ヨハネの黙示録20章7節~9節 2017.4.30
黙示録
20:7しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
20:8地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
20:9彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
「しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、」とある。
千年王国の事はよく分からない。
喩えではないかという感覚がある。
「千年は一日、一日は千年の様だ」と主が語られた。
感覚としては近いかもしれないが、感覚がすべてで判断するのは困る。
この事は、保留とさせていただく。
「文字通りの千年」という人もいるが、千年王国は、黙示録でしか出てこない。
終末の事を書いてあるのは、黙示録だけではなく、ダニエル書とか、マタイの24章とか、福音書でも書いてあるが、「千年王国」の事は書いていない。
しかも黙示録は、あらゆる喩えや、謎が使われているので、これは文字通り取るべきとも思えないが、今のところ答えが無いので、保留とさせていただく。
「サタンはその牢から解き放され、」とある。
8節「地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。」
なので1つは、サタンの働きの1つとして、「惑わす」という事が出て来ている。
サタンの働きの1つに「惑わす」という行動があるのは、よく覚えておく。
惑わされるのは、人。
ゴグとマゴグは、ある種のクリスチャンの喩えだと思うが、終末においては、背教した神の民が惑わされ、正しい人をやっつけたり、迫害したりするような形になると理解出来る。
人聞きは良くないが、神の民の間に2種類の人達が出て来る。
惑わされる人達と惑わされない人達。
惑わされない人達が、惑わされた人たちに迫害される。
イエス・キリストの初降臨の時もそうだった。
キリストは、正しく神の言葉や真理を語って行ったが、妨害した人達がいる。 誰か。
異邦人ではない。 律法学者、パリサイ人、祭司らが妨害を仕掛けて来た。
そういう人達が、惑わされ、「何とかしてあいつ(イエス様)を捕まえようとか、」「何とか言葉尻をとらえたりして行く」 そういう意味では、このパターンを覚えておく。
サタンは、神の働きをとどめるために、神の民を惑わす。
イスカリオテのユダは、見事に惑わされた。
イエス様は見抜いておられたが。
ただ、ユダの裏切りは、見事に効を奏していた。
残念ながら、このパターンは、覚えておかなければならない。
我々は、鳩の様に素直であるべきだが、蛇のごとくさとくあるべき。
何故なら、これから次第に、クリスチャンとあるだけで、全てを信用できないという時代に入って行く。 今はまだそうではない。
その時にショックを受けてはならない。何故なら、予てから聖書で預言されている事柄だから。
「兄弟が兄弟を訴える」とか。
これは、まさに喩えとしては、教会の親子関係、霊的な兄弟姉妹とか、そういう日は来るという事。
それは、サタンが惑わす働きにおいて、大いに活躍するからであり、もう1つは、神の民の背教のゆえに、サタンの声にどんどん聞き従って行く故に、その様な事柄がある。
なのでサタンは、民を惑わすという事をよく覚えておく。
ここでは、ゴグとマゴグが出て来る。
「地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。」
ゴグ、マゴグはエゼキエル書にもある。
「ゴグ、マゴグは、北のロシアではないか」という人が沢山いる。
語呂合わせの様にその様な事を言う人が多いが、それは違うと思う。
黙示録には、「地の四方の民」というように書いてある。東西南北という事。
ゴグ、マゴグは、南のアフリカにもいるし、東の日本にもいるし、西洋の国にもいる。
ゴグ、マゴグは、どこの教団とは言わず、惑わされたクリスチャンの集まり。
エゼキエル書
38:1さらに、私に次のような主のことばがあった。
38:2「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、
38:3言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。
メシェクとトバル。 言葉の意味が解らないとここは、解らない。
聖書は、言葉の語呂合わせでは理解できない。
メシェクには、「引き出す」という意味合いがある。
トバルは、「あなたは引っ張り出される」という意味合いがある。
ゴグ、マゴグ。
ゴグは「山」 マゴグは「神の地」という意味合いがある。
言わんとしている事は、マゴグの地のゴグ。
「神の地」と書いてある。 だからこれはある意味、ある種の「神の民」と思う。
そして、「引っ張り出される」 だから、惑わしで引っ張り出されるという意味合いがある。結局滅ぶ。
それは、イエス・キリストの時もそうだった。
律法学者、パリサイ人は、他でもない神の子である、イエス様に対して戦いを挑んで、最後には結局滅びに入ってしまった。 「惑わし」によって引っ張り出される。
終末の日に惑わされた多くの神の民だと理解するが、
38:4わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。
