Ⅱ歴代誌23章 2011.7.31
23章を見る前に・・・
王の子が王
ここで二人の王が並立
エホヤダが立てた王:ヨアシュ(王の子ども)
しかし現に王になっているのは女性のアタルヤ
しかもアタルヤはダビデの血筋とは全く関係が無い→殺された
このことに関しての語りかけを見る
アタルヤが王というのは特殊なこと
23:1 その第七年目に、エホヤダは奮い立って、エロハムの子アザルヤ、ヨハナンの子イシュマエル、オベデの子アザルヤ、アダヤの子マアセヤ、ジクリの子エリシャファテなど、百人隊の長たちを連れて来て、彼と契約を結ばせた。
23:2 それで彼らはユダを巡回し、ユダのすべての町々からレビ人を集め、イスラエルの一族のかしらたちを集めたので、彼らはエルサレムに来た。
23:3 こうして、全集団が神の宮で王と契約を結んだ。そのとき、彼はこう言った。「ご覧のとおり、主がダビデの子孫について約束されたように、王の子が王となるのです。
今まで必ず王の子が王となることが続いていた→万世一系のダビデ王朝
しかも、ずっと男だったのに女が王になった
しかも律法的にも違っていた
このことには、たとえの意味合いがある
女性は「教会」のことを指す:結婚関係において夫であるキリストの花嫁と考えるのが正しい
アタルヤの問題点:本来、男が王となるのに女が王となった
このことは黙示録に実現した→あってはならないこと、特殊なこと
参照 黙示録18:7
18:7 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない』と言うからです。
上記御言葉はバビロンに関しての記述
女王:女の王
キリストをさしおいて自分が王となり勝手にコントロールしている→アメリカの教会がそのことを行っている Ex:同性愛を批難してはいけない等
キリストの御言葉をとばして違うことを言って治めている
アタルヤを通して皆殺しが起こり、とんでもないことが起こっている
終末の教会の問題点:自分の考えを押し通し、キリストの言うことと反対のことを言っている→裁かれてしまう
神学においてもフェミニズムが強調されている→NG
キリストが王なので、その子どもが王となるのが正しい
23:4 あなたがたのなすべきことはこうです。あなたがた、祭司、レビ人の三分の一は安息日に勤務し、入口にいる門衛となる。
23:5 三分の一は王宮におり、他の三分の一は礎の門にいる。すべての民は主の宮の庭にいる。
すべての民(一般の信者)は庭にいる、宮の中はレビ人がいる→この区分を正しく理解する
23:6 祭司と、レビ人で仕えている者たちは聖であるから、はいってもよいが、それ以外の者は、主の宮にはいってはならない。すべての民は主の戒めを守らなければならない。
主の弟子たちがキリストの働きを担う Ex:4000人の給食、キリストが裂かれたパンを渡したのは弟子たち→メッセージの型、つまり御言葉を渡す働きは弟子たちの仕事
このことは聖書で非常に厳格に言われている
穀物の捧げ物(神の言葉を扱う働き)は弟子の歩みの人
レビ人の歩みの1つの特徴:聖となり、だんだんと、きよくなっていく
主に仕える歩みをしていくときに、きよくなっていく→主の中心の働きを担うことが許されていく→主の奉仕に入る
23:7 レビ人は、おのおの武器を手にし、王の回りを取り囲みなさい。宮にはいって来る者は殺されなければならない。あなたがたは、王がはいるときにも、出るときにも、いつも王とともにいなさい。」
誰彼でも勝手に入って奉仕をしたらダメ→(たとえ、肉体は生きていても霊的に)死んでしまう
23:8 レビ人およびすべてのユダの人々は、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行なった。おのおの自分の部下、すなわち安息日に勤務する者、安息日に勤務しない者を率いていた。祭司エホヤダが各組の任を解かなかったからである。
23:9 祭司エホヤダは百人隊の長たちに、神の宮にあったダビデ王の槍、盾、および丸い小盾を与えた。
23:10 彼はすべての民にひとりひとり手に投げ槍を持たせて、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の回りに立たせた。
丸い小盾:たとえの意味合いがある
参照 エペソ6:16
6:16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
ゆえに「盾」とは信仰のこと
信仰をもって主に仕えていく
23:11 こうして彼らは、王の子を連れ出し、彼に王冠をかぶらせ、さとしの書を渡して、彼を王と宣言した。そしてエホヤダとその子たちが彼に油をそそぎ、「王さま。ばんざい。」と叫んだ。
王となるというときに必ず油(聖霊の)をかける
今の神の家において王となるのは聖霊
真の教会は聖霊が王→聖霊を王としていくときに間違いが無い
真の王:聖霊御自身→実行していくときに祝福に入る
聖霊がどのように導くか?聖霊の導きを日々祈り求める
Ex:教会のHPについて祈った→幻が示された→実行した→真理を見る人がいる
聖霊御自身が導かれるときに例外的に狭い門・細い道に入る
23:12 アタルヤは、王をほめたたえている民と近衛兵の声を聞いて、主の宮の民のところに行った。
