ヨハネの黙示録17章5節~7節 2016.11.6
17:5その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。
大バビロンに関して。
17:6そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。私はこの女を見たとき、非常に驚いた。
「女」は明らかに、教会と関係している。
中々、クリスチャンの常識、思いにおいては、そう思えないし、思いたくも無い。
しかし残念ながら、明らかにこの女は教会と関係している。
「ぶどう酒を飲む」「杯」は、明らかに聖餐のぶどう酒であり、杯。
バビロンに関して、「金」や「銀」の描写はみな、教会に関して書かれている、あらゆる喩えそのもの。
なので、認めたくない気持ち、惑わされた教理に従っている人は、「艱難の前に上げられる」など、冗談みたいな話をまともに考えている人達には、受け入れられないのは事実だが、我々は、自分の思いや願いなどや、耳触りの良い話などを優先するのではなく、聖書の語る事を、たとえそれが我々にとって耳の痛い事であっても、尊重して行きたい。
そういうつもりがある時に、初めて見えて来る事がある。
この「女」「バビロン」は、背教の教会。
「男」はキリストであり、「女」は教会。
ここで言うバビロンは、背教の、アメリカの教会。
「この女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。」とある。
この女を通して、迫害が起こされ、イエスの証人たちが殉教するという事が、書かれている。
1つこれを通してはっきりしないといけないのは、教会の背教が極まり、最後には、正しいクリスチャンたちが、背教の中で殉教するようになる。「血を流す」という事。
受け入れがたい現実だが、そういう日が来る。
聖書が語っている現実は見て行きたい。
我々にとって不都合な事であろうとあるまいと。
明らかに聖書はその事を語っている。
背教の教会の中で、殉教が起きるのは、キリスト教会で言われない事だが見て行かなければならない。
これは聖書の他の箇所でも預言している事でもある。
「あなた達は、父、母、兄弟たちからも裏切られる」とか、「あなた達を殺す者が、自分たちが神に仕えていると思う時が来る。」 神に仕えるのは、教会のクリスチャン。
クリスチャンによって、訴えられたり、殺されたり、これはまさに殉教。
教会の中で迫害や殉教が起きるとは、まさにその事を言っている。
さらに、主イエスご自身の歩みを見ても解る。
イエス・キリストが2000年前に来られた時、主は殉教され、血を流して、命を失ったが、誰が、キリストを十字架に追い込んだのか、誰が死刑に処したのか、誰が訴えたのか、それは、神を信じている筈のユダヤ人たち。
その血の責任は、全てユダヤ人に帰せられる。
「その人の血の責任は、我々と我々の子孫に帰せられても構わない」と言ってしまっている。
これは、まさに旧約の終わり。 その時の末期的な姿を現している。
残念ながら、悪い意味で、歴史は再現すると思われる。
淫婦バビロンが「イエスの証人たちの血に酔っている」と言っている様に、「女」=「教会」の中で、兄弟姉妹である正しいクリスチャンたちが、訴えられたり、逮捕されたり、最後には
血を流して殉教する時が来るという事。
明らかに黙示録はその様な未来を語っているが、クリスチャンはその現実を見ようとしない。
しかし、曲げた解釈をしたからといって、インチキな時代が来るわけではない。
あくまで神の書かれた、まっすぐな御言葉の通りに、未来はやって来る。
我々は正しくこの事を見て行きたい。
「聖徒たち」という事を見て行きたい。
聖徒たちは、ここでは殉教する事になる。
聖徒たちの、「聖」は、ギリシャ語の「ハギオス」という言葉が使われている。
どういう所で使われているかと言うと、例えば、
ルカ
2:25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
ハギオス=「聖」 聖霊の「聖」と使われている言葉が同じ。
だから、今のルカの箇所では、「聖霊」という言葉の中に、同じ言葉が使われている。
「聖霊」に関しての箇所に多い。
我々は聖い者であるべき。
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」とあるから。
我々は聖い歩みをして行きたい。
「ハギオス」は「聖霊」という言葉に使われている事が多い。
我々が聖く歩む、しかも殉教するくらいの聖徒たちとして、サタンやバビロンの女に憎まれ、殉教するくらい聖く歩むという時、大事なポイントは、聖霊によって歩むという事。
それが、我々が聖い者になって行くという1番のポイント。
