ヨハネの黙示録13章15~16             2016.5.22

 

 

 

13:15それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

 

 

 

ここで書いてある事は、1つは、1312節で、「この獣は最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。」

 

獣は2ついて、1はアメリカ。

 

2番目の獣は、小羊のような2本の角を持っているので、背教したキリスト教会であると理解出来る。  これが正解とまでは言わない。 また、注解書を見ても、こんな事を書いてあるのは無い。  しかし我々は、10年以上前から、この事を確信している。

 

最初の獣は、アメリカ。

 

聖書は、終末の日というのは、獣の国が全世界を支配する。それを大前提に、艱難時代が来るという事を、繰り返し語っている。

 

この事が、艱難時代の大前提。

 

黙示録の3章の、フィラデルフィアの教会のあたりに、「全世界に来ようとする、試練の時」

 

だから、全世界。どの国といわず、どの国にも、艱難、試練の時が来るが、それは、全世界を1つの国に、帝国に支配されるという事が無い限りは、あり得ない。

 

ダニエル書はその日のことを預言している。4つの獣が出て来る。

 

4番目の国こそ、全世界を支配する国。

 

全世界を支配し、押さえつけ、粉々にすると書いてあるが、これからアメリカが、国としてしようとする事は、全世界を支配する時、言う事を聞かない国が当然出て来るが、それを徹底的に破壊するという日がやって来る。

 

今は、まだその様には見えない。

 

その日は、突然やって来るけれど、アメリカの圧倒的な支配とか権威とか、力の下で、その事柄が行なわれて来るという前提は見て行きたい。

 

今までの、キリスト教会の常識、歴史に無い事が起きる。

 

それは、アメリカが、そういうサタン的な国であり、獣と言われるような、悪魔的な国であるから。 アメリカにはそういう兆候が来ている。同性愛に反対したクリスチャンが、それだけの理由で、逮捕され、懲役47年とか、異常な事が起きている。

 

これは、聖書でいう、「時のしるし」

 

天気予報はよく当たるのに、どうして時のしるしは見分けないのか。

 

アメリカがこの様に変わって来て、クリスチャンが逮捕されてきている。

 

これはまさに時のしるしであり、終末の獣の国に関しての明確なしるし、。

 

見分けられないのは偽善者。これは、明確に、主が言われた事。

 

何故、教会が背教するのか、アメリカはその様に条件をつけられ、計画を立てられている国だから。その日、あらゆる計画は、全世界の教会を撲滅したり、背教させたり、キリスト教の根本をひっくり返させる、それを目的したかのような国であり、その事が前提であって初めて、

 

世の終わりのキリスト教会の背教が理解出来る。

 

多くの、聖書に、背教に関しての言葉は、我々は今、西暦2016年の今においても、「本当かな」という感じ。

 

アメリカの圧倒的な力の下で、こういった恐るべき背教が来るという事が、黙示録の大前提。

 

「それから、その獣の像に息を吹き込んで」と書かれてある。

 

獣の像は「人間」   具体的には、反キリスト。

 

「像」は日本語で言えば形。イエス・キリストは神のかたち。

 

同じ意味合いで、サタンは神に対抗して、キリストが神の形であるように、サタンを体現したような人物を、最後に登場させる。  それが獣の像である「人間」であり、反キリスト。

 

「獣の像に息を吹き込む」・・・  「息」に関しては、

 

 

 

マタイ

 

1:18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。

 

 

 

息は何かというと、「聖霊」  日本語では分かりづらい。

 

なので、反キリストの、「息」が吹き込まれているということは、「息」と「聖霊」は同じ原語が使われている。「霊」を吹き込むと言った方が正しい。

 

言わんとしている事は、反キリストは「霊」を下す。

 

これからは、霊的な事柄が問題になっている。

 

獣の像には、「息」が吹き込まれる。つまり「霊」が含まれる。

 

霊的な事柄に関しての力があったり、また、反キリストを拝むという事に関して、「霊」が関係しているという事が言われる。

 

