ヨハネの黙示録16章12節~13節 2016.9.11
16:12第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。
1つは、今回の12節と13節は関連している。
全体としては、ユーフラテス川が、枯れてしまった。
ユーフラテス川は、旧約においては意味のある言葉であって、それは、神の民と、異邦人を分ける、区分の川。
今では、未信者とクリスチャンを隔てる川であり、これは聖霊の事を言っている。
黙示録は、封印で封じられた書であるが、言わんとしている事、喩えで語っている事、謎で語っている事は、聖霊が枯れてしまうという事。
「そんな馬鹿な」と思うかも知れないが、他の聖書箇所でも2、3暗示されている事。
「すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。」
何しろ枯れてしまう。 しかし、ただ枯れてしまったのではなく、日の出る方から来る王たち、
これは、黙示録7章に王たちの事が書いてあるけれども、「日の出る方から聖霊の働きが始まる」ということ。 だから、一方では、聖霊が、教会から消えて行く。取り去られて行くという事が、第二テサロニケに書いてある。反キリストをとどめているのは聖霊。
その聖霊が、取り除かれてしまう。
すなわち、ユーフラテスの川が枯れてしまう。聖霊が消え去って行く、というのが、聖書で語られている。
それは、一面真実。 特に、今までのキリスト教会の主流をなしていた西洋、欧米。
ヨーロッパを初め、アメリカも欧米の一部だが、西洋の教会から、聖霊が取り去られて行くという事を、明らかに聖書は語っている。西の方ではこの様な冒涜が起きるが、一方、東の方では、別途また並行するかのように、神の業が始まって来るというのも事実。
だから、日の出る方から、王たちがやって来ると。
黙示録7章を読めば、日の上る方で、144000人の聖霊の印を押された人達がいる。
明らかに日の上る方では、アジアの東という意味があるが、明らかに聖書は2つの事を語っている。
1つは、世の終わりにおいて、西洋文明、また、教会の時代の終わりに、聖霊が消え去って行くという事と、もう1つは、それに平行するかの様に、聖書の中に預言されているイスラエル民族に対しての約束が、東の方において成就する。神の働きが広がって行く、この2つの事柄を語っている。 世の終わりおいては、どちらも起きて来る。
さらにわかる事は、ロマ書の中でも、「このようにして、イスラエルは皆救われる」と書いてある。 その成就は、確かにイスラエルは中東に始まったが、本物のイスラエル12部族の末裔というのは、明らかに東に移動しているという事を暗示している。
だから黙示録7章では、日の上る方で、144000人のイスラエル12部族の末裔が聖霊の印を受けると書いてある。だから、世の終わりには、イスラエル12部族はね明らかに東の方に移動してそこに住んでいる。 現在中東にはいない。
はっきり言わしてもらえば、今の中東に住んでいるのは、偽ユダヤ人。
今のイスラエルに住んでいるのは、セム族ではない。 セム族は黄色人種。
今、イスラエルにおいて、パレスチナ人を虐殺しているのは白人(ヤペテ)。
人種が全く違う。
東が何かというと、「日本」を初めとした、東の国々。
日本人の本当のルーツというのは、12部族の末裔である可能性が大いにあると思う。
16:13また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
聖霊が枯れてしまう。ユーフラテス川が枯渇、すなわち聖霊の働きが枯渇してしまう。
それが1つ。
それに相反するかのように、今度は汚れた霊、悪霊どもが跋扈して来る時代になる。
なので、こういう根本的な事が、残念ながら、今のキリスト教会では、全く盲目になっていて、基本の基本のまさに聖書が語っていることを理解できていない。
聖霊が取り去られるのは、教会の背教の故。
その結果、ろくでもない事が起きる。
本当の奥さんである聖霊が消えて行き、とんでもない悪霊が代わりにやって来る、というのがまさに聖書の基本の基本。
それが解らなければ、どれほど黙示録を読んでも解らない。 一体、教会に何が起きるか。
はっきり、明確に聖書が語っている事は、聖霊が消え去る時代に入って行く。
その代わり、悪霊が跋扈する時代になって来る。
理解が正しければ、それは既に起きつつある。
「聖霊の第三の波」については、欧米のクリスチャンが、色々と警告していて、エレミヤ牧師もそう思っているが、これは悪霊の波。 悪霊の働き。だからそういう意味でも、黙示録の時代に入りつつある。
