ネヘミヤ記1章 2012.1.15

 

1:1 ハカルヤの子ネヘミヤのことば。第二十年のキスレウの月に、私がシュシャンの城にいたとき、

1:2 私の親類のひとりハナニが、ユダから来た数人の者といっしょにやって来た。そこで私は、捕囚から残ってのがれたユダヤ人とエルサレムのことについて、彼らに尋ねた。

ハカルヤ:エホバが照らす者

ネヘミヤ:エホバが慰める者

ネヘミヤは都の再建に携わっていく→終末の日、主にあって回復の働きを担っていく

働き人のポイント:主が光を照らす

主が啓示を与えてくださって働きが成される、啓示・封印が解かれる

ハナニ:恵み深い

 

1:3 すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」

エルサレム(神の御心の場所)にとどまる

終末の日、アメリカの偽りに携わらないことに御心がある

「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。」:神の受ける位置と世の人々の見る目は違う

神の御心をついているんだけれども現実の生活は、そしりを受けたり困難の中に置かれる

神の御心の働きを担っていく上で、この世にあった困難に遭うのは聖書の原則

そしり、困難は聖書的

両面がある:神に喜ばれる一方、そしりを人々から受ける、これは避けられないこと

御心の中心をついていくときに、そしりや批難は必ず来る、このことはイエス様やパウロやペテロも通った道

「その門は火で焼き払われたままです」 火:悪霊のリバイバルで席巻されている

困難や敵の攻撃があっても、ネヘミヤのように都を再建する

歩むべき宮を再建していくことにポイントがある

 

1:4 私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、

断食が大事:怪しい教理に入り込まない、毒されない、これらを拒否して神の真のパンのみを求める

ネヘミヤのように神の立場に立って、こういうことに嘆きを持ち、悲しむ

 

1:5 言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜わる方

天の神、主。大いなる、恐るべき神:神を侮ってはいけない

終末、クリスチャンが災いに遭うのは神を侮っているゆえのこと、しかし、御言葉に沿って裁かれる

一方、神の教え、律法を恐れる人は知恵を見出す

正しく主の命令を守るなら神がいつくしみ、愛を与えてくださる、そして契約(永遠のいのち)を守ってくださる

ゆえにレムナントは主の御心の中で警告の働きを忠実に行うことを目指している

そうしていくことによって、主の命令を守っていくことに対する恵みがある

神は忠実なお方

正しく守っていくときに特別な配慮、恵みを与えてくださる

教会、個々のクリスチャンに目を注いでくださる

 

1:6 どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。

物事に偶然は無い

神は意味無く災いをくだされる方ではない

神の民のほうで罪を犯している

理由、原因があって起こるべきことが起こっている

悔い改めていくことにポイントがある

ネヘミヤのように罪を理解して悔い改めていく

 

1:7 私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。

モーセの律法も守らなかったため、バビロンに捕囚された

このことは終末にも再現する

今のクリスチャンも十戒を守らない Ex:偶像崇拝(器崇拝)や盗み(御言葉を盗む、具体的には聖書を改ざんしたり、教理をねじ曲げたりすること)をしている

たとえで書かれているモーセ律法を守らないから今のクリスチャンも災いに会っている→アメリカのバビロンの教えに引っ張られている

聖書を文字通り読むのではなく、たとえの理解をする

 

1:8 しかしどうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを、思い起こしてください。『あなたがたが不信の罪を犯すなら、わたしはあなたがたを諸国民の間に散らす。

バビロン、アッシリヤに捕囚された民がいる

今のクリスチャンにも再現している

エルサレムにいると思っている、しかし、実質は・・・神の前に諸国民の間に散らされている

人と神とのギャップがある

本人がどのように思っているかどうかは別として、多くの神の民が真理から遠く離れている

 

1:9 あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行なうなら、たとい、あなたがたのうちの散らされた者が天の果てにいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住ませるためにわたしが選んだ場所に、彼らを連れて来る。』と。

ずーっと、遠くにいた人であっても・・・神は連れて来てくださる

ちなみにマタイの福音書では、「人の子は、御使いたちを遣わして天の四方から選びの民を集める」とまで書いてある

どんなにかけ離れた教理にいても、御使いを通して連れ戻す

レムナントもこの働きを多少なりとも担っている

 

1:10 これらの者たちは、あなたの偉大な力とその力強い御手をもって、あなたが贖われたあなたのしもべ、あなたの民です。

力強い御手:主の力強い御手がないと、連れ帰ることは出来ない

 

1:11 ああ、主よ。どうぞ、このしもべの祈りと、あなたの名を喜んで敬うあなたのしもべたちの祈りとに、耳を傾けてください。どうぞ、きょう、このしもべに幸いを見せ、この人の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」そのとき、私は王の献酌官であった。

この人:王さま

ネヘミヤはメディアペルシャの王の献酌官、ちなみに「献酌官」は霊的なことに通じる、ゆえにネヘミヤは霊的な回復の型と言える

異邦の王を通して回復の働きが成されていく

このことは今の時代にも再現しつつありそう?!