これからの事、終末に関して、1つ我々がはっきりしなければならない事は、「霊的」な時代になるという事。   霊に気をつけなければならない時代。

 

具体的にどの様に気を付けなければならないという事は、

 

 

 

3:17あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

 

 

 

ここに書いてある様に、ラオデキヤの教会というのは、惑わしに入っている。

 

勘違いをしている。「自分は富んでいる」、「豊かになった」「乏しいものは何もない」と、自分で言っている。

 

しかし、神、キリストの御前での現実は、「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」という事。

 

キツネに化かされるように、霊に化かされるという事が、ラオデキヤの教会の明らかな特徴。

 

ラオデキヤの教会は7つ目の教会で、ある意味では、背教の真っただ中かも知れないが、終末の日の特徴は、聖霊以外の別の霊を受けてしまい、その霊が色々その人を惑わす。

 

だから、「自分は富んでいる」、「豊かになった」「乏しいものは何もない」という時に、この人が惑わされるような、偽りの実態がある。

 

 

 

3:20見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 

 

 

ポイントは、この教会()の中に、キリストはいないという事。

 

聖霊ではない、他の霊を受けている。これは間違いなく悪霊。

 

キリスト以外の霊で、豊かになって、「乏しいものは何もない」と言っている、惑わされた教会がラオデキヤ。 しかしこれは、救いにも至らないし、永遠のいのちにも至らない。

 

結局、惑わされ、滅びに入って行く。

 

 

 

3:18わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

 

 

 

衣を持っていない状態。 命の書から、名が消されてしまっている状態。

 

「目薬を買いなさい」・・・だから悪霊の賜物に満ちているのが見えないのはまずい。

 

ちゃんと見えるようになれ、という事が書かれている。

 

この様な惑わしだとか、偽り、霊的な混乱。

 

こう言う事が、終末の大きな問題となって来る。

 

この事は、よくよく覚えておく。

 

その極め付けが反キリスト。

 

反キリストを通してこの様な賜物などが来る。

 

何故なら、反キリスト=獣の像は、「息」=「霊」を受ける。

 

霊的な事柄が、これからの終末の教会、反キリストの教会においては、大きなポイントになって来る。

 

そして多くの人が、「賜物が来た。すごい。」という事になる。

 

 

 

マタイ

 

25:1そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。

 

25:2そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。

 

25:3愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。

 

25:4賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。

 

 

 

愚かな娘たちは、結局どうなったかと言うと、

 

 

 

25:11そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。

 

25:12しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。

 

 

 

花婿であるキリストは、花嫁となるべく装いをしていた愚かな娘たちに対してつれない事を言っている。

 

愚かな娘たちの問題はやはり「油」「霊」に関して。

 

油は聖霊に喩えられる。

 

愚かな娘たちは、油(聖霊)を持ってい無かった事。

 

持っていたのは別の霊。奇蹟も、油注ぎもあるが、これは別の霊。

 

そう言った類の、霊的な問題という事が、世の終わりには起きて来る。

 

極め付けが、反キリストの「息」=「霊」を吹き込むということになる。

 

この事もよくよく覚えておく。

 

何故花婿(イエス・キリスト)が「確かなところ、私はあなたがたを知りません。」と何故言うかというと、キリストの霊を受けていないから。受けているのは別の霊。

 

それを持って出て行ってもダメ。

 

愚かな娘には、冗談のような話。

 

しかし、決して起きない事は、聖書に書いていない。

 

この様に書いてあるが、その日、キリストに「知らない」と言われるクリスチャンは出て来る。

 

だから、書いてある。

 

奇蹟などを行なうが、どんな霊で行うかが問題。

 

キリストに「知らない」と言われるのは、明らかに別の霊であって、明らかにキリストの霊である聖霊を受けていないから。

 

聖霊を受けている者が「知らない」と言われることは無い。

 

「油」を持っていないのは、「聖霊」を持っていないという事。

 

聖霊を持っていないクリスチャン生活は、聖霊に似た別の霊を受けて、クリスチャンらしき事を行なっている。

 

賜物、癒しなどがあったりしても、その日キリストに「知らない」と言われたら終わり。

 

