詩篇28篇 2013.10.13
28:1 主よ。私はあなたに呼ばわります。私の岩よ。どうか私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。
私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように(KJV):もし、あなたが沈黙されるなら、穴に落ちる者と同じようになります→もし、神が私たちに対して声をかけないなら、他の人と同じように空いている穴にぽこぽこ落ちていく
穴に落ちる人は、結構多い→このことは原則としてある
参照 マタイ15:14
15:14彼らは盲人を手引きする盲人です。もし、盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むのです。」
もし、神が声をかけてくれなかったら穴に落ちていた可能性がある(信仰、教理に関して)
かつての神の民もそうだったように、今現在も同じ
正しく歩まないなら、穴に落ちていく人が多い
思いもかけない穴が多い、知らず知らずのうちにおかしな教理に入ってしまうことがある
Ex:ブラザレン系の教会の教理は、権威(牧師)を認めない→ある時、「あれ?おかしい」と思っても、他の教会には牧師がいるので移ることもできないと思い込んでしまう、これはまさしく「穴」と言える、要は自分でおかしな穴に落ち込んでいる状態、しかし主に聞いていく中で正しいことを教えてもらい、穴から脱出することができる
もし、万が一、穴に落ちてしまっても・・・本当に主に求めるなら、声をかけてくださる
私たちが求めるかどうか?にかかってくる
もし、ジレンマを感じたら、主に聞いてみる→真摯な訴えについては、神は沈黙せずに声をかけてくださる
28:2 私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。
28:3 どうか、悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。
悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、私をかたづけないでください(KJV):不正な働き人から私を遠ざけてください
このようなダビデの祈りは、私たちが祈るべき祈り→不正な働き人を避けられるように
これは聖書の一貫した大事な教え&パターン&原則について言われている→こういう人(不正な働き人)とは、分離すること
「かわいそうだから」などと、人間的な常識で歩んでいるなら、穴に落ちる
神のみことばを守り、行う人は祝福を受ける
人間的なものを優先するときに、災いに入る
こういう類いの働き人がいる→不正な働き人
言い方は柔らかくても、滅びに至る教えがある
Ex:ローマ法皇は、「キリストを信じなくても、自分の良心に従って歩めば救われる、仏教徒、ヒンズー教であったとしても」等と言っている、しかし、これは身を滅ぼす、気をつけなければいけない
繰り返すが、聖書の原則は「分離」
これは明確な原則
28:4 彼らのすることと、彼らの行なう悪にしたがって、彼らに報いてください。その手のしわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復してください。
結局は、「行い」
いくらことばがなめらかでも、「行ったこと」に応じて報いが来る
そして良いことには良い報いが来るので、神に従っていきたい
28:5 彼らは、主のなさることもその御手のわざをも悟らないので、主は、彼らを打ちこわし、建て直さない。
不正な働き人は、主のなさっていることを悟らない
神のわざ、そもそも神の存在すら見えない
しかし神のわざは行われている、でも見えない人がいる、これは災い
神のわざを、霊においてはっきりと見えるように祈り求めていく
ある人々は見る、しかしある人は盲目になる
盲目になるなら・・・災いに入り、家が建たず、壊れてしまう→クリスチャン生涯で行った奉仕がすべて台無しになる
神の憐れみによって、神のわざを悟るなら祝福
悟るか悟らないかは、大きな差になる
神のわざを見ようとしないと盲目になり、災いに入る
ちゃんと神のわざを見て、直すところは直し、方向を変えていくなら、壊されることなく、着実に建て上げられていく
しかし働き人であっても、結構見ない人が多い
見える、見えないは大事
神はすべての人に手をのばしている、しかし問題は見なかったり、ポイントがずれたり、違う方向へ行ってしまうこと
28:6 ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。
28:7 主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。
主は願いの声を聞かれることがある、しかし、聞かれないこともある
参照 ヤコブ4:3
4:3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
御心に叶った祈りは聞かれる
幸いなのは、祈って聞かれること
このことに関しても、訓練&神の方法がある
自分で聞かれる方法を体得する
まず、祈ることが大前提
主の前に求めていくことが大事
28:8 主は、彼らの力。主は、その油そそがれた者の、救いのとりで。
主は、誰に対しても救いのとりでではなく、油注がれた者のとりで
聖霊の油によって歩んでいくなら、主がとりでになって助けてくださる
28:9 どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。
主の民として歩んでいくなら、主にある祝福がある
主にあって正しい歩みをしていく
レムナントキリスト教会
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