ヨハネの黙示録13章11~12 2016.5.8
13:11また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。
ここでは、もう1匹の獣が出てくる。
1匹の獣は、アメリカ。
2匹目は、小羊のような二本の角を持つ獣。
小羊はキリストをさしている。
だから、キリストの様な、キリストに属しているようなもの。
それは、教会、クリスチャンの事と関係している。
つまりキリスト教会。この様に理解している。
問題は、教会が獣化する。 まさに冒涜的な事。
そうではあっても、我々にとって不都合な真実であろうと、まさに聖書がその様に語っているなら、その様に見て行きたい。
そして、新約の神の民である、クリスチャンとか教会が、世の終わり、艱難時代など、反キリストが出て来る時だけれども、その時に獣化するという、現在からして、少し近未来な事だけれども、中々受け入れられないかも知れない。
聖書を読んでいく時、神の民が、背教の末に、獣化して行くというのは、必ずしも非聖書的な事ではない。
エゼキエル書
19:1あなたはイスラエルの君主たちのために哀歌を唱えて、
19:2言え。あなたの母である雌獅子は何なのか。雄獅子の間に伏し、若い獅子の間で子獅子を養った。
19:3雌獅子が子獅子のうちの一頭を育て上げると、それは若い獅子となり、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。
19:4諸国の民はその獅子のうわさを聞いた。その獅子は彼らの落とし穴で捕えられた。彼らは鉤でこれをエジプトの地へ引きずって行った。
19:5雌獅子は、待ちくたびれ、自分の望みが消えうせたことを知ったとき、子獅子のうちのほかの一頭を取り、若い獅子とした。
19:6これも、雄獅子の間を歩き回り、若い獅子となって、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。
19:7この獅子は人のやもめたちを犯し、町々を廃墟とした。そのほえる声のために、地と、それに満ちているものはおののいた。
19:8そこで、諸国の民は、回りの州から攻め上り、その獅子に彼らの網を打ちかけた。その獅子は彼らの落とし穴で捕えられた。
19:9彼らはそれを鉤にかけておりに入れ、バビロンの王のもとに引いて行った。彼らはそれをとりでに閉じ込め、二度とその声がイスラエルの山々に聞こえないようにした。
まさに、旧約の神の民が獣化するという、具体的には、獅子になってしまう。
ここで書いてある事はまさに、エゼキエル書の19章9節では、「彼らはそれを鉤にかけて、バビロンの王のもとに引いて行った。
これは、バビロン捕囚の事を言っている。
ユダの民がバビロンに連れていかれた。
まさに、「あなたはイスラエルの君主たちのために哀歌を唱えて、言え。あなたの母である雌獅子は何なのか。雄獅子の間に伏し、若い獅子の間で子獅子を養った。」
これはライオン、獣。
神は、旧約の神の民に関して、明らかに獣であると語っている。
我々が好むと好まざると、神の民が獣化するという事。
初めから獣だったのではない。 冒涜、背教、背信の最後には、獣化する。
獅子はバビロンに連れていかれた。これは、イスラエル、ユダの民の末期症状。
初めからそうであったのではない。新約の神の民にしても。
しかし、世の終わりに獣化していって、捕囚されて行ってしまう。
だから、黙示録にはバビロンが出て来る。世の終わりに起きて来る可能性がある。
それと共に、教会、クリスチャンが、獣化するというのは、望ましくは無いが、少なくとも旧約に関連しては、はっきりと聖書が語っている事であり、神の目の前に成就した事でもある。
「雌獅子が子獅子のうちの一頭を育て上げると、それは若い獅子となり、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。」という事。
「人」というのは、聖書的には喩えの意味合いがある。
エデンの園の事を見るならば、人は、神の息を吹き入れられ、そして生きていく者となった。
神の息、霊を受けている人。
しかし、獅子、獣化したイスラエルの間では、人が食べられている。