聖霊に祈り、聖霊に触れていく時、その時に我々は、聖霊によって、何が聖く、何が聖くないかという事が解って来る。
そうすると、聖霊に触れる前の歩みと異なって来る。
この世の人達は、見ても非難する事が多い。
聖く歩むのは難しい。自分が正しいと思っても、人から非難されたりする事があるが、聖く歩むという事に関連して、聖霊にあって、何が聖いか、そうでないかが区分できるようになる。
クリスチャンの聖さは、聖霊。
聖霊が、我々が持っていなかった聖さ、この世の区分、隠れた罪、隠れた悪い思い、こういう所から分離する様な聖さが与えられる。
我々の聖さは聖霊にある。
だから、聖い歩みをしていく時に、聖霊に触れる人が、聖い。
殉教する人も、結局は聖霊に導かれてきた人。
これから驚くべき時が来る。
教会は聖霊によって導かれている筈なのに、あろうことかその教会の中で、聖霊に導かれている人は憎まれて殺されるという、大逆転の時が来る。
しかし、驚くべき事ではない。
イエス様の頃まさに、起きているから。
パリサイ人、律法学者達によって憎まれ、殺された。
その再現を、黙示録は預言しているので、我々の常識を優先するのではなく、聖書の語っている事を優先して行きたい。
黙示録で、「イエスの証人たちの血に酔っている」とある。
キリストを証言する人が、その時に殉教するという事。
これから、残念な事ではあるが、教会の中で「イエス・キリストこそ真の救い主だ」という事を言う事が出来なくなり、逆に、いのちを失う事になるとんでもない時代が、来そうだという事を覚えておく。
しかし、その様な時にも、キリストを否定する事が無いように。
「人前で私を否定する者は、わたしもその人を父なる神と、聖なる御使いの前でその人を否定する」と主は言われた。
厳しい選択になるので、我々は、背教の教会の中で、キリストを否定する歩みに入る事が無いように、今から歩んで行きたい。
その時、バビロンすなわちアメリカのキリスト教会の背教は、全く極端な所にきており、教会の中であろうことか、キリストを迫害するクリスチャンに殺されるような時代になって行く。
「兄弟は兄弟を訴えて死に至らしめる」とある通り。
他の箇所も語っている事の成就なので、今すでに、教会はおかしくなっているが、まだ、正しいクリスチャンを訴える所までは来ていない。しかし、黙示録は近未来を語っている。
今の方向なら、いずれそこへ行く。 聖書が正しい。
「私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」とある。
「驚く」という言葉にポイントがある。
7節では、「なぜ驚くのですか。」と御使いが言っている。
この「驚く」という言葉が、ギリシャ語のどこで使われているかを見た時に、2か所しか使われていなかった。
1か所は黙示録17章6節だが、もう1か所、
第二コリント
11:14しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
「驚くには及びません」・・・これと同じ言葉が、黙示録で使われている。
しかも、その箇所でしか使われていない。 なので関係がありそう。
聖書は神の知恵によって書かれたので、色々ヒントや教え、隠された知恵や方法、また情報が隠されている。
何故、「この女を見たとき、非常に驚いた」のか、第二コリントのこの箇所にヒントがありそう。
11:13こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
バビロン、アメリカの背教の教会の特徴は、「にせ使徒」という言葉に出ている。
なので、バビロンアメリカは、「にせ使徒」
本当の使徒ではなく、「自分は使徒」だと言っているが、「にせ使徒」
それを聞いて思い出すのは、ピーターワグナー。
ピーターワグナーは、「使徒とか預言者などの5職の回復」などと色々言いだしていた。
日本でもこの男のいう事に影響された人たちもたくさん出て来たし、著書の「聖霊の第三の波」も良く売れたという事だが、こちらの理解では、このピーターワグナーこそにせ使徒であり、
キリスト教会を導いて、悪霊的なリバイバルに引き込んだ、まさに張本人である事と理解出来る。 まさに「にせ使徒」、だから、アメリカの特徴というのは、どういう事かと言うと、14節にも書いてあるように、アメリカ・バビロンの特徴は、「光の天使に偽装したサタン」
すなわちインチキ。
理解に間違いが無ければ、アメリカ・バビロン(アメリカのキリスト教会)の大きな特徴がある。
個々のクリスチャンの事は言わないが、全体的な事を言うなら、まさにサタンが、光の天使に偽装しているという、こんな表現が、アメリカ・バビロンのキリスト教会の特徴。
聖書が言っていると思う。
聖書の言葉は、人間的な理解をしていくと、誤る。
聖書が正しい。