無い事を主は言われない。

 

往々にしてある事を言っている。 だから55

 

世の終わりには、「聖霊のような」別の霊、神からの霊ではない、その様な問題が起きるという事も覚えておく。

 

トロントリバイバルやペンサコーラは、神からのものではないと思う。

 

だから、愚かな娘、油を持っていない人は、もう既に起きつつある。

 

そのような賜物に満たされた人は、真実が見えていないので、「目に塗る目薬」が必要だったりする。  こういったポイントは覚えておく。

 

「獣の像がもの言うことさえもできるようにし、」と書いてあるが、「もの言う」というのが、

 

マタイ1313節とかで使われている、イエス・キリストが「話す」という所と同じ言葉が使われている。

 

要するに、反キリストが、教会でメッセージをするという事。

 

色々冒涜的なメッセージをするようになると思われる。

 

「また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。」とあるように、獣の像=反キリストが、

 

教会の、キリストの座に着くようになって、それを拝まない人は殺されてしまうという、大変な時代が来る。

 

 

 

第二テサロニケ

 

2:3だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。

 

2:4彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

 

 

 

ここに書いてあるように、まず背教が起こり、教会がキリストに背いて、キリストを神の座から追い出す。そう言う時代が来る。

 

その代わりに、キリストの座に、「聖なる所に、荒らす憎むべき者が立つ」というが、「聖なる所」とはそこにキリストが座していた神の座。 そこに反キリストが座る事を言っている。

 

「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ない」と書いてあるように、「不法の人」と書いてあるように、反キリストはどこまでも「人」

 

反キリストを拝んだり、キリストの代わりに神として崇める人もいるくらいだから、魅力的な人物ではないかと思う。

 

「不法の人」と書いてあるから、英語では「罪の人」と書いてあるけれども、要するに、反キリストが教会に立つ時に、今まで罪として認められていた事を、決してクリスチャンが行なわなかったことを、反キリストが教会の真中に立って、奨励されて行くのではないかという事が、

 

大いに予想される。

 

「不法の人」=「罪の人」だから。

 

そう言う兆しがアメリカでは既に起きている。

 

同性愛を受け入れたりしている。

 

なので、色んな罪がどんどん奨励されて行く。

 

今は、カトリックの70%が同性愛を受け入れている。

 

プロテスタントでも50%以上が受け入れている。

 

どんどん罪が、浸透している。  反キリスト的なトレンドが動いているが、これは、全世界に波及して行く。

 

「彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」と書いてあるけれども、神の宮は、新約の時代における神の宮というのは、エルサレムの神殿ではなく(物理的な神殿を考えている人は盲目、第三神殿が建つなどと、ありもしない事を言う人がいるけれども、あり得ない。ソロモンの神殿は、どこにでも建てればいいと言うわけではなく、モリヤのかつてイサクを捧げた場所、そこには今、イスラムの寺院が経っているので、あり得ない)、喩えを理解しなければならない。神の宮は、キリスト教会。

 

「神の宮の中に座を設け」とあるが、これはキリスト教会の真中。

 

それは、神の座であり、キリストの座。

 

「自分こそ神であると宣言します。」とあるが、キリスト教の神はイエス・キリストと決まっているが、そのキリストを追い出すという事。

 

だから、とんでもない背教が来る。

 

13章の15節には、「その獣の像を拝まない者をみな殺させた。」とある、。

 

獣の像を拝むという事は、旧約聖書でも似た所が出て来る。

 

他でもない、ダニエル書の、シャデラク、メシャク、アベデ、ネゴ。

 

ダニエルの3人の友が、ネブカデネザルの建てた像を拝まないために、火の炉に投げ込まれたという箇所がある。

 

 

 

ダニエル書

 

3:1ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。

 

3:2そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。

 

3:3そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。3:4伝令官は大声で叫んだ。「諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。 

 

3:5あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。

 

3:6ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」

 

 

 

ここは、ある面、獣の像を拝む事を説明している個所ではないかと思う。

 

