詩篇16篇 2013.7.21
16:1 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
16:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
困難やトラブルがあっても主に身を避ける人は守りや助けを得たり、不思議なかばいが与えられる
ダビデは油注がれた後、色々とひどい目に会った
サウルに槍で突き刺されそうになったり、サウルの一方的な妬みによって困難の中に置かれたりした
サウル:サタンの型
サタンは永遠の命に入る人を妬んでいる、ゆえに困難に会う
しかし、ダビデは最後まで守られた
困難には会う、しかし守られるという原則は正しくとらえておく
Ex:ヨブ→苦難の状況の中でも信仰を堅く守った、ダニエル&3人の友人(シャデラク、メシャコ、アベデ・ネゴ)→獅子の口が塞がれた、火の害を受けずに済んだ
神の完全な守りがあり、神に身を避けることにポイントがある
事の大小を問わず、その都度主に身を避けたい
主に身を避けるときに助け、幸い、守りがある
ただし時間を要するものもある、それは私たちの試みのゆえ、しかし主に求めるときに助けを得る
16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、私の喜びはすべて、彼らの中にあります。
聖徒:主に仕える人々
16:4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません。
キリスト教の中でも、他の神に頼るということがある
Ex:カトリック→マザー・テレサ、マリヤを拝んでいる
ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう→ろくでもないことになる→もし、こうなったら歩みを変えなければいけない
彼らの注ぐ血の酒を注がず、その名を口に唱えません→変な霊を受けない人にポイントがある
16:5 主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
主はゆずりの地所
参照 民数記18:20
18:20 主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。
ここで主はレビ人に対して語っている
地上では土地を分けてもらえない、けれどもその代わり、主ご自身が相続地になってくださるということを言われている
レビ族以外は、この世における地を相続する
でも、レビ人は主ご自身が相続地になる、たとえば、人として来られたキリストもそうだった
キリストは地上で取られるものはすべて取られて亡くなった
主を相続することは、いわばヤコブが父イサクを、イサクが父アブラハムを相続するということ
地上においては何も相続は無い、しかし後の世、天における相続を受け継ぐ
神からの命をも相続する
これに関して両方は得られない、どちらか1つ
基本的には選択は1つ
それならば・・・主を相続することを選びたい
参照 マタイ16:26
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
主を選ぶのが賢い
天において受ける分を守ってくださる、このことはヨハネの福音書14章で言われている「あなたがたのために、わたしは場所を備えに行く」の御言葉と符号する
歩みをちゃんと定めるなら、受け継ぐべきものを受け継ぐ
天における報いを目指す→色々な真理が見えたり、歩むべき道が分かる
ただし求めなければ道は開かれない
狭い道を尋ねていったら見出す→命に至る道がどんどん見えるようになる→入るべき方向へ進んでいる、ゆずりの地所の方向へ向かっている
ただし両方は難しい、聖書的には1つ
後の世に得るべきものを得る
16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
16:7 私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。
16:8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
今の時代は教会が揺るがされる時代
黙示録に書かれている「地震」のことは、揺るがされることのたとえ
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない:右におられる主が色々と教えてくださる→正しい方向へ行く
教会やクリスチャンがどんどん揺らいでしまう、しかし主によって主の語られることに目を向けて揺るぐことなく歩んでいきたい
16:9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
16:10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。
16:11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
墓の穴、黄泉:地獄
死ぬけれど、ずっと放っておかれたままではない
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません(KJV):腐敗させない
キリストも死を経験した、しかしすぐ (3日目) に戻ってきた、ゆえに腐敗することもなかった→私たちに対しての教え
キリストに従って結果として艱難に会うかもしれない、場合によっては死を経験するかもしれない、でも、それっきりではなく、あっと言う間によみがえる
艱難、困難、殉教の程度に関しては正しくとらえておく
死を経験しても速やかによみがえり、入るべきところに入る
正しく「生死観」について見ていく
「死」は悪魔の力によって滅ぼされる
この世の常識ではなく、聖書の常識で生死のことを見て、認識を持っていく
死は恐れるに足らないこと
レムナントキリスト教会
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