分かりやすく言うなら、正しく聖霊(神の霊)を受けて歩んでいる人々が、まさに獣化した、今で言うなら、教会において、食べられてしまったり、殺されてしまったりだとか、いのちを失ってしまうとか、そういう事を言っている。
ライオンは人喰い獣。
本来、教会とか、神の教会、神の民は、正しいクリスチャンを育て上げたり、命を与えるべきだが、背教して獣化した教会というのは、逆に、聖霊をもっている正しいクリスチャンの永遠のいのちを奪ってしまったり、聖霊を奪ってしまったり、そういうものになってしまうという事を、意味合いとして、獣、獅子が用いられる。
「これも、雄獅子の間を歩き回り、若い獅子となって、獲物を引き裂くことを習い、人を食べた。」
これもまた人を食べる。
「この獅子は人のやもめたちを犯し、町々を廃墟とした。」とある。
やもめは、喩えの意味合いとしては、夫はいないという事。
地上には夫はいないけれども、来るべき、再臨されるキリストを真の夫として待ち続けるというニュアンス。「やもめたちを犯し、」とあるので、悪い影響があるという事。
2匹の獣、エゼキエル書の中では、2匹の獅子に関して書いてある。
イスラエルは正確に言うと2つの国。 北イスラエルと、南のユダ。
どちらも獅子だと言って、獣化すると言っている。
望ましくはないが、聖書は明らかに、旧約の民は、神に愛された民であったが、その終わりの頃は、最後には背教してしまって、獣化・・・獅子になってしまう。
まさに聖書が言っている事。
そして、これは旧約の神の民の事だが、新約の終わりに関して預言している黙示録では、再度、
獣という言葉が出て来て、小羊のような二本の角を持つ獣のと言ったように、まさにエゼキエル書のこの箇所から見て行くものだと思う。
テサロニケの手紙に、教会は背教して行くと書いてある通り、黙示録は、教会が獣化して行くという事をまさに言っている。
それを、聖書に書いてある通りに読んでいかないと、他の箇所は分からない。
「教会は栄化して行く」とか「艱難前に上げられる」などと言っていては、本当の事を理解できない。
教会が獣化するという事が、聖書にあるならば、その様に理解すべき。
そうしたら、黙示録の事柄も分かって来る。
なので、この事柄は、是非理解して行かなければならない。
望ましくは無いが、教会は、獣化する。
獣化するとはどういう事か。
伝道者の書
3:21だれが知っているだろうか。人の子らの霊は上に上り、獣の霊は地の下に降りて行くのを。
「獣」と「人」は、対称的に書いてある。
人は、アダムが、神の息(神の霊)を受けて生きた者となったとあるように、「獣」は神の息を受けていない。
人の子らの霊は、我々が最後まで人として留まるなら、上に昇る。
しかし、最後に獣化してしまったら、地の下である地獄に入って行く。
終末の日の、明らかに聖書が語っているもう一つの警告は、教会が獣化するという事。
これから教会は、変わって行く。 そして、変質して行く。
「いのち」を与える所である筈の教会が、人を食い殺したり、永遠のいのちを奪うような所に変わって行く。それを指して、獣と言っている。
それに関連して思うのだが、牧師がトロントビデオを初めて、人に頼まれて輸入して、トロントリバイバルの真実とか、それを見て、非常に衝撃的だったのは、キリスト教の聖会の真ん中で、ロドニーハワードとか、ケネスコープランドらが、「獣の印をつけろ」と、明らかに言っている。 ちょうど、2匹目の獣と符合しないだろうか。
トロントビデオがまさにそう。 そして、実際にトロントとか、ペンサコーラだとか、「聖霊の第三の波」のリバイバルは日本にもある。
そこへ行けば分かるが、本当に「人」が「獣」のようになってしまう。
獣は人間ではない。そこに行って「霊」を受けている人達の様子が、明らかに変わっていた。
顔が、馬に見えたり、サルに見えたりした。
「獣化」するという事は、今の時代に起きている事なので、気を付けなければならない。
黙示録に戻る。
12章で「それには小羊のような二本の角があり、」とある。
2本の角に関しては、牧師の理解では、キリスト教会の2つの勢力。
プロテスタントとカトリック。
ただ、2本の角を持っているが、獣としては、1匹の獣。
身体が2つあるわけではない。
1つに統合されているという事。
だから、プロテスタントもカトリックも、終末の時には、統合してしまう。1つになる。
そう言う日を予言していると思う。