1つは「ネブカデネザル王は金の像を造った。」と書いてあるように、ネブカデネザル王はバビロンの王。バビロンは、その当時の世界帝国であり、全世界を支配している国だが、その国の王が、自分の像を造り、これを拝ませたという事。

 

同じように、反キリストと言うのは、獣の像であり、獣はアメリカ。

 

反キリストは、アメリカと関係して来る。

 

金の像がバビロン王と関係している様に、反キリストはアメリカから出るという事が大いに予想される。

 

もう1つは、獣の像というのは、それを拝む事がバビロン王を拝む事であり、またバビロンを拝む事である様に、獣の国というのはサタンの国だから、獣の像を拝む事が、そのままサタンを拝む事に通じる。  なので、まさに、反キリストを拝む事を、これから全世界を支配する獣の国アメリカが、サタンの国であるアメリカの権威の象徴みたいなものなので、あらゆる力、

 

圧倒的な支配力、権威、武力、そういったものの背景に、獣を拝むという事が強制される。

 

「その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。」と書いてあるが、黙示録に書いてある反キリストの数字が666であるから、まさにその象徴だと思う。

 

666、反キリストは獣の像だと言っている。

 

「そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。」という事。

 

バビロンのあらゆる偉い人をこの奉献式に出席させ、「この像を拝め。拝まない者はみな、火の炉に投げ込むぞ」という事。

 

その当時のバビロン王はそうしたわけだが、また、型でもある。

 

それは、これから反キリストが擁立された後、全世界のキリスト教会の、あらゆるトップの人とか、牧師だとか、みなこの反キリストを拝むように強制、命令が来る。

 

だから、あらゆる教会という教会、名簿に載っている教会。

 

そのために、教会という教会は、すごい勢いで登録されている。

 

日本でも、外人の宣教師が来て、あらゆる小さな教会にも電話がかかって来て、登録する。

 

クリスチャンは皆、把握されている。

 

キリスト教データブックに、小さな教会でも、牧師名、住所、FAXなど、クリスチャンはかなりデータを把握されている。  クリスチャンデータブック。

 

CDに入っていて、そこから名簿を抽出している。データになっている。

 

なので、公の教会はやはり、強制される。

 

サタンは、こう言う事を望んでいる。

 

キリストに対して、荒野の誘惑で、「私にひれ伏して拝むなら、全世界をあげましょう」とか言っている。

 

サタンが異常に望んでいる事は、自分を神として崇めて欲しいが、サタンは肉体を持っていないので、その為に形として、サタンの像として、形として、反キリストという、個人を選ぶ。

 

その者を拝む事が、サタンを拝む事になる。

 

この、反キリストを拝むという事は、「この世の神」であるサタンのあらゆる強い願い、それを強力に要求される事になると思われる。

 

アメリカのあらゆる支配の中で、このような事が成されて行く。

 

 

 

黙示録

 

13:16また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。

 

 

 

あらゆる形で、刻印を受けさせ、反キリストに属する者にしてしまうという事。

 

ここに書いてある、「右の手と額」

 

この組み合わせというのは、聖書的に、旧約聖書を読む時に、大いに意味のある事。

 

 

 

出エジプト記

 

13:6七日間、あなたは種を入れないパンを食べなければならない。七日目は主への祭りである。13:7種を入れないパンを七日間、食べなければならない。あなたのところに種を入れたパンがあってはならない。あなたの領土のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。

 

13:8その日、あなたは息子に説明して、『これは、私がエジプトから出て来たとき、主が私にしてくださったことのためなのだ』と言いなさい。

 

13:9これをあなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。それは主のおしえがあなたの口にあるためであり、主が力強い御手で、あなたをエジプトから連れ出されたからである。

 

 

 

「あなたの手の上のしるしとし、またあなたの額の上の記念としなさい。」

 

ここに、「手」と「額」の組み合わせが出て来る。

 

まさに黙示録で言われている、手と額の組み合わせ。

 

出エジプト記で言われている、手と額という事に関しては、「種」「パン種」

 

手と額という事に関しては、「種を入れないパンを食べなければならない」

 