ここはみな喩えが使われている。
武装した馬や騎兵は、キリスト教の教団、集団。
「剣を取る大集団」これは、御言葉の剣をとる大集団。
38:5ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。
救いのかぶと、信仰の盾。クリスチャンの喩え。
38:6ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。
北は、今のカトリックを喩えていると理解する。
だから、カトリックが、正しいクリスチャンに対する迫害の急先鋒になると理解出来る。
38:7備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。
38:8多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。
ここを、今の一般的な解釈をする人たちは、文字通りの地理的なイスラエルの地だとする。
「北のロシアが攻撃する」と言っているが、喩えを理解できていないと思う。
セム族は黄色人種の筈だが、今ユダヤ人と名乗っている彼らは白人。
彼らは、「ユダヤ人であると嘘をついている人達」だと思う。
彼らの事はメインではない。
その事をここが預言しているとは思えない。
そうでなく、喩えの意味合いとしては、8節で書いてあるように、「一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、」とある。
「剣」は教理、御言葉に対しての喩え。
だから、教理的な惑わしから立ち返った、正しいクリスチャン達の事。
「艱難前」等のインチキな教理から回復された、正しい道に戻って来たクリスチャンたちの事だと思う。
「その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。」
回復された民。仮庵の祭りの民は、多くの国々からというのは、「あらゆる教団」という事。
日基であろうと、同盟であろうと、そこから正しい真理の教理に戻って来た人々。
「艱難前は間違いだった」とか、「いのちに至る門は広いものではない」など、正しい教理に戻って来た人達。
「久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。」
これも非常に象徴的な言葉。
神は、イスラエルという国を、世界の国々の中で、地理的に中心に置かれている。
だから、イスラエルから東の方は、東洋であるし、西の方は西洋。
なので、世界の真ん中にある。
これは、意味のある事。
聖書的な喩えの意味合いで言えば、我々が、神のみ心の中心の民であるなら、イスラエルの地であり、イスラエルの歩みをしているという事。
「久しく廃墟であった」とは、意味深であるが、そういう正しい歩みに入っているクリスチャンは、終わりの時代、21世紀の時代には、殆どいない。
みんな間違って、ずれている。
「艱難前」とか、「クリスチャンと名がつけば滅びは無い、クリスチャンは裁かれない」とか、かなりずれた所に行っている。
本来クリスチャンが歩むべき、全く正しい場所、「イスラエルの地」に誰もいない。
そこに戻って来た人達というのは、霊的な真理に回復した人達と言える。
しかし正しいが故に、惑わされた人たちからは、迫害や攻撃を受けるという事が、まさにここに書いてある事柄だと理解出来る。
「その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。」
あちらの教団、こちらの教団から戻って来て、真理に戻り、「ここは真理の場所だ」と安心して住んでいる。
38:9あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。
しかし、悲しい事に、サタンはそれを放ってはおかない。
正しいが故に、それを惑わして、真理に戻らせまいとして、迫害して行く。
これは、イエス・キリストの時にも起きている事。
バプテスマのヨハネが現われた時に、まさに真理の回復を語っていた。
「主の道を真っ直ぐにせよ」と。
主の道が、曲がっていた。凸凹になっていた。
真理の回復を言っていたが、結論は、首をはねられて終わっている。
サタンが「そうはさせるか」ともっていっている。
イエス・キリストは、まさに真理を行なっている。
「わたしは真理であり、いのちである」と自らを明かしておられる。
しかしサタンは、結局は、ゴグ、マゴグのように、パリサイ人、律法学者を惑わして、「こいつを十字架につけろ」と叫ばせて、結局イエス様の命を奪った。
「真理に戻らせまいぞ」というサタンの働きが、まさにあった。
そして再臨の日にも、再現する、という事が、ゴグ、マゴグが言っている事。
この人たちが何故ゴグ、マゴグに攻撃されるかと言うと、真理に戻って、正しい御言葉を語るが故に迫害される。それが唯一の理由であり、裏にはサタンがいる。
惑わされている人は、何も解らない。
「異端の教えだ。惑わされている事を言っている」と。
だから、小規模だが、レムナントは経験している。
北海道にある教会に「角笛」を送っていたが、クレームが来た。
それは、聞いた事も無い事を、角笛で書いてあるから。
惑わされた人たちは、自分が正しいと思っている。
正しいクリスチャンに対し、もっと積極的に、「カルトだ」と言って来るのが、ゴグ、マゴグの時。
遠い未来の話ではないと思われる。
