ローマ人への手紙14章 2011.3.20,3.27
14:1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
14:2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
14:3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
食べる、食べない:御言葉、教理に関すること
信仰の弱い人:ある種の教理は受け入れられる、ある種の教理は受け入れられない
信仰の強い人:信仰の幅がある
洗礼の本当の意味合い:聖霊に満たされる
強い人が弱い人を裁いたり、弱い人が強い人を裁いたりしてはいけない→どちらも論争を引き起こしてはならない
キリスト教界はあらゆる論争が絶えない
すぐに人を批判してはいけない
寛容にならなければならない
14:4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。
行き過ぎてはダメ
それは、その人を裁くのではなく主を裁くことになってしまう
クリスチャンのすべてが、しもべなのではない
しかし神は、しもべを立たせることができる
主のしもべとなっていくのは大切
不安定であったとしても神が経たせてくださる
しもべとして歩んでいくときに、倒されてもだんだんと立てるようになっていく
主のしもべは立つ
14:5 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。
14:6 日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。
Ex:日曜日だけでなく、月曜日や他の曜日も同じと考える人もいる
日を守ることに関してお互いに非難し合ってはいけない
14:7 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。
14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
このことはあるべき姿→主の恵みに触れる
主のために生きていく(このことはクリスチャンの世界は逆説的とも言える)→人として最高の選択
しかし今の時代必ずしもすべてのクリスチャンに当てはまることではない
14:9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。
14:10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。
兄弟を裁いたり侮ったりしてはダメ、あまりにも批判的になってはダメ、教理を決め付けてしまってはダメ→裁きに入ってしまう
14:11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」
14:12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
神を恐れなければならない→申し開きをしなければいけない
14:13 ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
信仰が弱い人に対する配慮が必要
すでに裁きやすいので裁き合わないようにする
人を批判したり裁きやすくなってしまう
14:14 主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
食べ物(教理)関して
御言葉が汚れていることはない
14:15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。
教理について心を痛めてしまうなら愛によって行動しているのではない
人をつるし上げてはダメ
教理で滅ぼしたり人を傷つけたりしてはダメ
教理で追い詰めたり異端扱いしてはいけない
人を訴えるのも御心ではない
御言葉を行っていく
14:16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。
良いことをやったつもりで、裁かれないように
御心ではないことを行い
自分の目には良いと思っていても御心でない場合がある
14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
神の国:教会(神が支配している)
旧約:イスラエル、新約:教会
飲み食い:教理が大事だと思っている、これが教会の境界線だと思っている、そのことに力点は無い
もっと大事なことがある
平和を求めていくことに御心がある
聖霊の喜び、平和があるのが神様の御心の礼拝
14:18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。
平和や聖霊の喜びを求めていく
14:19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
教会がすべきこと:平和を求めていく、人の霊的な成長を追い求めていく
教理が争いの素になる→人を貶めたり人をカルト扱いする
14:20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人のばあいは、悪いのです。
教理のことで神のみわざを破壊してはいけない:教理の主張をもとに神が贖った人を異端扱いしたり滅びに至らせたり信仰をやめさせたりしてはいけない
いくら立派な教理を持っていても人を滅ぼしたらダメ
神の御言葉はすべてきよい
教理を滅ぼす道具にしてはいけない
14:21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。
つまずきにならないことをしないことは良いこと
14:22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。
人前で言わなくてもよい→神の前よりも出てしまってはダメ、行き過ぎてはダメ
他の人を糾弾してはダメ
クリスチャンが正しすぎる
人を異端扱いしたら裁かれてしまう
14:23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
疑いながら行うことは罪になってしまう
確信をもって行う
14章のポイント
教理によって他の兄弟姉妹を裁いてはいけない
光が与えられても教理で他の人を裁いてはいけない、滅ぼしてはいけない
義と平和と聖霊にある喜びが大切
他の人を立てあげる働きをするなら御心にかなった働き
レムナントキリスト教会
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