「パン種があってはならない」と7節では書いてある。

 

パンは、御言葉のパンと関係があり、パン種は間違った教えとか、そういった物を入れないという事。

 

何故、黙示録13章で、獣はこだわって、手と額に印をつけるかというと、間違った教え、パン種の入った教え、「キリストは神ではない」とか、「そういう教えを受けろ」という事で、手と額に、印をつけるという事。

 

この時に、手や額に印をつけた人は、パン種の入った教えを受け入れ、「反キリストは神」とか、「イエス・キリストは、贖い主ではない」という教えを受けるという事。

 

それは滅びに通じており、裁きについている。

 

 

 

申命記

 

6:4聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。

 

6:5心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

 

6:6私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。

 

6:7これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

 

6:8これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。

 

 

 

「これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」

 

ここにも、額と手の組み合わせが出て来る。

 

だから、反キリストは、これに対抗して、手と額にしるしをつけさせる。

 

申命記の6章で言われている事は、「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」 「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」という事と関連して、手と額が出て来る。

 

なので反キリストは、手と額にしるしをつけるという時に、唯一の神であるキリスト、唯一の救い主であるイエス・キリストを否定し、その代わりに、反キリストという、生きた人間のしるしを受けろと。

 

だから、我々が反キリストのしるしを受けるという事は、逆に、唯一の神を否定し、唯一の救い主であるキリストを否定するという事の証になる。

 

これでは永遠のいのちがあるわけがないので、気をつけていきたい。

 

 

 

11:18あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。

 

 

 

「手に結びつけ」・・・手     「記章として額の上に置きなさい」・・・額

 

 

 

11:19それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。

 

11:20これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。

 

11:21それは、主があなたがたの先祖たちに、与えると誓われた地で、あなたがたの日数と、あなたがたの子孫の日数が、天が地をおおう日数のように長くなるためである。

 

 

 

21節に書いてあるように、この様に額に、また手に結び付けて教えを守って行くならば、先祖たちに与えると誓われた地で、長い間住む事が出来るという事。

 

先祖たちに与えると誓われた地はカナンの地であるが、これは喩え。

 

アブラハムが地に帰ったとあるが、自分の生まれ故郷というよりは、天にある真の都と書いてあるように、天における相続の事が書いてある。

 

受けるべき相続地の事を言っている。

 

なので、黙示録13章で、獣の印、獣の像を通し、手や額にしるしをつけるという時に、言わんとしている事は、クリスチャンに対し、「お前の持っている永遠の神の約束、天の都に入るという約束を廃棄せよ」という事。

 

「その代わりに、反キリスト、獣のしるしを受けろ」と神の約束を廃棄したというしるしとして、確認として受けろと、そういう意味合いがある。

 

しかし、そんなものを受けたらたまったものではない。

 

だから、獣の印は、断固拒否。

 

黙示録の時代に、背教の教会に起きて来る事は、まさに荒廃。荒らす憎むべき者とはよく言ったもの。

 

教会が、教会ならぬものとなる。

 

救いどころか、救いが奪い取られる所になる。

 

恐るべき、徹底的な破壊。

 

 

 

ダニエル書

 

9:26その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。

 

 

 

ダニエル926節に書いてあるように、「六十二週の後、油そそがれた者は断たれ」は2重の預言であり、終末の日にも成就する。

 

油注がれた者とは、まさにキリストの事。また、聖霊をさす。

 

世の終わりの時の聖書が明らかに語っている、事柄というのは、聖霊が絶たれていくという事。

 

テサロニケの手紙に書いてあるように、反キリストを留める者が取り除かれる・・・聖霊が取り除かれるという事。

 

ラオデキヤの教会では、「見よ、わたしは戸の外に立ってたたく」ので聖霊が教会から追い出されている状態。

 

世の終わりの時の、1つの大きな特徴は、明らかに、聖霊が教会から追い出され、クリスチャンは、他のものに夢中になる。 しるし、不思議のリバイバル、悪霊追い出しとか、癒し、奇蹟に引っ張られて、悪霊をキリストの聖霊だと勘違いして、別の霊に引っ張られ、聖霊から離れていく。