にせ使徒は、良さそうな事を言っているが、結局は滅びに入って行く。
レフトビハインドは典型的。
色々と終末の事を正しいかのように教えているが、「上に上げられるから、備えなくても大丈夫」だと言っている。
「クリスチャンに対する裁きは無い」と言っている。
それは光の天使を偽装したサタンがインチキを教えている。
聖書は明らかに、クリスチャンを表現して、例えば、「キリストの花嫁」という事に関しても、
賢いおとめ、愚かなおとめと書いてある。どちらも花嫁候補。
クリスチャンはみな花嫁になる予定でも、2種類ある。
真に結婚が成立するクリスチャンもいるが、キリストによって「知らない」と言われてしまうクリスチャンもいる。
「クリスチャンと名がつけば、泥棒であろうとも、悔い改めなくても、その日に罪を犯していようが、何が何でも天国に入る」という、とんでもない教えは、光の天使を偽装したような教え。 多くのクリスチャンがそれに惑わされている。
聖書の他の箇所では、クリスチャンは麦に喩えられている。
神のみ言葉を食べて成長する、クリスチャンの一面だが、麦も、良い麦と、毒麦があるというのが聖書の主張。 良い麦は倉(天)に入るが、毒麦は集められ火に焼かれる。
しかし、アメリカ由来のキリスト教は、甘い事を言う、にせ預言者の特徴がある。
にせ預言者は羊のなりをしてやって来るが、正体は貪欲な狼。
また、「全ての人に褒められる者はわざわいだ。彼らはにせ預言者をそのように扱った」
聖書の視点で、アメリカのキリスト教会を見て行かなければならない。
サタンが光の天使に偽装している。
一見、キリスト教らしきものがそう。
いかにも聖書が語っている、らしきものを言っている。
しかし、正体はサタンなので、いずれ滅びに入る。
アメリカのキリスト教会、バビロンの惑わしは、非常に深刻なものがある。
サタンのターゲットは、未信者ではなく、永遠のいのちを持っているクリスチャンだから。
クリスチャンを騙し、永遠のいのちを奪ってしまうというのが、光の天使を偽装したサタンの思惑であり策略。
それは、アメリカのキリスト教会・・・バビロンを通して成就しつつあり、成功しつつあるという事をまさにこの御言葉は語っている。
にせ使徒の事は、アメリカでまさに実現している。
この辺りが、聖書が語っている、アメリカ・バビロンの正体。
11:13こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
ピーターワグナーはピタリと当てはまる。
人を欺いて、永遠のいのちを奪おうとする。まさに、人を欺く働き人。
ピーターワグナーを初めとして、一連のあらゆるおかしな働き。
「霊的な地図」、「地域を支配する霊」などの、あらゆる偽りの教えが、一度に日本のキリスト教会に入って来た。
サタンが、光の御使いに変装している。
11:15ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。
キリストではなくサタンが義のしもべに返送する。
サタンのしもべだから、人を滅ぼしたり、地獄に落とし込めたりする者が、義のしもべに返送して、キリスト教会の真ん中に入って来る。
これは、今のキリスト教会に実現している。
どさくさ紛れに、「獣の印」を付けたり、 ベニーヒンは、「デーモン」を連呼している。
なので、どの様な事も、「聖書が正しい」という所に立たねばならない。
そうでないと、今のキリスト教会に起きている事が理解できない。
我々が出した、トロントビデオには、はっきり出ている。 それに対してペンテコステ系の人達は怒っていた。
しかし、改めて第二コリントの11章を見ていったら、「サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。」とある。
今まさに現実に起きている事。 聖書が預言している事。
だから、「そんなことあり得ない。」「キリスト教会の真ん中にサタニストが来るなどあり得ない。」という人こそ、聖書を知らない。信じてもいない。また、理解をもしていない。
我々はただ聖書にある事を主張しているにすぎない。 そしてそれは正しい。
今のクリスチャンが、今の時代を見ようとしているのではなく、自分の思惑や都合や、「艱難前に上げられる」など。 だから、聖書に書いてある事が理解できない。
それではとても、この時代にあっての主のしもべとして立つ事は出来ない。
黙示録の話に戻るが、アメリカ・バビロンのキリスト教会の特徴は、一見光の天使にしか見えない。 偽善的な人はみんなそれに騙される。
真に聖霊にあって正邪を見ずに、只々偽善的なクリスチャンは、アメリカの表面的な事しか見えずに、結局は惑わされて行く。
サタンが光の天使に偽装しているが、真実を見る事が無い。
おかしなリバイバルに惑わされ、おかしなものを見るようになって行く。