まだ黙示録の完全成就とはいかないが、既に、黙示録の兆しのような事があるが、同時代的。
まさに今の時代において、起きつつある。 残念な事に、ペンテコステ系の人々は、盲目になってしまい、見分けるどころじゃなくなっている。
聖霊と悪霊を見分けるのは、霊の見分けの基本の基本だが、そういう事が出来ない人も多くて、悪霊をすっかりと喜んで、金粉が出るとか、倒れるとか、「すごいしるし」が現われたり、惑わされている人達が多い。
しかし、聖書が正しい。
残念ながら今の時代、教会は、背教の時代になつており、その結果聖霊が消えつつあり、代わりに悪霊どもが跋扈しているという事が、今のキリスト教会に起きている事の端的な表現であり、黙示録はそれを語っており、その事を霊の目で見える人は、この事を見ているのだが、残念ながら今の時代は、盲目な人々が、跋扈しているので、全然勘違い、見当はずれ、的外れ(罪)になって来ている。
だがそうであってならない。 何のために毎週教会に来て、黙示録を読み、惑わされて帰るのでは、何しに教会に行ったのか・・・。
今の教会は全然的外れな事を言っている。 行けば行くほど、終末に関して惑わしに入るなど。
艱難前に上げられるとか、とんでもなく見当はずれな事を言っている。
しかしそのような耳触りの好い事を聞くのは良いが、選ぶのはクリスチャン1人びとり。
おかしな教理が広まる事に関しては、牧師が悪いというだけではない。
信者側が、「耳触りの好い話を聞くために、教師を寄せ集め」とかいてあるから、信者の方が問題。そういう意味では、牧師だけの問題ではない。
それぞれの人が、本当に真理の側に立つのかどうか。
おかしな教理が教会に広がっているのは、牧師だけの問題ではない。
信者が、そういう話しか聞かない、という事がある。
聖書が明らかに語っている様に、耳触りの好い事を聞きたいという事が、クリスチャンにはある。
しかし、真理を求めて行く人に大きなポイントがある。
16:13また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
三つ出て来る。 「3」という数字に意味がある。
「3」はもしかすると、3つ目のミレニアムの事を言っている。
聖書の中では「3」という言葉が結構出て来る。
ペテロが、復活した主に会った時に、「あなたは私を愛するか」と、3度問われた。
それに対して、ペテロは3回答えている。
その「3」は、3つ目のミレニアムを指していると思う。
今がまさにそう。
「汚れた霊どもが三つ出て来る」とある。
まさに今の3つ目のミレニアムにおいて、こういう悪霊が跋扈する時が来るのではないか。
解釈が正しければ、「聖霊の第三の波」、これも「3」の事を言っている。
ピーターワグナーもここでは「3」にこだわっているようだが、
「三つ出て来る」・・・「3」と合っている。
ピーターワグナーも、ここでは聖書的な事を言っている。 要警戒。
「かえるのような汚れた霊」について。
汚れた霊というのは、聖書では、「汚れた霊につかれた人が会堂にいた」とか、「汚れた霊を追い出す」と、まさに同じ事。 だから、聖霊ではない。
今は、背教の教会に対して、神の怒りが増し加わっている時代
だから、前までの教会時代では起きなかったようなあらゆる災いがあちらこちらで起きている。
その1つの現われが、「汚れた霊」が、キリスト教会を覆うようになるという事を、正しく正しく理解しなければならない。
もう1つの問題は、汚れた霊だからと言って簡単に見分けられるとも限らない。
聖書の別の箇所には「偽預言者が現われ、しるしや不思議を行ない、出来れば選民をも惑わそうとする。」 選民とは、選ばれたクリスチャン。
悪霊の働きは、「惑わす」事。 聖霊と悪霊は区別がつかない。
これが正しい理解。
神によってしかこの様な区分はつかない。
今起きている「聖霊の第三の波」でも、「正統派のクリスチャン」がみな惑わされている。
繰り返すが、これは悪霊の働き。
汚れた霊に関し、「かえる」という言い方をしている。
出エジプト記
8:1主はモーセに仰せられた。「パロのもとに行って言え。主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ。
8:2もし、あなたが行かせることを拒むなら、見よ、わたしは、あなたの全領土を、かえるをもって、打つ。
8:3かえるがナイルに群がり、上って来て、あなたの家にはいる。あなたの寝室に、あなたの寝台に、あなたの家臣の家に、あなたの民の中に、あなたのかまどに、あなたのこね鉢に、はいる。