 

「油そそがれた者は断たれる」のは、終末の教会の大きな特徴なのでよく覚えておく。

 

26節の後半で、「彼には何も残らない。」とあるので、何も残らない。

 

あらゆるキリストに関するものが廃棄されていく。

 

「やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。」

 

やがて来たるべき君主とは、反キリストの事。  君主の民とは、反キリストの民。

 

反キリストに従う人たちが、「町と聖所を破壊する。」町はエルサレムであり、また、教会、つまり聖所。

 

「その終わりには洪水が起こり、」とは、悪霊の洪水。

 

「戦いが続いて、荒廃が定められている。」とあるように、教会(神の宮)は、荒廃が定められている。   最後に栄光の中で、天に上げられて行くのではない。

 

イエス様はカペナウムの町に対して言われた。

 

「カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。

 

勘違いの教会が、今の教会。 「艱難の前に、全ての教会は上げられる」など。

 

「荒廃が定められている」という事は、聖書が言っている事。

 

 

 

9:27彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

 

 

 

「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。」これは、反キリストの事。

 

「一週の間、多くの者と堅い契約を結ぶ」とは、多くの人が勘違いしているが、中東の和平条約などではない。

 

「契約」という言葉は、アブラハムが、神と結んだ契約と同じ言葉が使われている。

 

アブラハムが、神と結んだ契約とは、永遠のいのちに対しての契約であり、永遠の都に、相続を与えるという約束。

 

地においては寄留者であっても。

 

反キリストが一週の間、多くの者と堅い契約を結ぶ。  多くのクリスチャンと堅い契約を結ぶ。具体的は、黙示録13章で読んだ、右手と、額かに、印をつけて堅い堅い契約を結ぶ。

 

しかし、反キリストと堅い契約を結んだら、キリストとの契約は破棄される。

 

キリストを、聖霊を追い出していくのだから。永遠のいのちは失われる。

 

だから、いのちの書から名を消されるという事。恐ろしい事。

 

「半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。」とは、3年半、その間にいけにえとささげ物をやめさせる。キリストを神とするようなささげ物は、小麦粉であり、パンであり、また、

 

油、ぶどう酒だったりする。

 

「キリストは神である」というパン、御言葉、メッセージは、やめさせられる。

 

また、油、聖霊による働きというのは、中止させられる。

 

聖霊の働き人はみな追い出され、悪霊の働き人しか用いられなくなる。

 

それが「半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。」

 

「荒らす忌むべき者が翼に現われる。」とは、翼=神殿に現れる。「ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」

 

反キリストは3年半の後に滅びると思われる。

 

反キリストは、終末の日で、本気。

 

神とクリスチャンとの契約の最も根本的な所を突いて来て、最も大事な契約を反故にして、そして、反キリストと固い契約を結ばせる。

 

反キリストは、我々を救いから徹底的に排除するのが目的。

 

そういう恐るべき7年が来ようとしている。

 

艱難時代は長くて7年、大艱難時代は3年半だけれど、そういう時代が来ようとしている。

 

ポイントは明らかに、仮庵の祭であり、地下教会にある。

 

仮庵の祭に関しては、御言葉の中で明確に語られている。

 

仮庵の7日間は、イスラエルは、仮庵に住まなければならない。

 

7日間は7年に通じる。

 

艱難時代の7年間というのは、もはや公の教会に属すべきではない。

 

仮庵に住まなければならないと書いてあるように、仮庵は、地下教会の型。

 

7年間は公の教会に入るべきではない。

 

こういったあたりが結論。

 

反キリストは明らかに本気。

 

サタンは明らかに本気であり、クリスチャンの永遠のいのちを本格的に奪おうとして、そういう日が着々と計画されており、我々は艱難を乗り切るための必要な備えを成していきたい。

 

終末の日に、石垣を築くというのが、エゼキエル書にあるが、今、石垣は弟子の歩みに通じるが、今、石垣を築く人は、賢いおとめ。

 

御言葉に、耳を傾けていきたい。