理

バビロンがキリスト教界(プロテスタント)を包囲し、負けてしまう

再臨教理に関して、バビロンに敗北している

敵の手に渡った教理:捕虜にされた

 

24:13 彼は主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが造った主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。主の告げられたとおりであった。

バビロンによって、金(信仰)が根こそぎにされる

バビロンに占領された世界にいる→キリスト教界

 

24:14 彼はエルサレムのすべて、つまり、すべての高官、すべての有力者一万人、それに職人や、鍛冶屋もみな、捕囚として捕え移した。貧しい民衆のほかは残されなかった。

すべての教会のトップ:有力者、職人、鍛冶屋が、バビロンに捕らえ移された

 

24:15 彼はさらに、エホヤキンをバビロンへ引いて行き、王の母、王の妻たち、その宦官たち、この国のおもだった人々を、捕囚としてエルサレムからバビロンへ連れて行った。

24:16 バビロンの王は、すべての兵士七千人、職人と鍛冶屋千人、勇敢な戦士を、すべて、捕囚としてバビロンへ連れて行った。

鍛冶屋:刀や槍を作る人(教理を作る人)→捕囚されてしまった

このことは、新約において、すべて再現する

 

24:17 バビロンの王は、エホヤキンのおじマタヌヤをエホヤキンの代わりに王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。

24:18 ゼデキヤは二十一歳で王となり、エルサレムで十一年間、王であった。彼の母の名はハムタルといい、リブナの出のエレミヤの娘であった。

24:19 彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目の前に悪を行なった。

24:20 エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。その後、ゼデキヤはバビロンの王に反逆した。

神の前からユダは投げ捨てられた