ヨブ記19章 2012.10.21
19:1 そこでヨブは答えて言った。
19:2 いつまで、あなたがたは私のたましいを悩まし、そんな論法で私を砕くのか。
19:3 もう、十度もあなたがたは私に恥ずかしい思いをさせ、恥知らずにも私をいじめる。
19:4 もし、私がほんとうにあやまって罪を犯したとしても、私のあやまって犯した罪が私のうちにとどまっているだろうか。
19:5 あなたがたがほんとうに私に向かって高ぶり、私の受けたそしりのことで、私を責めるのなら、
19:6 いま知れ。「神が私を迷わせ、神の網で私を取り囲まれた」ことを。
いいかげんなクリスチャンから、正しいクリスチャンが「おまえに罪がある」と、そんなふうに攻撃される
3節で言われているのは、艱難時代のひとつのパターン
信仰の友人から誤解されるというなやみ、たとえば「罪がある」と
しかも、外見で言われてしまう、たんらく的なことを言われる
サタンのこころみの中で持ち物をうしない、人からもわるくおもわれる
なぜ、このようなことがゆるされるのか?→いのちにいたる道は狭いから
ゆえに、このようなことが身に起きるなら、えいえんの命に入っていくというサタンの攻撃のあらわれとも言える
サタンは、クリスチャンがのちの世においてもらえる報いが偉大なことを、よく知っているため、ありとあらゆる手を尽くして(反則をしてまでも)私たちクリスチャンが、天の御国に入るのを止めようとする
19:7 見よ。私が、「これは暴虐だ。」と叫んでも答えはなく、助けを求めて叫んでも、それは正されない。
19:8 神が私の道をふさがれたので、私は過ぎ行くことができない。私の通り道にやみを置いておられる。
ヨブにはほとんど非がない、しかし、ヨブの唯一の欠点は、災いが神からきているとおもっていること
このことは、艱難時代に入ったときの正しいクリスチャンの真理状態についてかたっているとおもわれる
「神が私を捨てた」という感覚になり、そういう心境になるのでは?
しかし、現実はそうではない
そう思わせるような色々なサタンからの惑わしがくる
19:9 神は私の栄光を私からはぎ取り、私の頭から冠を取り去られた。
ヨブは栄光があり評判があった、そして、それがふつうだとおもっていた
ヨブは、たしかに落ち度がなかった、しかし、栄光は続かず、災いに見舞われた、非難された
これは終末に関連したことがらで、そこからまなぶべきことがある
ひょっとすると人によっては、艱難の前には、良い評判を得るかもしれない、しかし、艱難時代に、それらは失われる
非難されたりもする、それでも、主にしたがっていくのか?の試み
イエスさまがそうだった、死刑になった
パウロもカルトあつかいをされた
評判をうしなったり、悪口を言われたりしても、それでもしたがっていくのか?について言われている
イエスさまをはじめ、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロはしたがった
そのときに「なにを優先しているのか?」が、問われる
たとえ、名声や評判をうしなったとしても、主の弟子として働きをしていくことにポイントがある
そのときに、信仰の真価がためされる、そして、評判が一番だとやめてしまう
19:10 神が四方から私を打ち倒すので、私は去って行く。神は私の望みを木のように根こそぎにする。
望みがなくなる
19:11 神は私に向かって怒りを燃やし、私をご自分の敵のようにみなされる。
19:12 その軍勢は一つとなって進んで来、私に向かって彼らの道を築き上げ、私の天幕の回りに陣を敷く。
正しいクリスチャンに対してあらゆる攻撃がくる、このことは現にアメリカで起きている
アメリカを中心に、このことは起きつつり、やがては全世界にひろがっていく
19:13 神は私の兄弟たちを私から遠ざけた。私の知人は全く私から離れて行った。
19:14 私の親族は来なくなり、私の親しい友は私を忘れた。
19:15 私の家に寄宿している者も、私のはしためたちも、私を他国人のようにみなし、私は彼らの目には外国人のようになった。
19:16 私が自分のしもべを呼んでも、彼は返事もしない。私は私の口で彼に請わなければならない。
19:17 私の息は私の妻にいやがられ、私の身内の者らにきらわれる。
19:18 小僧っ子までが私をさげすみ、私が起き上がると、私に言い逆らう。
19:19 私の親しい仲間はみな、私を忌みきらい、私の愛した人々も私にそむいた。
19:20 私の骨は皮と肉とにくっついてしまい、私はただ歯の皮だけでのがれた。
皆からカルトあつかいされたり忌み嫌われたりして、ちかづく人がすくなくなる
親しかった人の評判が逆転しても、それでもしたがっていくか?
15節に書かれているように、教会にいる人たちからもカルトあつかいされる
主にしたがっていくときに、16、19節のことが起きる
他国人のようにみなし:いない人のようにあつかわれる
しかし、いまの歩みは、のちの世と大いに関係がある
参照 へブル12:2
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
主が歩んだ道とおなじようなところを通る、艱難は避けては通れない
苦難は、主にしたがっていくうえで、しかたがない、しかし、のちに受ける報いは大きい、このことに目をとめる
19:21 あなたがた、私の友よ。私をあわれめ、私をあわれめ。神の御手が私を打ったからだ。
19:22 なぜ、あなたがたは神のように、私を追いつめ、私の肉で満足しないのか。
19:23 ああ、今、できれば、私のことばが書き留められればよいのに。ああ、書き物に刻まれればよいのに。
19:24 鉄の筆と鉛とによって、いつまでも岩に刻みつけられたい。
23節:正しい人のことばは、書き付けられる
たとえば、苦難の中でもキリストを否定しなかったりすることは、きざみつけられる
ゆえに、自暴自棄にならないこと!!
19:25 私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
19:26 私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。
25節「ちりの上に立たれる」:「ちり」とは、地上のこと、ゆえに、これは、再臨のキリストについてのことを言われている
このような苦難に会い、四方八方は敵ばかりで望みがない
しかし、唯一の望みは、のちの世に再臨するキリスト
この方が彼をあがない、入るべき地に導いてくださる
艱難時代、何の望みがないように見える、しかし、唯一、地上に立たれるキリストが望み
19:27 この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。ほかの者の目ではない。私の内なる思いは私のうちで絶え入るばかりだ。
正しいヨブは、これを見る、しかし、他の人は、そうではない
唯一、正しい人だけが見る
19:28 もし、あなたがたが、事の原因を私のうちに見つけて、「彼をどのようにして追いつめようか。」と言うなら、
19:29 あなたがたは剣を恐れよ。その剣は刑罰の憤りだから。これによって、あなたがたはさばきのあることを知るだろう。
正しい人をおいつめるような偽善的なクリスチャンには、刑罰がくる、とくに、剣にやられる
正しく歩まないクリスチャンは、剣、すなわち、おかしな教理をつかまされる
Ex:レフトビハインド
正しくない人は、さばきの剣に入っていく
ゆえに、神煮を恐れなくてはダメ!!
まちがえた剣をつかむ人には、それなりの理由があり、刑罰として、インチキに入る
その人の歩みが関係する
もし、その剣からのがれて正しく真理を見るなら幸い
たとえば、12弟子の筆頭格であるペテロは、イエスさまからこのように言われた
参照 マタイ16:15-17
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。
17節に書かれているように、天の父が見せないと見えない
もし、私たちが忠実なら、神さまは、至れり尽くせり、なおかつ懇切ていねいに、艱難のことをおしえてくださる
レムナントキリスト教会
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