詩篇64篇 2014.6.22

 

 

 

指揮者のために。ダビデの賛歌

 

 

 

 

64:1 神よ。私の嘆くとき、その声を聞いてください。恐るべき敵から、私のいのちを守ってください。

 

64:2 悪を行なう者どものはかりごとから、不法を行なう者らの騒ぎから、私をかくまってください。

 

みことばに関して、「偽りを言う者から守ってください」ということばが、詩篇の所々に書かれている、そしてダビデはイエス・キリストの型なので、上記のことばはキリストに向けて語られているとも言える

 

 

 

64:3 彼らは、その舌を剣のように、とぎすまし、苦いことばの矢を放っています。

 

64:4 全き人に向けて、隠れた所から射掛け、不意に射て恐れません。

 

:みことば

 

インチキな教理をキリストに対して投げかけていく

 

偽りの教えをもって、正しい人を攻撃する

 

主もそうだった、そして終末の三年半も同じことが繰り返される

 

Ex:ローマ法皇→他の宗教と統一する方向、しかしこのことは「キリスト以外にも『救い』がある」という矢を放っていることに通じる

 

全き人:キリスト

 

そういう意味では、ローマ法皇はキリストに「矢」を仕掛けていると言える、しかし正しくみことばに立ち、とどまるべきところにとどまる

 

 

 

64:5 彼らは悪事に凝っています。語り合ってひそかにわなをかけ、「だれに、見破ることができよう。」と言っています。

 

64:6 彼らは不正をたくらみ、「たくらんだ策略がうまくいった。」と言っています。人の内側のものと心とは、深いものです。

 

他の箇所でも「わなにかける」ということばが出てくる

 

参照 マタイの福音書22:1518

 

22:15 そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。

 

22:16 彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。

 

22:17 それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」

 

22:18 イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。

 

ことばの「わな」にかけようとしている、そしてそういうことがこれからの艱難時代にもある

 

これから正しいクリスチャンに対してことばの「わな」とかで、引っ掛けようとする時が来つつある

 

特にアメリカにおいて、どんどん「わな」がきている

 

Ex:オバマ大統領は、同性愛の結婚を「合法」にした、それによってみことばに基づいて同性愛を指摘するクリスチャンのことを「非合法」として扱い、「逮捕」の対象にしている

 

オバマ大統領の言ったことは、クリスチャンを逮捕するための仕掛け、すなわち「わな」とも言える

 

 

 

64:7 しかし神は、矢を彼らに射掛けられるので、彼らは、不意に傷つきましょう。

 

64:8 彼らは、おのれの舌を、みずからのつまずきとしたのです。彼らを見る者はみな、頭を振ってあざけります。

 

背教的なクリスチャンは、自分自身が神の「矢」によって倒されてしまう

 

律法学者やパリサイ人もそうだった、イエス・キリストを目の前にしながらも、「真理」を見ることができなかった

 

彼らのひとつの矢は「イエス・キリスト」だった

 

みことばが「わな」になり、彼らは滅んでしまった

 

神はそれぞれの人の行い&心の奥底に応じて報いられる、今の時代もそう

 

神によって「わな」が仕掛けられたクリスチャンが沢山いる

 

Ex:艱難前携挙説を受け入れる

 

(悪い)行いによって、「インチキ」が良く見えてしまうことがある

 

 

 

64:9 こうして、すべての人は恐れ、神のみわざを告げ知らせ、そのなさったことを悟ります。

 

64:10 正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。

 

すべての人は恐れ、神のみわざをつげ知らせ、そのなさったことを悟ります:真の意味合いで「真理」に従わない人に「矢」が送られ、倒されてしまう

 

真理が見えないのも、神から来る

 

神が人々を区分しつつあるので「恐れ」を持つ

 

神がなさったことを私たちはどうこうできない

 

神が教えてくださらなければ、「真理」を見ることができない