詩篇106篇 2015.4.12
106:1 ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
106:2 だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れをふれ知らせることができよう。
主に感謝するのが正しい。
神はあらゆるわざをなされている。でも、知っているのは一部。
106:3 幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行なう人々は。
「正義を常に行なう人々は」とあるように、正しいことを行っていくことにポイントがある。
みことばに沿って語ることに御心がある。
106:4 主よ。あなたが御民を愛されるとき、私を心に留め、あなたの御救いのとき、私を顧みてください。
106:5 そうすれば、私はあなたに選ばれた者たちのしあわせを見、あなたの国民の喜びを喜びとし、あなたのものである民とともに、誇ることができるでしょう。
主に顧みられることにポイントがある。
選ばれるということにもポイントがある。
ゆえに主に選ばれることを求めていきたい。
ちなみに福音書に「招かれる者は多い。しかし選ばれる者は少ない」とある。そして選ばれるほうではなく、選ぶほう側の意志が尊重されるので、選ばれることを求めていきたい。
Ex:12弟子は忠実のゆえに選ばれた。
106:6 私たちは先祖と同じように罪を犯し、不義をなし、悪を行なった。
106:7 私たちの先祖はエジプトにおいて、あなたの奇しいわざを悟らず、あなたの豊かな恵みを思い出さず、かえって、海のほとり、葦の海で、逆らった。
神はあらゆる奇しいわざを行う。けれども何か問題が起きると、それをすっかり忘れて不満が出てしまう。でも、すべての恵みを思い起こしていきたい。
106:8 しかし主は、御名のために彼らを救われた。それは、ご自分の力を知らせるためだった。
106:9 主が葦の海を叱ると、海は干上がった。主は、彼らを行かせた。深みの底を。さながら荒野を行くように。
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106:10 主は、憎む者の手から彼らを救い、敵の手から彼らを贖われた。
106:11 水は彼らの仇をおおい、そのひとりさえも残らなかった。
エジプトを出た民が紅海を渡った。この時にエジプトの民とイスラエルの民に大きな差が出た。
出エジプト記のことは世の終わりと関係する。
正しくない人々に紅海の水が襲い、滅びる。このことは霊的な事柄を言われている。出エジプト記に書かれているほとんどの災いは、霊的なことのたとえ。Ex:ぶよ、あぶ、いなご、かえる、雹等、これらは霊的な事柄をあらわす。
かつての紅海のことは、終末の時、背教の教会に起きる。ちなみに「紅海」とは「赤い水」のことで、水が血に変わることのたとえ。つまり霊的な災いがキリスト教会を覆う。
また、世の終わりはノアの日、ロトの時と言われている。洪水に一人は取られ、一人は残される。そして残されることにポイントがある。エジプト人は紅海に取られた。
Ex:すごいわざや癒しが起きた、と言っている人がいる。が、しかしこれはもしかすると、洪水に取り去られつつあるのでは?と思う。そういう人は神以外の霊を悟っていないのでは?と言える。
しかし9節にあるように、正しく歩むなら災いから免れる。
荒野(仮庵の祭り)をちゃんと行うなら、偽りから守られる。
霊の惑わし入ったら、神からの助けがないと抜け出せない。
106:12 そこで、彼らはみことばを信じ、主への賛美を歌った。
106:13 しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。
106:14 彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。
色々な欲や望みがクリスチャンの歩みをとどめるので気を付ける。
106:15 そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた。
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106:16 彼らが宿営でモーセをねたみ、主の聖徒、アロンをねたんだとき、
106:17 地は開き、ダタンをのみこみ、アビラムの仲間を包んでしまった。
こういうことも気を付ける。
神の立てた器をいやしめて、上に立とうとしたときにのみこまれ、災いに入る。ゆえに留まるべき所に留まる。
教会で自分を高くすることのないようになする。
106:18 その仲間の間で火が燃え上がり、炎が悪者どもを焼き尽くした。
106:19 彼らはホレブで子牛を造り、鋳物の像を拝んだ。
106:20 こうして彼らは彼らの栄光を、草を食らう雄牛の像に取り替えた。
106:21 彼らは自分たちの救い主である神を忘れた。エジプトで大いなることをなさった方を。
106:22 ハムの地では奇しいわざを、葦の海のほとりでは恐ろしいわざを、行なわれた方を。
子牛を作ったことが問題。
牛、羊はクリスチャンのたとえ。
それを「像」として、神の代わりに拝んだ。
今の時代もそう。
すごい聖徒、すごい器に対して私たちがどのように扱うか?