8:4こうしてかえるは、あなたとあなたの民とあなたのすべての家臣の上に、はい上がる。』」
8:5 主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの手に杖を持ち、川の上、流れの上、池の上に差し伸ばし、かえるをエジプトの地に、はい上がらせなさい。」
8:6アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。
8:7呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにかえるをエジプトの地の上に、はい上がらせた。
8:8パロはモーセとアロンを呼び寄せて言った。「かえるを私と私の民のところから除くように、主に祈れ。そうすれば、私はこの民を行かせる。彼らは主にいけにえをささげることができる。」
ここにあるように、エジプトに災いが起きた。
聖書は、世の終わりの人の為に、警告として書いておられる。
出エジプト記に書いてある、かえるの災いというのは、世の終わり、エジプト化した教会に再現する可能性がある。
黙示録の中で、教会はこういう表現で言われている。
「ソドムやエジプトと呼ばれる都」 終末の教会に関して言われている。
ソドムは、教会に、同性愛が入って来る事の表現。
エジプト化というのも広まっている。
理解が正しければ、この世についてる教会。
教会がこの世にどんどんついて行くがために、エジプトの災いに入る。
「世と、世にあるものを愛してはいけない」と、聖書の別の箇所で言われている。
世の中にどんどん入って行く教会に、災いが起きて来る。
その一つが、かえるのような汚れた霊。
8:1主はモーセに仰せられた。「パロのもとに行って言え。主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らにわたしに仕えさせるようにせよ。
イスラエル人はエジプトを出て、神に仕える。 この事を語っている。
我々も出エジプト記の警告だとか、教え、神の言葉とかは、今の我々に対しても語っている。
パロは何としてでもイスラエルを出させまいとして、抵抗しているが、最終的にはイスラエルの民は出て言った。
神の命令は、エジプトの中にとどまって、礼拝をする事ではない。
あくまでもエジプトから出て行って、3日の道のりで、エジプトとは距離をおいて、礼拝をするように、命じておられる。
これは、現代も有効。
ポイントは、エジプト化した教会から出るという事。
そして初めて、いけにえを捧げろという事。
我々も覚悟して、考えておかなければならない事は、本当に神に仕えるつもりがあるなら、いずれ、クリスチャンも出エジプトをするようになる。「ソドムやエジプトと言われる都」である教会から出るという事。実際そうなりつつあるから。 それが正しい。
あるべき姿。
しかし、エジプトの民で終わるつもりなら不必要。
だから、それは暗示されている。
「ソドムやエジプトと言われる都」と言っている言葉は、黙示録11章に書いてある。
その中で、「女は荒野に逃げた」と書いてあるが、まさに、出エジプトした民が行ったのは荒野。 まさに、その「女」は出エジプトしている。
「女は荒野に逃げた」
だから、これは未来の我々のあるべき姿。 いずれはそうするべき。
聖書が語っている事は理解しなければならい。
そうでないと、災いは、明らかに来ると思われる。
エジプトと同じ裁きに、我々も合うようになってしまう。
その事は覚えて行く。
8:2もし、あなたが行かせることを拒むなら、見よ、わたしは、あなたの全領土を、かえるをもって、打つ。
8:3かえるがナイルに群がり、上って来て、あなたの家にはいる。あなたの寝室に、あなたの寝台に、あなたの家臣の家に、あなたの民の中に、あなたのかまどに、あなたのこね鉢に、はいる。
これはみんな喩えを使っているが、これはみんな教会に関しての言葉。
例えば、「かえるがナイルに上がる」 ナイルはエジプトに流れる大事な川だが、これは、教会に流れる、聖霊の川を喩えている。
しかしそれは、かえるが群がる。すなわち悪霊が群がる。
ペンテコステ系の教会では、よくリバイバル聖会をやる。
そこで「神からのすばらしい器がアメリカから来た。」などと言って、「素晴らしい神の聖霊に触れたい」と、その日を待ち望んで、待ちに待って、遠くから来たりする人もいる。
そして、「聖霊に触れたい」という。 ところがそこに、かえる(悪霊)が群がっている、行ったら悪霊を下している。 まさに今起きている事柄。