プロテスタントもカトリックも、1つになる。1匹の獣だから。
全ての事は分からないが、この様に考えられるという事は、世の終わりに関連して、あらゆる災いが、背教の教会に来るが、また、プロテスタントが背教する故に、あらゆる災いが来る。
しかし、その内の1つは、カトリックと最後に統合するという事ではないであろうかと思う。
元は、プロテスタントもカトリックも1つだった。 ルターの頃、分離された。
これは良かった。
しかし、再度これが1つになって行くのではないかと聖書は預言しているのではないかと思われる。
ダニエル書
11:40終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
北の王が戦車、騎兵、および大船団を率いて、襲撃し、国々に侵入する。
だから、北が、南に、世の終わりの時に、侵入して来るという事。
理解が間違いでなければ、北は北イスラエルに通じており、これはカトリックの予表であると信じる。 南は南のユダに通じ、プロテスタントに通じると思う。
北の王が侵入し、南の王を押し流していくというのは、カトリックがプロテスタントに侵入し、
(国々に侵入する)あらゆるカトリックの教え、教理、霊、こういったものがみなプロテスタントに侵入して来るという事。 その様に理解している。
世の終わりの1つの災いは、プロテスタントが背教する故に、起きて来る災いというのは、かつて、プロテスタントがはいた物、「犬はその吐いたものに戻る」とあるが、吐き出した教え、カトリックに再度戻って行くという、殆ど強制的にそのような事柄に入って行く。
こう言う災いに関しても、聖書は語っていると思うので、覚えておく。
実際今のキリスト教会を見ても、その雰囲気が出ている。
聖書も、カトリックとプロテスタントと共同で翻訳している。
共同訳、新共同訳。ずっとそういう方向に来ている。
そして、東京のキリスト教書店(プロテスタント)に行くと、何故かマリアの像が置いてある。
なので、世の終わりに起きて来る災いについて、黙示録は色々な喩えや暗示を通して語っているが、もう1つの災いは、プロテスタントに、カトリックの偽りがどんどん入って来るという事。こう言う面も見ておく。
もちろんこれは、望むべくことでもないし、良い事でもない。
背教のゆえに、この様な事柄が許されて行くという事。
ついでに言うと、カトリックとのプロテスタントのエキュメニカル的な一致に反対する人は、どうも、殉教する可能性があるように思える。
新約聖書を見ても分かるように、首をはねられて殺されているのは、バプテスマのヨハネだが、
バプテスマのヨハネがなぜ殺されたかというと、結婚問題で殺されている。
それは、予表、預言であるように思う。
要するに、終末の日も結婚問題に関して反対する人は、首を斬られてしまうという事。
兄弟である、プロテスタントとカトリックの妻(教え)をめとる、それに対して反対する人は、首をはねられる。 その様な可能性があると思う。
エキュメニカルが大きな鍵になって来て、いずれこれは、終末の日に実現するのではないかと思われる。
黙示録の11節に、「それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。」
「竜の様にものを言った。」という事も見て行きたい。
「竜」は何かというと、黙示録の中に書いてある。
黙示録
20:2彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
悪魔であり、サタン、竜、蛇。
何の事かというと、「教会」の事を言っている。
その日、背教の教会は、「竜のようにものを言う。」
竜は、最も強い動物。
ひとつは教会は、強圧的になる。「この教理を守らない者は死刑だ、ギロチンだ。」などと。
それとともに、竜は、悪魔であり、サタン、蛇であるので、教会は、どの様に変わり、どの様な事を喋るかというと、エデンの園で、アダムとイブを騙した、あの蛇の様な言い方になると思う。 見るに良く、食べるに良く、賢くなるにふさわしいような実を見せて、「あなたは決して死にません」というような、神が「食べたら必ず死ぬ」と言ったものを、全くのインチキで騙し、食べさせてしまった。 イブは、欲に駆られ、自ら食べてしまった。
