詩篇51篇 2014.3.23
51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
基本的にダビデ王は良い王
ダビデの歩みは概ね正しかった
しかし、バテ・シェバの件は良くない、しかも彼女の夫ウリヤを戦場の前線に配置させて殺した、そしてナタンは、その罪を指摘した
私たちが罪をどのように赦してもらうか?神に対応してもらうか?
人は罪の中に生まれているので、誰も彼も関係のある箇所
罪を指摘されたときに、どうすれば良いのか?→悔い改めて、拭い去ってもらえるように祈るのが正しい
51:3 まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
51:4 私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。
罪から解放されるべき
罪を犯さない人はいない
罪を持ったままだと、天の御国に入れなくなるので、生きている間に罪を解決する
問題があることを見て、そこを対応する
罪を認めるのが正しい、それを告白して解放してくださいと祈るのが正しい
51:5 ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。
51:6 ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。
ダビデは自分の罪を母のせいにしている
この態度は正しい
罪は永遠と続いている
聖書的に、「咎ある者として生まれ~私をみごもりました」という態度は正しい
罪に関して、ある程度ハンディキャップがある、この現実は理解する
生まれつきの現実がある、しかし神の救済方法がある、以下はそのことを語っている
51:7 ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。
私たちは罪がある、しかし、だからと言って絶望する必要は無い
もし、罪を犯したとしても、ハンディを補って余りあるような助けを神は与えてくださる→雪よりも白くなる
ゆえに「罪」に関しては、両面のことがある
ただし、もう1つのことが必要→「私を洗ってください」と祈る、それをさぼったらダメ
クリスチャン生活は、そういうもの、それが普通のパターン
聖霊の水によって洗う、すると雪よりも白くなり、大いにきよくなり、罪に関して解決を与えられる、とにかく祈ることが大事
51:8 私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、喜ぶことでしょう。
罪を犯すと、骨が砕かれる
でも、悔い改めていくときに喜びが与えられる
51:9 御顔を私の罪から隠し、私の咎をことごとく、ぬぐい去ってください。
これも祈ってみる→祈ったらあり得る
きちんと罪を悔い改めたら、あたかも罪が無かったかのように接してくださる
ゆえに絶望せずに、求めていきたい
51:10 神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。
51:11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。
51:12 あなたの救いの喜びを、私に返し、喜んで仕える霊が、私をささえますように。
51:13 私は、そむく者たちに、あなたの道を教えましょう。そうすれば、罪人は、あなたのもとに帰りましょう。
罪を犯すと聖霊が去っていく、救いが無くなっていく
でも、祈るなら帰って来てくださる
51:14 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌は、あなたの義を、高らかに歌うでしょう。
血の罪:殺人&霊的なこと
「罪」は霊的なこと
お一人一人の霊がどうか?によって、罪に引っ張られるかどうか?
惑わしの霊に入るのがダメ
聖霊に導かれるなら、誘惑に入らない
51:15 主よ。私のくちびるを開いてください。そうすれば、私の口は、あなたの誉れを告げるでしょう。
51:16 たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。
51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
本来意味しているのは、砕かれたたましい、悔いた心
咎や過ちがあっても、砕かれた悔いた心を受け入れてくださる
後の世は、間違いや過ちを犯した人間が受け継ぐ、すべてのことは益になる
罪に苦しんだり、悔い改めていくのは益になる
色々と大変なところを通っても、きちんと悔い改めていくなら結果はOK
アダム&エバの失敗は益になるのでは?神のご計画は計り知れない
失敗を通して得られなかったものを得るのでは??
51:18 どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください。
51:19 そのとき、あなたは、全焼のいけにえと全焼のささげ物との、義のいけにえを喜ばれるでしょう。そのとき、彼らは、雄の子牛をあなたの祭壇にささげましょう。
全焼のいけにえ:聖霊の火によって肉が焼かれて、霊的な奉仕をしていく、そしてそれを神は喜ばれる
本当に自分がダメだと分かって、聖霊に頼っていく、そしてそれが益になる
失敗して、そして神に求める、それが全焼のいけにえになって益となる
罪を犯したとしても、聖霊によってきよめられることを体得するなら、すべて益になる
人間的な考えだけで人の歩みを見ない、神の計画は計り知れない
アダム&エバのこともすべて御存知だった
私たちの考えと神の考えは違う
神の知恵のほうが優っている
私たちの失敗は益になっていく
レムナントキリスト教会
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