聖霊と思ったら、悪霊だったとか、こう言う災いは、背教の教会に来る。
かえるのような霊は来る。エジプトの災いが再現されている。
「かえるがナイルに群がり、上って来て、あなたの家にはいる。あなたの寝室に、あなたの寝台に、あなたの家臣の家に、あなたの民の中に、あなたのかまどに、あなたのこね鉢に、はいる。 」
これも喩えを使っている。 やはり、教会に関して。
こね鉢は、パンの粉を練る鉢。 パンは御言葉に関連している。
かまどは、パンを焼くためのかまど。
御言葉中に、素晴らしいメッセージと思うと、その霊が、まさにかえる(悪霊)だったりする。
素晴らしいメッセージを聞きに行ったと思ったら、悪霊を受けてしまうとか。
まさに今の、エジプト化した教会に起きつつある事。
5節は、
8:5 主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの手に杖を持ち、川の上、流れの上、池の上に差し伸ばし、かえるをエジプトの地に、はい上がらせなさい。」
8:6アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。
「エジプトの水の上」は霊的な事を指す。
「かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。」とあるように、どこの集会に行っても、かえる、すなわち悪霊が働くようになって来ている。
ペンテコステ系にまさに実現しつつあると思われる。
アメリカから来る器も、ペンテコステ系の集会は、器が来る事を喜ぶ。
あの国からは、来る器来る器、みんな、かえるの器。 悪霊を下す。
この言葉は、今まさに成就しつつある。 だから、恐れなければならない。
神の書かれた御言葉は、昔話ではなく、意味なく書かれたものではない。
神は「初めであり、終わりである方」なので、創世記の初めにおられ、黙示録の時代におられ、
そして今起きつつある事も聖書の中で預言しておられるので、現代に起きている事が、出エジプト記、創世記などの時代に預言されている。
我々にはアンビリバボーな事であっても、神にとっては至極普通の事。
聖書的には当たり前な事。
恐れを持って、御言葉を見て行きたい。
黙示録
16:13また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。
かえるのような汚れた霊どもは、竜の口から出て来ると書いてある。
竜とは何か。 1つは、第四の獣であり、世の終わりに起きて来る獣の国を、まさに指している。 竜は架空の動物ではなくて、実際に化石に出て来る。恐竜。
実際に存在していた生き物。
ダニエル書を見るならば、世界を支配する、4つの世界帝国の1つ。
1番目は獅子。2番目はメディアペルシャ、熊。3番目はギリシャ、豹。
三者に共通しているのは、みな、人殺しの動物だという事。
4番目の獣に関しては、ダニエル書には出て来ない。
黙示録には出て来る。 それこそ「竜」 竜は、「恐竜」
これは、最強の動物。
12:3また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。
12:9こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
3節には、「大きな赤い竜」と書かれている。
これが、かえるのような悪霊を出す。
この竜は、獣の国だが、「七つの頭と十本の角とを持つ」と書いてある。
これはアメリカ。 我々の理解では間違いないと思っている。
どちらにしても、世の終わりには、「竜」と呼ばれる、国の事を言っている。
「七つの頭と十本の角とを持つ」、こんな人間はいない。 動物にもいない。
国の事を言っており、具体的にはアメリカ。
なので、言わんとしている事、この箇所を通してわかる事は、アメリカ(竜)は、「悪魔とかサタン」と書いてあるから、アメリカという国に関して、正しく認識しなければならない。
竜(サタン)が、特別に作り、終末の為に用意した特別な国が、「七つの頭と十本の角とを持つ」
国であり、これは、他でもないアメリカ。
これが、特別な国だという事を理解しなければならない。
サタンがすなわち悪魔がこの世に行ないたい全ての事柄を、この国を通して行うという事。
サタン自身は霊的な存在であり、肉体を持っていない。
しかし、サタンの意志を行なう特別な国として、「七つの頭と十本の角とを持つ」国、アメリカという国を特別に世の終わりに興した。
なので、特別にアメリカに関しては注目し、動向に関して、見て行くべき!