38:10神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。あなたは悪巧みを設け、
38:11こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』
38:12あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。
だから、そうは行かないという事。
イエス・キリストの時にも、真理に戻って行った12弟子にしても。
あらゆる迫害や、妨害が来た。
人がやっているが、裏においてサタンがやらせている。
それであるが故に、「あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、」とある。
正しい人であるが故に、「そこへ入るな、異端だ。」という大騒ぎになる。
「今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。」
「その国の中心に住み、」とは、言い得て妙。
イスラエルは世界の国々の中心。
中心という事は、的外れではないという事。
今の教団の色んなクリスチャンの歩みの1つのキーワードは、「的外れ。」
「的外れ」は攻撃を受けないが、「中心」になれば攻撃される。
サタンが「長年滅びに至らせるインチキを繰り広げて来たのに、今になっていのちに入る真理に戻られたらたまらん!」とばかりに。
サタンはやはり「人殺し」
最初は言葉巧みに、イブ、アダムを騙した。
サタンの姿勢は、今もずっと変わらない。
ゴグ、マゴグの時は、さらに大き目に発揮されて来る。 大集団を率いて。
そういう意味で、惑わされていたクリスチャンが、真理に帰ったという事。
かつて惑わしたクリスチャンが、永遠のいのちに向かっている。これはサタンにとって許しがたい事。
38:13シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、あなたに聞こう。『あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。』と。
「家畜や財産」、牛とか羊なので、クリスチャンを喩えている。
「銀や金を運び去り」なので信仰を奪って、「そんなおかしなカルト信仰するな」と言って、信仰を奪おうとする。
38:14それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。
パウロも言っている通り、我々こそ新約のイスラエル。
しかし、惑わすサタンの方法というのは、旧約のイスラエルは、クリスチャンに関係ないように見せかけている。
しかし、旧約のイスラエルこそ型にすぎないので、新約の真のイスラエルであるクリスチャンに、聖書に明らかに大きなポイントが来ている。 数からいっても多い。
38:15あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。
「北の果て」と書いてある。
ゆえに、カトリックが、主役になるのではないだろうか。 正しいクリスチャンを迫害する時、メインの惑わしの先頭に立つのは、カトリックである可能性があると思う。
38:16あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。
やはり、艱難時代は経過する。これは艱難時代そのもの。
「艱難の前に上げられる」というのは間違い。
「わたしの地を攻めさせる。」と書いてあるから。
「艱難の前に上げる」とは書いていない。
しかしこれは、神の民の選びでもある。
選り分けを通して、残るべき者は残る。 ある意味では、神様の方法。
これは、尊重するしかない。
38:17神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。
38:18ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、――神である主の御告げ。――わたしは怒りを燃え上がらせる。
38:19わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。
38:20海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。
「イスラエルの地に大きな地震が起きる」だから、中心に集まった人々に対して、良くも悪くも地震が起きる。
「地震」は揺るがし、迫害であり、艱難時代。
冷たいようであり、非情のようであるが、明らかに聖書で一貫している考えは、やはり、試練を経て、残る者にポイントがある。
選り分けは神によって許されている。
地震をもって、倒壊してしまう家は、それだけのものだというのが、聖書的な考え。
「砂の上に家を建てた」「岩の上に家を建てた」というが、砂の上も、岩の上も両方守るとは神は言っておられない。「砂の上に家を建てたなら、倒れてしまい、その倒れ方はひどい」と主は言われた。
我々の歩み次第で、この日を目指して、我々が、今の時代のクリスチャン生活を送って行かないと間違う。
晴れた日の事だけを考えていてはならない。
地震が来るという事は、繰り返し聖書に書かれている事なので、それで、崩れないような
家、教会、クリスチャン生活を建てるというのが正しい。
「最低限の強度の家を造る」とかは今の事しか考えていないという事。
