Ⅱ歴代誌32章 2011.10.2
ヒゼキヤの知性・信仰の歩みにおいてアッシリヤの王セナケリブが来た
32:1 これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブが来て、ユダにはいり、城壁のある町々に対して陣を敷いた。そこに攻め入ろうと思ったのである。
北のイスラエル(新約:カソリック)が捕囚されていくのはアッシリヤ、これは新約の予表
カソリックも捕囚されたキリスト教:キリスト教とは別のもの、約束の地に無いもの Ex:マリヤ崇拝、ローマ法王崇拝等
アッシリヤ:カソリック的な教え、それがプロテスタントに襲いかかった
王はいずれもダビデの子孫、しかし、王であっても歩み方次第で結果が異なる
クリスチャンも神の子、しかし、そうではあっても歩み方次第で結果が変わる
ある人は主の前に栄光を見る
ある人は恥を見る、栄光を見ない、永遠の命を失う
スタートは一緒、しかしゴールは必ずしも同じではない
参照 マタイ7:13,14
7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
しかし、ヒゼキヤは例外的に神の栄光を見た、私たちもそのようになっていきたい
32:2 ヒゼキヤは、セナケリブが攻め入って、エルサレムに向かって戦おうとしているのを見たので、
32:3 彼のつかさたち、勇士たちと相談し、この町の外にある泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。
32:4 そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」
泉を敵に渡さない(霊的なたとえ):カソリックの霊を自分の教会に入らせない、変な霊から教会を守る、聖霊の働きを守る
32:5 それから、彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。
敵が入らないように壁を築く
教会は壁を持つべき、霊的な壁を持つ→祈りの壁
盾:信仰の盾、槍:剣、教理の戦い
きちんと戦いの備えをして実践する Ex:カソリックのおかしなところや艱難前携挙説を指摘したりする
32:6 彼は、民の上に戦時の隊長たちを立て、彼らを町の門の広場に召集し、彼らに励ましのことばを与えて言った。
32:7 「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。
32:8 彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、主、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。
アッシリヤの王とすべての大軍→預言的、いつかこういう日が来る
プロテスタントにカソリックの教理や教えが洪水のように押し寄せてくる
その日、堅くとどまり、戦うかどうか?
その時にヒゼキヤのように必要な戦いをしていくか否かによって結果が変わってくる
Ex:バプテスマのヨハネは結婚問題のことで殺された
兄弟(ヘロデ)が兄弟の妻(ヘロデヤ)をめとるのはよくないということを指摘して殺された
ヘロデ:プロテスタント、ヘロデヤ:カソリック
このことは、エキメニュカルに問題があり、御心が無いことを証している
エキメニュカルに反対したり異を唱えるなら異端扱いされたり殺されたりする、しかし正しく御言葉に従っていきたい、これは大きな問題
正しい人は巧妙にカルト扱いされる
ヒゼキヤが正しい
備えていきたい、そうでないとやられてしまう
Ex:角笛のHPも戦いの一貫、しかし、このことを通して真理を見る人がいる
妥協せずにこういうことにきちんと対応していく
32:9 この後、アッシリヤの王セナケリブは、その家来たちをエルサレムに遣わして、――彼自身はその全軍を率いてラキシュを攻めていた。――ユダの王ヒゼキヤとエルサレムにいたすべてのユダの人々に向かって言わせた。
32:10 「アッシリヤの王セナケリブはこう言っておられる。おまえたちは何に拠り頼んで、エルサレムの包囲の中でじっとしているのか。
32:11 ヒゼキヤは、『私たちの神、主は、アッシリヤの王の手から私たちを救い出される。』と言って、おまえたちをそそのかし、飢えと渇きで、おまえたちを死なせようとしているではないか。
こんなときに恐れがきてしまう、しかし、ヒゼキヤの対応が正しい
社会的に批難されたときにとどまるのか?