そういう意味で見て行く時に、いろんな事が解って来る。
1つは、人を殺す国。 アメリカは、世界のすべての軍事費を足したものの40%を1つの国だけで占めている。
数値を言えば40兆円弱。そういう国が起きて来るという事。
もう1つは、3節に、「大きな赤い竜」と書かれている。
「赤い竜」の「赤」
6:4すると、別の、火のように赤い馬が出て来た。これに乗っている者は、地上から平和を奪い取ることが許された。人々が、互いに殺し合うようになるためであった。また、彼に大きな剣が与えられた。
「火のように赤い馬」は喩えが使われていて、やはり霊的なものを指すと思われる。
それで、霊的なものをもって、地上で互いに殺し合う、「地上から平和を奪い取る」
すなわち、霊によるぶつかり合いによって、「地上から平和を奪い取る」
だから、これはキリスト教会内で起こる争いや分裂が起こる野だと思う。
「殺し合う」・・・兄弟が兄弟を訴えて、死に至らしめる、霊のぶつかり合い。
それがまさに、獣の国アメリカに関連して、「赤い竜」と書かれているという事は、霊(アメリカの1つの特徴) 。 しかも人殺しをもたらす、おかしな、過激なペンテコステ系の、おかしな霊。
それが1つの、アメリカの大きな特徴と言える。
それと共に、「竜」に関して、
12:9こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
かえるのような悪霊は、サタンから来る。
だから、惑わしの霊が来るという事。
その1つは、惑わしの霊の特徴は、「悪魔」と書いてある。
悪魔の意味は、原語の意味合いとしては、「ののしる」
なので、これからクリスチャンが、寛容ではなくなって来る。
御霊の実、愛、平和、寛容などがあったが、悪魔がどんどんキリスト教会に働いてきて、お互いに寛容ではなくなって来る可能性がある。
もう1つは、我々が、惑わしの霊、悪霊に惑わされて行く時に、人を罵る。
これはサタンから来る。 やはりそれは気を付けなければならない。
クリスチャンでも、平気で人を罵ったり、非難したりする人が結構いる。
理由があっても、その霊は、悪魔から来るという事をよく覚えておく。
逆に、御霊は寛容。
サタンとは、これには、「反対する者」という意味がある。
サタンの霊に導かれる人の特徴は、「何でも反対する」
何でも反対して、妨害する。
教会の働きに反対したり、牧師に対して、何でもかんでも批判したり、色々分裂のグループを起こしたりする。
これは、神から来る場合もあるかも知れないが、大抵の場合は、サタンから来る。
だから、気を付けて行きたい。
「こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。」とある。
「あの古い蛇」とは、アダム、エバの時の、「蛇」
そういう意味では、サタンの大きな働きの特徴は、「蛇」
アダム、イブを惑わし、神の言葉を偽って、惑わされたアダム、エバは、いのちの木の実から外されてしまい、永遠のいのちを得られなくなった象徴だと思われるが、サタンすなわち蛇は、
世の終わりに働いて来る。
しかも、かえるのような悪霊を出して惑わすという災いが起きて来る事が、聖書に書かれているという事を覚えておく。
更に、1つ知らなければならない事は、教会の中では残念な事だが、「蛇」は侵入して来るという事。
正しく歩まない時に、蛇の侵入も、神によって許されている。
結果、正しく御言葉につかない人々は、蛇の惑わしで、おかしな教理に入って行く。
まさに聖書が語っている事。
イエス様がおられた時もそう。
主は、律法学者、パリサイ人達に対し、「蛇よ、まむしの末よ」と言われた。
「蛇よ、まむしの末よ」と言われた時に、エデンの園のあの「蛇」を想定して言っている。
そして、神の民の中心で、蛇の働きが許されている。
蛇は、教会、神の民から遠くにいたのではない。
その当時のユダヤ教の会堂の真っただ中にいて、聖書を教える人々だった。
律法学者、パリサイ人。
そして、あろう事か、神の言葉を学ぼうとしている人達が皆、蛇の様な教理に惑わされ、天の御国に入るつもりが、ゲヘナに入ってしまう。
「あなた方は、改宗者を一人つくると、自分に倍もまさるゲヘナの子にする」
ゲヘナとは、地獄の事。 だから、彼らの教えを聞いて、一生懸命行なって行くと、滅びに入るという事。