23:13 見ると、なんと、王が入口の柱のそばに立っていた。王のかたわらに、隊長たちやラッパ手たちがいた。一般の人々がみな喜んでラッパを吹き鳴らしており、歌うたいたちが楽器を手にし、賛美の拍子をとっていた。アタルヤは自分の衣服を引き裂き、「謀反だ。謀反だ。」と言った。
23:14 すると、祭司エホヤダは、部隊をゆだねられた百人隊の長たちを呼び出して、彼らに言った。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺されなければならない。」祭司が「この女を主の宮で殺してはならない。」と言ったからである。
23:15 彼らは彼女を取り押え、彼女が馬の門の出入口を通って、王宮に着いたとき、そこで彼女を殺した。
アタルヤは例外的に数年治めたが、ろくでもないことばかりをしていたため殺されてしまった
教会が独自の意見を持ち、自分で治めるようになったら滅びる
Ex:カソリック:御言葉よりも法王が言うことが正しい→これは女(教会)が王になっている
キリストではなく教会が先頭になってしまっている
女王バビロンが成就する→くっついていってしまってはダメ、御言葉でも「その女から離れなさい」と言っている
参照 黙示録18:4
18:4 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。
今の時代、ありとあらゆるバビロンが、しかけられている
それから逃れて歩みことは例外的なこと→もし、それを実践するなら狭い門・細い道に向かっている
23:16 エホヤダは、彼とすべての民と王との間で、主の民となるという契約を結んだ。
23:17 民はみなバアルの宮に行って、それを取りこわし、その祭壇とその像を打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。
列王記・歴代誌に度々出てくるのはバアル
バアルとは「主」という意味合いがある
つまり神の民と関係する偶像崇拝のこと
このことにはたとえの意味合いがあり、型とも言える→器崇拝、人間崇拝
神の言葉よりも神の働きをしている器の言うことを優先して聞いていくときにバアル崇拝が入ってくる
バアルを拝み御言葉に従って行くときに神の言葉からズレていく
Ex:ローマ法王:進化論を推進→NG
そしてカソリックの多くの信者はローマ法王の言うことを聖書よりも尊重している→聖書の言葉を投げている→滅びる
しかしながら、プロテスタントも同様
Ex:アメリカの器ビリー・グラハム→巧妙な惑わしがある
プロテスタントの信者の中に彼の意図的な過ちに引き込まれている人々がいる→「カソリックに何も問題は無い」という教え→NG
ルターの時代には、カソリックとプロテスタントは分離していた、距離が保たれていた
しかし今では距離が縮まっている→インチキなカソリックの教えがプロテスタントに入り込んできている
ビリー・グラハムを崇拝し、ビリー・グラハムの言うことを信じることによって過ちに入っていく
ビリー・グラハムを招いた近代神学では「イエス・キリストはマグダラのマリヤと結婚していた」とか「キリストの復活は無かった」などと言っている→御言葉を投げ捨てている
器崇拝をしていた人たちは、そういう訳の分からないことに引っ張られてしまった
聖書よりも器の言うことを優先して器崇拝をしていくときに間違いに入る
必ず起きてくることを聖書は預言している
23:18 エホヤダは、主の宮の管理を定めて、これをレビ人の祭司の手にゆだねた。彼らは、モーセの律法にしるされているとおり、ダビデの指示に基づいて、喜びと歌とをもって主の全焼のいけにえをささげさせるようにと、ダビデが組分けをして主の宮に配属した人々である。
23:19 さらに、彼は主の宮の門に、門衛たちを立て、どんなことで汚れた者であっても、だれひとりはいり込ませないようにした。
門衛(ガード)の働き:敵が入り込んでこないようにする
教会の中におかしな器や働き人を阻止したり入り込んだりすることのないための働き
こういう働き(門衛)がある
門衛の働きについて目を配る→このような働きに召されている人はちゃんと見えるようにする
23:20 彼は百人隊の長たち、貴人たち、民の支配者たちとすべての一般の人々を率いて、王を主の宮から連れ下った。彼らは上の門をくぐって王宮にはいり、王を王国の王座に着かせた。
23:21 一般の人々はみな喜び、この町は平穏であった。彼らはアタルヤを剣にかけて殺したからである。
アタルヤを殺した
女(教会)が治めることについて聖書は否定的なことを言っている→このことは型
終末は教会が王であるキリストをさしおいて道を曲げる
キリストの言うことを聞かなくなる→このことは黙示録に書かれている
聖書に書かれているように物事は実現していくのでポイントをきちんと、とらえる
よって、ヒューマニズム的な事柄・自分の思い込みとか考え・キリスト教界の訳の分からない教えを盲信することや周囲の言っている人たちのことを御言葉よりも優先していくことに御心は全く無い
レムナントキリスト教会
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