Ⅱ歴代誌25章 2011.8.14
25:1 アマツヤは二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレムの出であった。
25:2 彼は主の目にかなうことを行なったが、全き心をもってではなかった。
ある王は主の御心を行い祝福に入る
ある王は偶像を拝み悲劇的な結末を送っている
聖書はたとえや教訓を与える書→新約の教訓、たとえ、型
クリスチャンでも歩み方次第で天の御国に入らない人がいる
クリスチャン生活は歩みが後の日に反映される→結論は必ずしも同じではない
主の目に叶うように歩まなかったり全き心でなかったりすると、ずっこける
全き心でない時に、どこかでずっこけてしまう
全面的に主に頼り全き心の人に主は栄光を現す
ゆえに失敗から学ぶべき
25:3 彼の王国が強くなると、彼は自分の父、王を打ち殺した家来たちを殺した。
25:4 しかし、彼らの子どもたちは殺さなかった。それは、モーセの書の律法にしるされているところによったからである。主はこう命じておられた。「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならないからである。」
25:5 アマツヤはユダを召集し、ユダおよびベニヤミン全員を、千人隊の長、百人隊の長の下に、父祖の家ごとに整列させた。こうして、二十歳以上の者を登録し、従軍して槍と大盾を手にする精鋭三十万人を得た。
自分の軍隊をそろえた
クリスチャン=兵士、精鋭となるべき
剣である御言葉を用い勇士として訓練されることにポイントがある
25:6 さらに、彼はイスラエルから、銀百タラントで、十万人の勇士を雇った。
25:7 神の人が彼のもとに来て言った。「王よ。イスラエルの軍勢をあなたとともに行かせてはなりません。主は、イスラエル、すなわち、すべてのエフライム族とは、共におられないからです。
北のイスラエルは人数が多い、しかしキリストの血がつながっていない
南のユダは人数が少ない、しかし真の子孫はダビデ王朝直系の子孫であるユダ族
アマツヤが戦いに行くときにイスラエルに加勢を頼んだ→NG
7節で言われていることが正しい
このことをはっきりと理解すること
同じ12部族であり同じ聖書を持っている部族であってもキリストの血がつながっていない人たちと一緒に行くことに御心は無い→神の言われていることが正しい
このことは新約の私たちへの学び
新約も二分している→カソリック、プロテスタント
しかし神は偶像を拝んでいるカソリックと共にいない
カソリックの聖書の十戒は偶像崇拝の部分が抜けている
ローマ法王は進化論が正しいと言っている、しかしこのような教えに従うことには御心が無い
ゆえにプロテスタントがカソリックとエキメニュカル集会を行うことに御心は無い
7節のように「しかりはしかり、否は否」とはっきり言う人が神の人
神が言われたことをきちんと語る
これからカソリックの合同を批判することは殉教の覚悟が必要
これからは首をかけていかなければいけない、しかし、それらを恐れる必要は無い
カソリックの合同に御心が無いことを語っていかなければいけない
これから正しいことが言えない時代がくる
しかし時代が変わろうとも御言葉は変わらない
これからクリスチャンがひょこひょこと意見を変えてくる、しかし真理を語る
25:8 それでも、あなたが行くと言われるのなら、そうしなさい。雄々しく戦いなさい。神は敵の前にあなたをつまずかせられます。神には、助ける力があり、つまずかせる力もあるからです。」
神がどうか?神の言葉に逆らっては、たった一つのことにも勝利は出来ない
神を恐れる
戦いに行くときに「神はどう言っているのか?」を聞く
正しく立っていくときに劣勢でも勝利を得ていく
人数は気にせずに御言葉に従うときに勝利を得る
しかし語っていないことは行かない
語っていないのに行くときに、つまずき、命を失う
25:9 アマツヤは神の人に言った。「では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」
25:10 そこで、アマツヤは、エフライムから彼のもとに来た軍隊を取り分けて、彼らの所に帰したので、彼らはユダに向かって怒りを激しく燃やし、怒りに燃えながら、自分たちのところへ帰った。
25:11 アマツヤは奮い立って、その民を率いて塩の谷に行き、セイルの者たち一万人を打った。
25:12 ユダ族は一万人を生けどりにして、彼らを岩の頂上に連れて行き、その岩の頂上から、彼らを投げ落とした。彼らはひとり残らず砕かれてしまった。
アマツヤは神の御言葉に従い大勝利を得た
主がそのようにされたら勝利する
25:13 アマツヤが自分とともに戦いに行かせずに帰した軍隊の者たちは、サマリヤからベテ・ホロンに及ぶユダの町々に突入し、三千人を打って、多くの物をかすめ奪った。
25:14 アマツヤは、エドム人を打ち殺して帰って来て後、セイルの者たちの神々を持ち帰り、これを自分の神々として立て、その前に伏し拝み、これに香をたいた。
25:15 そこで、主はアマツヤに向かって怒りを燃やし、彼のもとに預言者を遣わして、彼に仰せられた。「なぜ、あなたは、あなたの手からその民を救い出すこともできないような神々を求めたのか。」
しかし問題があった
アマツヤが勝利したときにエドム(エサウ:俗悪な者)の神々を拝んだ
今のクリスチャンにも関係する:俗悪な人間の教えを持ち込む→神が怒る