38:21わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。――神である主の御告げ。――彼らは剣で同士打ちをするようになる。
しかし、その様に迫害しているのは、良い事ではなく、剣で同士討ちをするようになるというように、お互いに教理論争で、自滅してしまうという事が、まさにここで書いてある。
38:22わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。
38:23わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」
ここでは、霊的な問題。
「疫病、流血」「火や硫黄」・・・霊的な事の喩え。
正しいクリスチャンたちを迫害する人たちは霊的に惑わされ、自滅するという事。
エゼキエル書
39:1「人の子よ。ゴグに向かって預言して言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。わたしはあなたに立ち向かう。
39:2わたしはあなたを引き回し、あなたを押しやり、北の果てから上らせ、イスラエルの山々に連れて来る。
北の果てからなので、やはりカトリックが主導すると思われる。
正しいクリスチャンは、迫害されたり、攻撃されたりする。
39:3あなたの左手から弓をたたき落とし、右手から矢を落とす。
39:4あなたと、あなたのすべての部隊、あなたの率いる国々の民は、イスラエルの山々に倒れ、わたしはあなたをあらゆる種類の猛禽や野獣のえじきとする。
惑わされたクリスチャンたちは結局滅ぼされてしまう。
39:6 わたしはマゴグと、島々に安住している者たちとに火を放つ。彼らは、わたしが主であることを知ろう。
火とは、霊的な惑わし。
39:7わたしは、わたしの聖なる名をわたしの民イスラエルの中に知らせ、二度とわたしの聖なる名を汚させない。諸国の民は、わたしが主であり、イスラエルの聖なる者であることを知ろう。
39:8今、それは来、それは成就する。――神である主の御告げ。――それは、わたしが語った日である。
39:9イスラエルの町々の住民は出て来て、武器、すなわち、盾と大盾、弓と矢、手槍と槍を燃やして焼き、七年間、それらで火を燃やす。
39:10彼らは野から木を取り、森からたきぎを集める必要はない。彼らは武器で火を燃やすからだ。彼らは略奪された物を略奪し返し、かすめ奪われた物をかすめ奪う。――神である主の御告げ。――
剣の戦いは、実は、イスラエル、即ち正しい民が勝つという事。
39:11その日、わたしは、イスラエルのうちに、ゴグのために墓場を設ける。それは海の東の旅人の谷である。そこは人が通れなくなる。そこにゴグと、そのすべての群集が埋められ、そこはハモン・ゴグの谷と呼ばれる。
だから、正しいクリスチャンを迫害したことが命取りとなり、多くの惑わされたクリスチャンたちは、永遠のいのちを失い、滅びに入って行く。
それは、イエス様の時もそう。
イエス・キリストがある意味では、来られなければ、当時の律法学者、パリサイ人、祭司の罪は暴かれなかった。
善い人は、良い、ペテロ、ヨハネみたいに、正しい人達は、キリストが来る事になって、発揮され、逆に、主の御前、神の御前に正しくない人達は露呈してしまい、逆に滅びに入る。
エルサレムが陥落した時、その人達も結局滅んでしまった。
そういう意味では、世の終わりの時に、正しく歩んでいない人達は、正しいクリスチャンが出て来るがために、逆に自分たちの罪が現われてしまうという、そういった事になるかと思う。
39:12イスラエルの家は、その国をきよめるために、七か月かかって彼らを埋める。
39:13その国のすべての民が埋め、わたしの栄光が現わされるとき、彼らは有名になる。――神である主の御告げ。――
39:14彼らは、常時、国を巡り歩く者たちを選び出す。彼らは地の面に取り残されているもの、旅人たちを埋めて国をきよめる。彼らは七か月の終わりまで捜す。
39:15巡り歩く者たちは国中を巡り歩き、人間の骨を見ると、そのそばに標識を立て、埋める者たちがそれをハモン・ゴグの谷に埋めるようにする。
39:16そこの町の名はハモナとも言われる。彼らは国をきよめる。
39:17神である主はこう仰せられる。人の子よ。あらゆる種類の鳥と、あらゆる野の獣に言え。集まって来い。わたしがおまえたちのために切り殺した者、イスラエルの山々の上にある多くの切り殺された者に、四方から集まって来い。おまえたちはその肉を食べ、その血を飲め。
39:18勇士たちの肉を食べ、国の君主たちの血を飲め。雄羊、子羊、雄やぎ、雄牛、すべてバシャンの肥えたものをそうせよ。
39:19わたしがおまえたちのために切り殺したものの脂肪を飽きるほど食べ、その血を酔うほど飲むがよい。
39:20おまえたちはわたしの食卓で、馬や、騎手や、勇士や、すべての戦士に食べ飽きる。――神である主の御告げ。――
鳥は明らかに霊的なものの喩え。
多くの惑わされたクリスチャンが霊によって惑わされて行くというのが、喩えを使って書かれている。
エゼキエル38章の結論は、イスラエルの地に民が戻って来る。
これは、終末の日に、我々は聖書に書いてあるように、黙示録は他のところにバビロン捕囚と書かれている。
あるクリスチャンはバビロン捕囚されたり、アッシリヤに捕囚されたりとか、逆にあるべきイスラエルの地、すなわち中心の地は空っぽであるが、世の終わりの時に、回復する人達が出て来る。