そういう意味で、サタンとか蛇は、遠い昔の事とか、エデンの園で終わった事ではない。
少なくとも主イエスの時には、さらに問題が深刻化している。
そして、世の終わりの時に、「竜、サタン、古い蛇」が出て来るという事は、教会においても、新約の時代の終わりである今において、蛇は、大活躍をしているという事を、まさに暗示している。
我々は理解しなければならない。
聖書の全てのみ言葉は、無駄に書かれているのではなく、世の終わりにあたっている我々に対しての警告として書かれている。
黙示録は、全ての人にとってやさしい書ではない。
封印で封じられている。しかしヒントはある。
「あの古い蛇」が、世の終わりの時に、登場するという事は、アダム、エバを騙したあの偽り、イエス様の時に、律法学者を通して現された、蛇の教師たちの偽りというのは、世の終わりの時にも、更に起きて来る。 再現する。 さらに深刻化している可能性も大いにある。
なので我々は、残念だが、教会に行って教理を聴く時に、気を付けなければならない事が1つある。
それは、どんなに品性が立派そうな牧師でも、どんなに立派な神学校を出ていようと、立派な本を書いていようといまいと、蛇の教理がキリスト教会に入っているという事は、見て行かなければならない。 その為に、黙示録の中に、「古い蛇」と書いてある。
だから、表面だけ見ていてはダメ。
「艱難前携挙説」「クリスチャンであれば、誰でも必ず天の御国に入る」とか、そういう教理も蛇由来の教理である可能性が大いにある。
よくよく理解しなければならない。
今は、蛇が大活躍している時代なので、そういった事も理解して行くべき。
「獣の国」とはアメリカ。 アメリカの口(獣の口)から汚れた霊が出て来る。
端的に言うと、アメリカは、獣の霊を、かえるのような悪霊を出す国だという事。
アメリカの中でも、多少例外はあるが、一般的な事を言っている。
アメリカから来る器は、殆ど悪霊の器であると思われる。
おおむね間違いは無い。
「獣の口から、かえるのような汚れた霊」と書いてある。
アメリカから来る器は、黙示録で警告されている。
かえるのような悪霊。 その様な器の集会には、お金を払ってまで行く必要はない。
お金を払って、悪霊を受けるとは、悪い冗談のような話。
もう1つは、「偽預言者の口から」悪霊が出る、と書いてある。
にせ預言者は、今の教師、働き人の事。
どのようにして悪霊が下るかと言うと、にせ預言者、それは、教会に来る器。
アメリカ由来であろうと、どこであろうと。
器を通して悪霊は下る。
ベニーヒンなどのおかしな器から按手を受けるのは、非常に危険な行為。
にせ預言者の口からかえるのような悪霊が出るのであるから、器を通して悪霊が出る。
だから、聖会に行くというのは危険な事。
にせ預言者の口からかえるのような悪霊が下るのであるから、ベニーヒンを通して悪霊が下るというのは、よくも悪くも聖書的な事。
もう1つ言いたいことは、「口」を通して。
人の口を通して喋っている時に、悪霊が下る。
使徒
10:44ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
ここでは、ペテロが自分の口で、御言葉を語っていた時に、それを聞いていた人々に、「聖霊がお下りになった。」と書いてある。
これは、良い意味で、聖霊が下られるというパターン。
しかし、先ほどの、黙示録16章の13節では、「また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。」
つまり、悪い例でのこの事の繰り返しだと思われる。
例えば、ベニーヒンなどの偽預言者の集会に加わると、話を聞いているだけで、「霊」が下る。しかも聞いている全ての人に下る。
聖霊なら良いが、悪霊が下る。
だから、口からかえるのような悪霊が下ると理解する。
喋っている時に、霊が下る。
メッセージを聞いているだけで、霊が下る。
その様な(ベニーヒンのような)集会に、出席する事自体が危ない。
ベニーヒンに限らず、アメリカ由来の器に関してはどれも気を付けるべき。
器が口で喋っているその下で霊が下るというこのポイントを覚えておく。
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