今のキリスト教界はエドムの神々を拝んでいる
Ex:アメリカの教会ではこの世の歌手を呼ぶ、これはエドムの神々を拝むことやこの世のものを持ち込むことに通じる、その他、カウンセリングをはじめヒューマニズム的な教えのことを言っている
この世の神、俗悪な神は救いをもたらさない
何の解決にもならない
神学校にも、こういった教えは入ってくる
エドムの神々がキリスト教界を覆っている
今の日本のキリスト教界は何の役にも立たない、神のメッセージを語ることができない
真理は主にある、真に神が言われていることを正しく語る
この世の教え、俗悪な教えは何の救いも無い
キリスト教界やクリスチャンはエドムの教えが支配しているから全く真理を理解していない
25:16 彼が王に語っているうちに、王は彼に言った。「私たちはあなたを王の議官に任じたのか。身のためを思ってやめなさい。なぜ、打ち殺されるようなことをするのか。」そこで、預言者はやめて言った。「私は神があなたを滅ぼそうと計画しておられるのを知りました。あなたがこれを行ない、私の勧めを聞かなかったからです。」
預言者の声に耳を傾けなかった、だから語るのをやめた、そしてアマツヤは変な戦いに入り命を失った→私たちへの教訓
神の声に聞き従わないなら同じように滅びに入る
しかし多くの人は頑なになって自分の都合の悪いことは聞かない
忠告を聞くか否かで結論が異なる
アマツヤは失敗例
聞いて歩みを正すなら災いを免れる
25:17 そののち、ユダの王アマツヤは、よく考えた上で、エフーの子エホアハズの子、イスラエルの王ヨアシュに、使者を送って言った。「さあ、勝敗を決めようではないか。」
25:18 すると、イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに使者を送って言った。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に使者を送って、『あなたの娘を私の息子の嫁にくれないか。』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。
25:19 あなたは、どうだ、自分はエドムを打ち破ったと言った。あなたの心は高ぶり、誇っている。今は、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、争いをしかけてわざわいを求め、あなたもユダも共に倒れようとするのか。」
25:20 しかし、アマツヤは聞き入れなかった。それは、神から出たことで、彼らがエドムの神々を求めたので、彼らを敵の手に渡すためであった。
25:21 そこで、イスラエルの王ヨアシュは攻め上った。それで彼とユダの王アマツヤは、ユダのベテ・シェメシュで対戦したが、
25:22 ユダはイスラエルに打ち負かされ、おのおの自分の天幕に逃げ帰った。
案の定、負けてしまった
アマツヤは色々と考えて絶対に自分は勝つと思っていた
しかし神が惑わして戦いに引っ張っていったときは負ける
神が惑わしを入れた→アマツヤは戦いに行きたくてしょうが無かった→滅んだ
惑わしに入ることの無いように求める
この世のもの、俗悪なものを拝んでいくときに勝利を得られない
今のプロテスタントもしかり Ex:艱難前携挙説→インチキの教えのゆえ敗走に次ぐ敗走
なぜ負けたのか?→エドムの神々を求めたから(20節の成就)
キリスト教界にエドムの教え、この世的な教えが入り込んできていることを正しく理解する
ゆえに黙示録の解釈も負けている、別のものをつかんでいる
今のプロテスタントは明らかに負けている、しかしそのことを分かっていない
この世の教えを受け入れているために基本の基本が分からない
インチキが横行しているにもかかわらずそれを喜んで受け入れている、ゆえに敵の手に渡されている
25:23 イスラエルの王ヨアシュは、エホアハズの子ヨアシュの子、ユダの王アマツヤを、ベテ・シェメシュで捕え、エルサレムに連れて来たうえ、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ちこわした。
城壁が壊された:敵が入れるようになった
25:24 またオベデ・エドムの管理していた神の宮にあったすべての金と銀、およびすべての器具、それに王宮の財宝と人質を取って、サマリヤに帰った。
信仰がみな、失われた
25:25 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの死んで後、なお十五年生きながらえた。
25:26 アマツヤのその他の業績は、最初から最後まで、ユダとイスラエルの王たちの書にまさしくしるされているではないか。
25:27 アマツヤが主から離れた時、エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てたので、彼はラキシュに逃げた。しかし、彼らはラキシュまで追いかけて、そこで彼を殺した。
25:28 彼らは、彼を馬にのせて行って、ユダの町に先祖たちといっしょに葬った。
殺されて死んだ:永遠の命を失う1つのパターン
ダビデ王朝の直系でも正しく歩まないときに滅んでしまう
新約の私たちへの語りかけ
聖書は私たちに必要な教えを与えるために書かれている
レムナントキリスト教会
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