エステル記7章 2012.5.27

 

7:1 王とハマンはやって来て、王妃エステルと酒をくみかわした。

7:2 この酒宴の二日目にもまた、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」

酒をくみかわした、酒宴:2回の酒宴(水がぶどう酒に変わった)に通じる、このことは、はじめ(ペンテコステ)の宴会と世の終わりの聖霊の大傾注(敵の働きをひっくり返す)のことを指す

エステルは艱難時代に主に着くクリスチャンの型

神は私たちの祈りを聞きたがっている、そして、答えてくださる

エステルは神のお気に入りで、祈りを聞いてくださった

 

7:3 王妃エステルは答えて言った。「もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしければ、私の願いを聞き入れて、私にいのちを与え、私の望みを聞き入れて、私の民族にもいのちを与えてください。

王妃エステルにポイントがある

Ex:賢い娘と愚かな娘→娘と書かれているので、花嫁ではなく、花嫁の予備段階

王妃:花婿に選ばれた賢い娘、奥様の位に着いた、ちゃんと選ばれた

王が選ぶ基準に満ちていること、そういうクリスチャンになっていくことにポイントがある

王に選ばれている人の祈りは聞かれる

 

7:4 私も私の民族も、売られて、根絶やしにされ、殺害され、滅ぼされることになっています。私たちが男女の奴隷として売られるだけなら、私は黙っていたでしょうに。事実、その迫害者は王の損失を償うことができないのです。」

ハマンが出した命令について、このことは、今の私たちに関係すること、型、預言とも言える

サタンは世の終わり、正しいクリスチャンを根絶やしにする

エリヤ、キリストの3年半の型に通じる

クリスチャン生活の中に敵が立ちはだかっている

キリストに着いているクリスチャンはサタンの憎しみを買っている

根絶やしにする厳然たる計画がある、敵がいて油断も隙も無い

そういう視点で物事をとらえていく

エステルが見たこと→根絶やしにする、その計画が進んでいる

でも、キリスト教会の中で、そのことを見ない人がいる、それに対して備えをしない人がいる→NG

クリスチャンはサタンの働きについて知識としては知っているが、実態として知らない

永遠のいのちを奪おうとする惑わしがある

4節に書かれている「奴隷」とは、「罪の奴隷」のこと

永遠のいのちを奪うということに関して、頂点に達するのは艱難時代、だから、今から必要な備えをする

 

7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに尋ねて言った。「そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。」

7:6 エステルは答えた。「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」ハマンは王と王妃の前で震え上がった。

ここで立場が逆転した

もし、エステルがためらって、王の前に出るのをやめてしまったら、こういう逆転は無かった、サタンの思惑通りになってしまったと言える

この逆転が起きたのは、エステルが立ち上がって、祈りを告げたから、すなわち祈りは逆転させる

祈る前までは、逆転は不可能と思われる

サタンの力:強大のように見えるので祈っても無駄なのでは?とも、思ってしまう、しかし、信仰をもって求めていくときに逆転する

艱難時代は、往々にしてこのようなことが起こり得るのではないか?と、思われる、つまり、絶体絶命と思われてもひっくり返ることがある

Ex:トロントのビデオで真実を見た人たちがいた

御心だったら押していく、そうするとひっくり返る

たしかに、人間的には無理目なことをやっている Ex:ニュースレター

人間的に受け入れられないのでは?と思う、しかし、押していく、出版に関しても同様

たとえサタンが牛耳っていても祈りによってあっさり逆転する

 

7:7 王は憤って酒宴の席を立って、宮殿の園に出て行った。ハマンは王妃エステルにいのち請いをしようとして、居残った。王が彼にわざわいを下す決心をしたのがわかったからである。

7:8 王が宮殿の園から酒宴の広間に戻って来ると、エステルのいた長いすの上にハマンがひれ伏していたので、王は言った。「私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。」このことばが王の口から出るやいなや、ハマンの顔はおおわれた。

7:9 そのとき、王の前にいた宦官のひとりハルボナが言った。「ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。」すると王は命じた。「彼をそれにかけよ。」

ハマンに関して逆転が起きた

自分が柱にかけられた

キリストの十字架も逆転になった→罪の贖い、これは結果として大勝利をもたらした

見た目は敗北、しかし、神の前に逆転

人間的な視点だけで見てはいけない

人間的に敗北に見える働きがある、でも、あきらめたり、引いたりしてはダメ

Ex:レムナントキリスト教会は悪口を言われた、しかし、そのことを通して出版に導かれた

神の計画には深い配慮がある、だから、その時、その時、したがっていく

Ex:モルデカイは神の御言葉ことばを守ったため、ハマンにおじぎをしなかった、そのため、窮地に陥った、しかし、御心の中で逆転した

神の前に正しく歩むときに逆転していく、ゆえに、その時、その時、主に従う

一時的に損だったり、負けていたりしても、逆転する、ひっくり返される

 

7:10 こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りはおさまった。

王は怒った

その憤りはハマンが罰を受けておさまった

王が怒るとき、罰とかさばきが起きるのが聖書のパターン

Ex:ソドム、ゴモラ→あらゆる罪が満ちていた

神の怒りの中でソドム、ゴモラは滅んだ

神の怒りが積みあがったときに爆発してしまう

爆発をもって神様の憤りがおさまる

Ex:世の終わり、地球や太陽が神の怒りで燃え尽きる

地球規模で神の怒りが大爆発する

ノアやロトのとき、シヌアルの塔、イエスを殺したあとのエルサレムの住民が殺されたことも同様

今のクリスチャンは神の怒りが爆発することを理解しない

聖書のパターンを理解していくなら世の終わりに滅ぼされるのは普通のこと

神の怒りが具体ときに起きる、聖書に書かれているとおりに成就

今のキリスト教会は全然別の視点で見ているからこのことが理解できない

神は愛ということばかりがやたらと強調されているゆえ、さばくという概念がほとんど無い

聖書的な視点で神を理解する、神の怒りを恐れる!!