「像」は自分で作り、自分で偶像にしてしまう。
「偶像」は自分で作る。
そして人を偶像にするのは災いになる。
106:23 それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす。」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。
モーセはキリストの型。
とりなしをされる方が神と人との間にいる、ということは覚えておく。本来受けるべき災いをとどめてくださる方がいる。
106:24 しかも彼らは麗しい地をさげすみ、神のみことばを信ぜず、
106:25 自分たちの天幕でつぶやき、主の御声を聞かなかった。
「麗しい地」ということについて見てみましょう。
参照 民数記13:27‐33
13:27 彼らはモーセに告げて言った。「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこにはまことに乳と蜜が流れています。そしてこれがそこのくだものです。
13:28 しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。
13:29 ネゲブの地方にはアマレク人が住み、山地にはヘテ人、エブス人、エモリ人が住んでおり、海岸とヨルダンの川岸にはカナン人が住んでいます。」
13:30 そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
13:31 しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから。」
13:32 彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。
13:33 そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」
イスラエルがカナンの地に入る時のこと。その時に32,33節にあるように、見たままのことを言った。
カナンの地とは、アブラハムに誓った約束の地、天の都のことであり、そこに入るか入らないかは、天の御国に入るかどうかの事柄と関係する。
でも、イスラエルはカナンの地に対して悪いことを言った。そして今のクリスチャンも同じことを言いがちなのでは?と思う。
カナンの地は、大歓迎で入ることはできない。思ってもみないアナク人が待っている。
私たちはいなごのように小さい。けれども大巨人に向かっていかなければいけない。ここに大事な真理がある。
「アナク人」とは、御使いのこと。そして私たちを歓迎していない。
つまり天の御国に入るには、一波乱、二波乱があり、アナク人が待ち構えていて、色々と妨害してくる。
それと戦って勝たないとダメ。それこそ「命への門は狭く、その道は細い」と言われているように、でっかいものが妨害しているから。
神が約束されているのは事実。しかし敵が妨害する。
なぜ、妨害するのか?→妬みのゆえ Ex:エサウとヤコブのことに通じる。
あらゆる生きた妨害が来る。しかし主に頼っていくことで、入るべき所に入る。
Ex:インチキの教理はアナク人がしていこと。
でも、信仰を持って求めていく人は、入るべき所に入る。
106:26 それゆえ、主は彼らにこう誓われた。彼らを荒野で打ち倒し、
106:27 その子孫を国々の中に投げ散らし、彼らをもろもろの地にまき散らそうと。
その子孫を国々の中に投げ散らし(KJV):その種を国々撒き散らし
ある人はすばらしい地に蒔かれ、ある人はろくでもない地に蒔かれる。
今のキリスト教会に、あらゆる教団がある。神の怒りのゆえに、そのあらゆるところに種が撒き散らされている。
Ex:ブラザレン系の教会はまともなメッセージがない。これは変な所に蒔かれている。
ポイント:神に聞き従わないから訳の分からない所に種を蒔かれてしまう。
106:28 彼らはまた、バアル・ペオルにつき従い、死者へのいけにえを食べた。
106:29 こうして、その行ないによって御怒りを引き起こし、彼らの間に神罰が下った。
106:30 そのとき、ピネハスが立ち、なかだちのわざをしたので、その神罰はやんだ。
106:31 このことは、代々永遠に、彼の義と認められた。
ピネハスのしたことは偉大であり、大事なこと。
参照 民数記25:1‐13
25:1 イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと、みだらなことをし始めた。
25:2 娘たちは、自分たちの神々にいけにえをささげるのに、民を招いたので、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。
25:3 こうしてイスラエルは、バアル・ペオルを慕うようになったので、主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。
25:4 主はモーセに言われた。「この民のかしらたちをみな捕えて、白日のもとに彼らを主の前でさらし者にせよ。主の燃える怒りはイスラエルから離れ去ろう。」
25:5 そこでモーセはイスラエルのさばきつかさたちに言った。「あなたがたは、おのおの自分の配下のバアル・ペオルを慕った者たちを殺せ。」