しかしその人達は、正しい真理に戻った故に、ゴグ、マゴグの戦いに巻き込まれ、惑わされた神の民は、カルトをやっつけているつもりで、実はサタンに惑わされて、サタンの心を行なってしまうようになる。
これがまさに、ゴグ、マゴグの戦いに関して、聖書が語っている事柄。
黙示録
20:8地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
「地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、」と書いてあるように、ゴグ、マゴグは、ロシアなど北の国と言っているが、地の四方の民と書いてある。
地の四方は、北だけでなく、東、西、南も四方の民。
だからそういう意味では、どの教団からも、ゴグ、マゴグがある。
しかし、教団からも惑わされた人たちはいる。
「戦いのために彼らを召集する。」
これは何かというと、正しいクリスチャンに対する迫害のため。
なので、世の終わりの時には、正しいクリスチャンは、覚悟をしなければならない。
これから、剣の戦いが起きるという事。教理の戦い。
それはまさに福音書に書かれている事。
イエス・キリストが、律法学者、パリサイ人と戦争をしている。
これがまさに剣の戦い。
イエス・キリストはカルト扱いされたが、そういった事柄が再現して、我々もカルト扱いされる。
その時は、その反面、迫害の内にいるが、真に、神の言葉に立つべき人なのか、そうでないのかを選り分けるために、神様がそういった事を許しておられる。
エゼキエル書でも、イスラエルの地にその日地震が起きると書いてある。
要は、迫害されて残る者は誰かという事になる。
イエス・キリストの初降臨の時も、弟子は、12弟子に限らず、もっと多かった。
しかし、迫害により、「イエスを信じる者は会堂に入れない」などで、また家族による反対、
親族全員に反対されたり、揺るがし(地震)が許される。
しかし、神様の選びはシビアなもので、「倒れる者は倒れる」と思っておられるよう。
それでも尚且つ残る者にポイントがあるので、我々はそのあたりは、理解しなければならない。
福音書も語っている。
結局12弟子は、最後まで残った。
イエス・キリストも、最後の晩餐の時に言っておられた。
「あなた達は最後まで、わたしのもとに残ってくれた」
3年半の最後の晩。
そういう意味合いで、「招かれる者は多いが選ばれる者は少ない」と書いてあるように、聖書の原則は、結構シビア。
「残る者は残れ」という感じ。
我々は残りたいと思う。
「彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。」と書いてある。
「砂」だから、「群衆」
「岩」は弟子の歩み。 群衆が惑わされる。
イエス・キリストの時もそう。
群衆がみな集まって、「十字架につけろ」と大騒ぎしていた。
弟子の歩みをしている人は、そうとは限らない。
20:9彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
「聖徒たちの陣営と愛された都」・・・これはイスラエル。
歩みにおいて、真理に戻っている人達。
そしてサタンに憎まれる。
サタンに惑わされた群衆に迫害される。 それがまさにここに書いてある事。
取り囲んで、「こいつらはカルトだ」と言っているが、「すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。」と書いてあるように、惑わしの霊によって、正しいクリスチャンを取り囲んでいる者たちを、最終的には滅ぼしたりする。
イエス・キリストを「十字架につけろ」と熱狂的に騒いでいる人達は、明らかに惑わしの霊によって惑わされている。 結局滅びに入って行ったりする。
ゴグ、マゴグの箇所だが、言わんとしている結論は、他の黙示録の箇所と同じ。
黙示録は、こちらの理解に間違いが無ければ、繰り返し何度も、同じ事が書いてある。
3年半の艱難時代を、別の表現で書いてあるに過ぎない。
だから、黙示録のの中には3年半という言葉が、色々言葉を変えて書いてあると言える。
42ヶ月、一時とふた時と半時とか、半週、あらゆる表現で書いてある。
それは、黙示録では、同じ艱難時代に関していろんな表現で書いてあるから。
それは、聖書の1つのパターンでもある。
旧約聖書の中で、ヨセフが夢を見た時に、2種類の夢を見た。
豊作とききん。これも全く表現を変えて2種類のことが書かれている。
それは、「速やかに実現するからだ」と書いてあるように、黙示録はまさに、そういうパターン。
表現を色々書いてあるが、書かれている事は、そんなにいくつも無い。
ここでは、ゴグ、マゴグという表現を通して、艱難時代の事を表現している。
黙示録の時代には、そんなにたくさんの事が起きて来るわけではない。
簡単に言えば、獣の国アメリカが台頭するという事。その下で正しいクリスチャンは迫害される。
もう1つは、教会が背教して、反キリストを受け入れるようになり、獣の印を受けるようになってしまうという事。
そして、惑わされたクリスチャンが、正しいクリスチャンを迫害する。
喩えは非常にバラエティに富んでいるが、言いっている事の結論は、単純な事。
繰り返し、表現を変えて書かれている。
その事を見て行く時に、本質が見えて来るのだと思う。
レムナントキリスト教会
お問合わせ
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著