Ⅱ歴代誌19章 2011.6.26
19:1 ユダの王ヨシャパテは無事に自分の家に帰り、エルサレムに戻った。
ユダ族にも色々な王がいる
祝福の王と怒りを招く王とがいる
旧約の王は、新約の私たちへの語りかけ
祝福にあずかるクリスチャンとそうでないクリスチャンとがいる
しかし、勘違いしないでくださいね、神様が違うわけではありませんので・・・
神様は公平であり、お一人お一人の鏡みたいなお方なので、お一人一人がどのように神様を求め、歩んでいくかによって、結果が大きく変わってしまう
その人の歩みが神様の前にストレートに反映され、戻ってきてしまう
正しく求め、主に言われたことを行っていく人が助けを受け、恵みや祝福に入っていく
その人自身の歩みが映ってしまう
19:2 すると、先見者ハナニの子エフーが彼の前に出向いて来て、ヨシャパテ王に言った。「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛してよいのでしょうか。これによって、あなたの上に、主の前から怒りが下ります。
預言者は主の言葉を正しく語る→「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛してよいのでしょうか。これによって、あなたの上に、主の前から怒りが下ります。」と。
ちなみに北のイスラエルは10部族、南のユダよりも多い
人間的には北イスラエルを助けることは悪いことだとヨシャパテは思っていなかった、しかし、このことは神の怒りを招いた
これは、今の時代にも当てはまること
旧約の北のイスラエルは、新約のカソリックを指す、ゆえに、エキメニュカル推進に御心は無いことを正しく理解する
たとえ同じ部族(カソリックもプロテスタントも神様を信じるという意味合いにおいてはクリスチャンと名が付く)であっても、主を憎む者や悪者を助けるのはNG、このことには全く御心は無い
カソリックに、どのように対応していくのか?
これからカソリックとプロテスタントは接近してくる
ヨシャパテは間違えてしまった、しかし、このことは私たちが同じ失敗を繰り返さないための語りかけであることを理解する
最近、両者(カソリック&プロテスタント)の合同が増えている
Ex:カソリックの教会にプロテスタントの牧師が招かれてメッセージを語る、反対に、プロテスタントの教会にカソリックの教会の神父を招く
神が「悪者、憎むべき者」と見なしたら、その通りであることを正しく理解する
もし、その言葉に従わないなら、御怒りを招く
神は怒りやムチを下す神、そのパターンを見る
ヨシャパテのように、たとえ王と呼ばれる人であっても、御心でない道を歩むなら神様から怒りや罰が下される
ちなみに、ヘブル人への手紙には、愛する者をムチ打つ神であることについて書かれている
このことは、他人事ではない
クリスチャン生活は同じパターンで主に導かれる
罪や過ちを犯すときに、罰が下される→しかし、このことは、私たちが益を受けるためであることを見ていく
このことに気づき、こういったことについてきちんと理解していないと、空しいクリスチャン生活になる
しかし、私たちが、神の怒りや罰に懲りて歩みを正すなら、祝福に入る
神の怒りや罰をきちんと悔い改めるなら祝福を得る
このことは、今のクリスチャン人生と無縁ではない
あらゆる災いは無意味に起こっているわけではないことを正しくとらえていく
神の怒りが下されるのは、私たちのためであることを正しく理解する
正しく歩まないときに、神様はきちんと怒り、罰を下される、このことは誰に対しても同じこと
19:3 しかし、あなたには、良いことも幾つか見られます。あなたはこの地からアシェラ像を除き去り、心を定めて常に神を求めて来られました。」
ヨシャパテの素晴らしいところについて書かれている→神から祝福を得て、災いから逃れてきた
参照 Ⅱ歴代誌17:3-5
父に求め、富と誉れのクリスチャン生活に入った
では、どのように求めたのか?