32:12 あの主ではないのか。その高き所と祭壇をヒゼキヤは取り除いておいて、ユダとエルサレムに向かい、『あなたがたは、ただ一つの祭壇の前で拝み、その上で香をたかなければならない。』と言ったのだ。
カソリックの1つの問題:あらゆる祭壇がある Ex:ローマ法王、マリヤに祈る
その中の祭壇としてキリストの祭壇もある、いくつもの祭壇の1つ→NG
ただ一つの祭壇の前で拝み、その上で香をたかなければならない:一人の神に祈り、一人の神を拝していく、そうしていくときに主からの恵みや助けがある
聖書のみに徹する
32:13 おまえたちは、私と私の先祖たちが地のすべての国々の民に対して、何をしてきたかを知らないのか。地の国々の神々が彼らの国を私の手から救い出すことができたか。
32:14 私の先祖たちが聖絶したこれらの国々の神々のうち、どの神が私の手からその民を救い出すことができたか。おまえたちの神が私の手からおまえたちを救い出すことができるというのか。
アッシリヤの王が色々な国を占領した
エキメニュカルはあらゆることを席巻する
この世的な教会は呑み込まれていく
地の国々:この世についている教会、寄留者とは逆、そうするとエキメニュカルのようなブームにひっくり返されていく
32:15 今、おまえたちは、ヒゼキヤにごまかされるな。このようにそそのかされてはならない。彼を信じてはならない。どのような国、どのような王国のどのような神も、その民を私の手から、私の先祖たちの手から救い出すことはできない。まして、おまえたちの神は、おまえたちを私の手から救い出すことはできない。」
32:16 彼の家来たちは、なおも、神である主とそのしもべヒゼキヤに逆らって弁舌をふるった。
32:17 彼は手紙を書いて、イスラエルの神、主をそしり、主に逆らって言った。「私の手から自分たちの民を救い出さなかった地の国々の神々と同じように、ヒゼキヤの神も、その民を私の手から救い出せない。」
32:18 さらに、彼らは城壁の上にいたエルサレムの民に向かい、ユダのことばで大声に呼ばわり、彼らを恐れさせ、おじけさせて、この町を取ろうとした。
32:19 このように、彼らは、エルサレムの神について、人の手で造ったこの地の民の神々についてと同じように、語ったのである。
脅しがエキメニュカルに反対する人たちにくる
32:20 そこで、ヒゼキヤ王とアモツの子預言者イザヤは、このことのゆえに、祈りをささげ、天に叫び求めた。
神御自身に叫び求めたことにポイントがある
32:21 すると、主はひとりの御使いを遣わし、アッシリヤの王の陣営にいたすべての勇士、隊長、首長を全滅させた。そこで、彼は恥じて国へ帰り、彼の神の宮にはいったが、自分の身から出た子どもたちが、その所で、彼を剣にかけて倒した。
神の御使いによって王や王の陣営の人たちが倒された
神のみに頼る→神の栄光を見た
人間的な目で考えない、とにかく神により頼む(多勢に無勢ではない)
私たちにも当てはまる
問題がある時、神に祈り、叫び求める→神の働き、業を見る、主からの真の勝利、奇跡的な勝利を得る
教会としても個人としても真の主からの助けを祈り求めていきたい
32:22 こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。
正しく歩み、求める人に、神はその業を現す
32:23 多くの人々が主への贈り物を携え、ユダの王ヒゼキヤに贈るえりすぐりの品々を持って、エルサレムに来るようになり、この時以来、彼はすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。
主を拝する人は神の栄光を見る
クリスチャンの歩みを列王記、歴代誌から学ぶ、王様が行った通りに報いが来る、ヒゼキヤは良い意味での模範
32:24 そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかったが、彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。
癒しの恵みを見た
32:25 ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。
高ぶると、ろくなことが無い
32:26 しかしヒゼキヤが、その心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼およびエルサレムの住民もそうしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。
へりくだったときに怒りがおさまった
32:27 さて、ヒゼキヤは、富と誉れに非常に恵まれた。彼は銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、
32:28 穀物、新しいぶどう酒、油の収穫のための倉庫、および、すべての家畜のそれぞれの小屋、群れの小屋を造った。
銀・金・宝石:信仰、バルサム油:御霊の働き
32:29 彼は町々を建て、羊や牛の家畜もおびただしいものであった。神が、非常に多くの財産を彼に与えられたからである。
羊・牛:クリスチャン→多くのクリスチャンが養われた
32:30 このヒゼキヤこそ、ギホンの上流の水の源をふさいで、これをダビデの町の西側に向けて、まっすぐに流した人である。こうして、ヒゼキヤはそのすべての仕事をみごとに成し遂げた。
聖霊の働きを教会に現した
32:31 バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。
このことは良いことでは無い
ヒゼキヤはこの時分からなかった
神が警告を与えず、心根を知るために、捨て置かれた
こういったことが赦されることがある→本音を探るためのより分け
主が人の心を見るために捨て置かれることがある
32:32 ヒゼキヤのその他の業績、その忠実な行ないは、アモツの子預言者イザヤの幻、すなわちユダとイスラエルの王たちの書に、まさしくしるされている。
32:33 こうして、ヒゼキヤは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの子らの墓地の上り坂に葬った。ユダのすべての人々とエルサレムの住民は、彼が死んだとき、彼に栄光を与えた。彼の子マナセが代わって王となった。
ダビデの墓地:キリストの子として認められた
彼が死んだとき、彼に栄光を与えた:死んだ後に天において誉れや栄光を与えられた
ヒゼキヤの歩みが模範
レムナントキリスト教会
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著