その様な事を、終末の教会はおそらく、変貌、変質し、クリスチャンに対してそういう事を言い出すと思う。
エデンの園で、蛇はイブを騙したが、同じ事が、教会にもなされる。
色んな、滅びに至る教理をそうでないかのように教える。
例えば、「キリストは十字架にはかかっていない事が歴史的に証明されている」とか、「マグダラのマリヤと結婚して子供までいる」とか、「福音書は、殆どデタラメだ」とか、それらのような事を巧みに言う。
色々、科学だとか、「証明された」とか、言って来る。
その気になって信じた人は、みんな信仰を崩されて行く。
つまり、エデンの園の蛇が再来する。
その時には、教会は、いのちを受ける所ではなく、インチキを聞く所になってしまう。
行けば行くほど、聖書的な信仰を崩されて行ってしまう。
「竜のようにものを言った」・・・そういうものに、教会がなってしまう。
まさに最悪。
例えば、身体にある症状が出て、医者へ行くが、医者に行ったために症状が悪化してしまう。
その様な事。
教会が、獣化する。 しかも竜(サタン)の様にものを言う。
悪魔サタンは、人殺し。 ゆえに、滅びに至らせるような事を言うので、それをほいほいと聞いて行くと滅んでしまう。 そういう恐ろしい所に教会は変わって行く。
13:12この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
最初の獣が持っているすべての権威とは、理解しなければならない。
これは2つ獣が出て来る。ややこしいけれども、最初の獣は、アメリカ。
書いてある事は、もう1つは、キリスト教会が変質して、アメリカの権威の下で、反キリスト的な教えとか、方法、信仰、教え、教理を、クリスチャンに対して強制する。
「これを受け入れない者はギロチン」だとか、とんでもない事になる。
今の常識で物事を考えてしまってはならない。
アメリカは、かつてのバビロンや、ギリシャ帝国に勝る世界帝国になる。
全世界が、アメリカの支配の下に下る。
一国が全世界を支配するという、人間の歴史が始まって以来の最大の世界帝国になる。
日本のクリスチャンであっても、これを拒否できない。
そこが問題。 だから、黙示録の3章で、全世界に来ようとしている試練の時とか、誘惑の時とか、これはアメリカの全世界支配が大前提としてあるから。
例外は無い。
それらしい兆しが、アメリカでは起きつつある。
「教会がカルト化して来ているので、牧師は、公的機関、政府の下で任命した方が良い」とか、その様な意見が出て来ている。
501C3教会法に従う教会のみ税を安くするなど。
いずれこれは教会を制御し、最終的には、政府が牧師を任命する方向へ行くと思う。
これからキリスト教会は、大帝国であるアメリカの法律だとか、制度とか、決まった法律の下で動いて行く。 教理、教え、解釈、牧師、役員、建物の場所、全てその許可の下でやっていくようになる。 そう言う方向へ行く。
それを受け入れる人以外は、教会のトップには立たないので、「信仰に立ちます」という牧師は、すぐクビにされてしまう。
まるで冗談みたいな話だが、これは過去にも起きている事。
共産主義の国ではまさにそう。
中国、そしてかつてのソ連も。
任命された牧師は、政府で許可された事しか語らない。
あと、牧師が信者を監視する、など。
我々が知らなければならないのは、教会がそういったアメリカの支配に入る。
結論としては、我々が歩むべき道ははっきりしている。
それは、主が言われたように、屋上から物を取り出しに中に入ってはいけない。
我々は公の教会に戻ってはいけない。
そこにどんなに慕わしいものがあったとしても。
屋上とは、「仮庵の祭」を祝う所。
仮庵に留まるのがポイント。
レムナントは、初めから仮庵であるし、地下教会でもある。
公のどこの教団にも属していない。
仮庵の時代に入りつつあるという事は覚えておく。
いずれ、公の教会は、みな獣の支配に入って行く。
これからは、大きな会堂を建てたりする時代ではない。
時代は変わっているという事を是非見て行きたい。
レムナントキリスト教会
お問合わせ
Tel
E-mail koukanojisan★yahoo.co.jp
(★の箇所を@に変換してください)
天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著