25:6 モーセとイスラエル人の全会衆が会見の天幕の入口で泣いていると、彼らの目の前に、ひとりのイスラエル人が、その兄弟たちのところにひとりのミデヤン人の女を連れてやって来た。
25:7 祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスはそれを見るや、会衆の中から立ち上がり、手に槍を取り、
25:8 そのイスラエル人のあとを追ってテントの奥の部屋にはいり、イスラエル人とその女とをふたりとも、腹を刺し通して殺した。するとイスラエル人への神罰がやんだ。
25:9 この神罰で死んだ者は、二万四千人であった。
25:10 主はモーセに告げて仰せられた。
25:11 「祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは、わたしのねたみをイスラエル人の間で自分のねたみとしたことで、わたしの憤りを彼らから引っ込めさせた。わたしは、わたしのねたみによってイスラエル人を絶ち滅ぼすことはしなかった。
25:12 それゆえ、言え。『見よ。わたしは彼にわたしの平和の契約を与える。
25:13 これは、彼とその後の彼の子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となる。それは彼がおのれの神のためにねたみを表わし、イスラエル人の贖いをしたからである。』」
バアル・ペオルを慕ったため、神が怒った。
そのときピネハスが男女二人を刺し通し、それが神の前で義となった。(11‐13節)
これは結構大事なこと。
たとえとして理解する。
神のために「槍」を持って戦う。そのときに、義とされる。
槍、剣:教理
インチキな教理をクリスチャンが持って来たときに戦う。「槍(みことば)」を持って戦っていくときに、義になっていく。→災いを下されることが留められる。
Ex:艱難前携挙説が違うという風に、教理に対して戦う。神の前に正しい教理に立ち帰れるように言っていくときに誉れを受け、神に喜ばれる。
今はお互いに誉れを受け合っている時代。そして艱難前携挙説を推進し、神は愛だと言っている。しかし神のことばをないがしろにしている。そういうときに、剣や槍で義を下す。→神の前に誉れを受ける。
神の前に剣を持って戦うときに、祝福される。
106:32 彼らはさらにメリバの水のほとりで主を怒らせた。それで、モーセは彼らのためにわざわいをこうむった。
106:33 彼らが主の心に逆らったとき、彼が軽率なことを口にしたからである。
モーセは民のために災いを被った。
モーセの失敗はたとえでとしても書かれている。モーセは律法学者やパリサイ人のたとえ。
そしてイエスさまが、「彼らはモーセの座を占めています」と言われていたように、律法学者やパリサイ人はモーセの座にいた。つまり今で言う律法学者やパリサイ人とは「神学者」と呼ばれる人であり、彼らは約束の地に導けない、ということを言われている。
106:34 彼らは、主が命じたのに、国々の民を滅ぼさず、
106:35 かえって、異邦の民と交わり、そのならわしにならい、
この世的なことをキリスト教会に取り入れるのはダメ。
106:36 その偶像に仕えた。それが彼らに、わなであった。
106:37 彼らは自分たちの息子、娘を悪霊のいけにえとしてささげ、
106:38 罪のない血を流した。カナンの偶像のいけにえにした彼らの息子、娘の血。こうしてその国土は血で汚された。
これから起きつつある。
Ex:ベニー・ヒンの集会で、子ども(信者)におかしな霊を受けさせる。
106:39 このように彼らは、その行ないによっておのれを汚し、その行ないによって姦淫を犯した。
106:40 それゆえ、主の怒りは御民に向かって燃え上がり、ご自分のものである民を忌みきらわれた。
106:41 それで彼らを国々の手に渡し、彼らを憎む者たちが彼らを支配した。
106:42 敵どもは彼らをしいたげ、その力のもとに彼らは征服された。
106:43 主は幾たびとなく彼らを救い出されたが、彼らは相計って、逆らい、自分たちの不義の中におぼれた。
106:44 それでも彼らの叫びを聞かれたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。
106:45 主は、彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、彼らをあわれまれた。
106:46 また、彼らを、捕え移したすべての者たちから、彼らがあわれまれるようにされた。
106:47 私たちの神、主よ。私たちをお救いください。国々から私たちを集めてください。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために。
106:48 ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。すべての民が、「アーメン。」と言え。ハレルヤ。
イスラエルは頑固だった。ゆえに諸国に撒き散らされた。→今の私たちへの警告。ゆえにそこから教えを受けて、歩むべき道を歩んでいきたい。
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