参照 Ⅱ歴代誌20:1-3
大軍が来たときに、ひたすら主に助けを求めた、その結果、主からの助けが来た
祈りの中で助けられ、勝利を得た
参照 Ⅱ歴代誌20:22
基本は主に助けを求める、そのために祈る、とにかく主に祈り求めること!!そうするなら、主の栄光を見たり助けを得たりする
建前ではなく、その都度祈り求めていくときに、助けを得、栄光を見る
そのことを実際に体験していくがポイント
それは、信仰を求めていく良い訓練になる、このことは神様の栄光を見る大きな秘訣とも言える
助けを求めるために祈る、主にのみ頼ることに大きなポイントがある
ヨシャパテのように、祈るときに、助けや栄光を目の当たりにするようになる
19:4 ヨシャパテはエルサレムに住んだ。それから、彼はもう一度ベエル・シェバからエフライムの山地に至る民の中へ出て行き、彼らをその父祖の神、主に立ち返らせた。
真の神に頼ることは、非常に大事なこと
19:5 さらに、彼はこの地、すなわち、ユダにあるすべての城壁のある町々にさばきつかさを立て、町ごとにこれを任命し、
19:6 さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行なわれるとき、あなたがたとともにおられるのです。
19:7 今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」
町ごとに、さばきつかさがいる
さばきつかさは、神の前に忠実に行う
19:8 なお、ヨシャパテはエルサレムでは、レビ人と祭司の中から、またイスラエルに属する一族のかしらたちの中から、主のさばき、および訴訟に携わる者たちを任命していた。エルサレムに帰ったとき、
レビ人、祭司等、宗教的な事柄について
19:9 彼はこの人々に次のように命じた。「あなたがたは、主を恐れ、忠実に、また全き心をもって、このように行なわなければなりません。
19:10 おのおのの町に住んでいるあなたがたの兄弟たちから、あるいは互いの流血事件について、あるいは律法、命令、おきて、定めなどについて、あなたがたのところに訴訟が持ち込まれた場合には、いつでも、あなたがたは、彼らが主に対して罪を負い、その結果、あなたがたとあなたがたの兄弟たちの上に御怒りが下ることのないよう、彼らに警告を与えなければなりません。あなたがたはこのように行ないなさい。そうすれば罪を負わずに済むのです。
19:11 ご覧なさい。あなたがたの上のかしら、祭司アマルヤは、主の事がら全体に当たります。また、ユダの家のつかさイシュマエルの子ゼバデヤは王の事がら全体に当たってくれます。さらに、あなたがたの前のレビ人はつかさです。勇気を出して実行しなさい。主が善人とともにいてくださるように。」
●裁き、訴訟に携わる人たちがいる
分裂分派、御言葉の解釈について正しく裁く
教会のそういった奉仕に携わる人は、主を恐れ、そのことを忠実に行う
あらゆる御言葉に関しての問題や教会内の争い・分裂分派や教会の方針に対して御怒りが下らないように神の前に正しい判断を求める
このような働きに携わる人たちは、正しい判断が出来るように祈り求め、正しく行っていく
自分の意見や思いつきを言うのではなく、神に聞いて正しい判断を行う、そうでないと、神の怒りが下る
●アメリカ:背教の先進国
キリストだけに救いがあると言うのは、宗教的に非寛容とかの嘘の教えがある
キリスト教界は正しい聖書の真理から離れる方向へすすんでいることを理解する
Ex1:原理主義者(聖書に忠実な人という意味合い)がテロリスト扱いをされる、聖書に忠実であるこということが言いづらい等
しかし、そのような世論を受け入れ、原理主義者をやめるという考えは、間違えた判断
Ex2:同性愛賛成→このことに反対したり指摘をしたりしようものなら、性同一障害の尊厳を無視することになると言われてしまう、しかし、これは (同性愛賛成論のこと)、サタンのような論理であり、間違えである
ゆえに、さばきつかさは、正しく罪を判断し、誤りや間違えについての警告を語っていく
「正しいのは、こうです」と、はっきりと言っていくことは大切なこと、しかも人々を助ける働きにも通じる
そのためにも、聖書を正しく理解する
また、もし、知らないで、間違えたことを行った場合でも、神の怒りは下る
Ex:マリヤ崇拝
たとえ、律法を知らなくても、神の怒りは定められたように下る
そういった意味合いにおいても、見違えたことを指摘する奉仕は大切だということを理解する
レムナントキリスト教会
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