しかし、聖書が語っている事が正しいので、我々は惑わされるべきではない。
アメリカではキリスト教らしきこと、終末の預言らしき事などを聞くが、どれもこれも、またリバイバルらしき事が起きるが、どれもこれも、光の天使に偽装したサタンにすぎないので、そのリバイバルに従って行けば、サタンの悪霊にやられていくし、レフトビハインドなどを信じて行くなら、終末の日に惑わされて、正しく天の御国に入る事が出来ない。
そこで語られて行く福音らしきものを信じて行くなら、結局は滅びに入って行く。
これは、サタンの策略であり、サタン由来のキリスト教であり、サタン由来の霊。
繰り返すが、聖書だけが正しい。
この辺りを見ないなら、「私はこの女を見たとき、非常に驚いた。」という言葉を通して語られている、メッセージを出来ていない事になる。
黙示録
17:7すると、御使いは私にこう言った。「なぜ驚くのですか。私は、あなたに、この女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣の秘義とを話してあげましょう。
「乗る」という言葉。
「この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持つ獣」と書いてある。
このバビロン、教会に関して、聖書が強調している1つの事柄は、「この女が獣に乗っている」という事。木や石で造られた像ではないので、この生きた獣は、どんどん動いて行く。
「女が獣に乗っているという」表現、また、「女を獣が乗せる」という表現。
言わんとしている事は、どんどん動いて行くという意味。
「この女が獣に乗っている」という言葉の言わんとしている事は、アメリカのキリスト教会は、当初は純粋なものだったかも知れないし、純粋で聖書的な歩みをしていたかも知れないが、いかんせん獣の上に乗っているがために、どんどん聖書からかけ離れたり、キリストから離れて、どんどん違う所に連れて行かれてしまうというニュアンス。
アメリカのキリスト教会は、まさにそう。
国がキリスト教会の変化を要求して来る。
もうすでにアメリカのキリスト教会は、大いにアメリカという国に影響されている。
同性愛を受け入れたり、牧師であっても、「アメリカのやっている戦争は正しい」と言ったり、「殺すな」という神の教理よりも、アメリカのインチキな政策の方を優先させてしまっている。
ジョージア州の職員が、健康のカウンセラーの仕事をやっていたけれども、週末の日にだけ、牧師の奉仕をしたというだけで、それがもとにクビにされてしまった。
牧師が訴えると、驚くべき要求をジョージア州が突き付けて来た。
「牧師のあらゆるメッセージ、それを記したノートを全部提出しろ」と言ってきた。
クリスチャンや、牧師に関しては驚くべき事。
今でもこの州は、その要求を取り下げていない。 裏には国の意志がある。
これから、教会のメッセージに対し、国が、「この内容はダメだ」とか「ここはチェック」とかをする前触れだと理解出来る。
1つの事件ではない。その裏には、アメリカという獣の国の色々な策略がある。
いずれ、近未来は、こう言う事になる。
まさに、「常供のささげ物が取り除かれる。」
常供のささげ物とは、メッセージの事。
メッセージを取り上げられ、「キリストこそ贖い主」というメッセージは教会から全面的に取り除かれるようになる。
それが、黙示録が預言している未来だが、現時点のアメリカでは、まさにその方向に来ている。
聖書はそういう未来を預言しており、常供のささげ物が取り上げられる未来を預言しており、またアメリカはそういう方向に、現時点で来ている。
我々はその様に理解している。
アメリカのキリスト教会の動向を気にするが、黙示録は、「この女が獣に乗っている」とあり、
それであるがために、獣の進行方向にこの女も進まされる。
それがまさに、アメリカのキリスト教会の現状。
行き着く先は、全く獣化してしまう教会になってしまうという事。
なので我々は、良くも悪くも、今のキリスト教会の現状を聖書をもとに見て行かなければならない。
我々の主観を排してでも、主が書かれた事を優先して行く。
明らかに、アメリカのキリスト教会は背教になり、しかもどんどん「獣」=アメリカに影響されて行く。 すでに影響されているが、もっとひどくなる。
神は我々を嚇しているのではなく、そういう未来が来るので、それを避け、背教の教会を離れ、正しく仮庵に入り、正しくこの時代を、主のしもべとして歩むため、選り分けられ行く様に働いているのであって、脅かしの為ではない。
我々は、これを正しく警告として受け取り、正しくなす事をなして行きたい。
レムナントキリスト教会
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