詩篇79篇 2014.10.5

 

 

 

アサフの賛歌

 

 

 

 

79:1 神よ。国々は、ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮をけがし、エルサレムを廃墟としました。

 

国々(KJV):異邦人

 

聖書の多くの事柄は、「世の終わりの時」に成就する

 

「聖書の多くのことば」が成就する「特定の時」がある

 

そしてこのみことばは、「終末」と関連があるのでは?と考えるのは聖書的

 

参照 ルカの福音書21:24

 

21:24 人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。

 

ご自身のものである地(KJV):あなたの相続地、ゆえに「ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮をけがし」とは、「御国に入る教えが踏み荒らされる」ということ、そしてこのことは、世の終わりに「教会への災い」として成就する

 

旧約時代にエルサレムが滅ぼされたことが、終末に再現する

 

教会が「この世の考え」によって踏み荒らされる、支配される、占領される→今まさに成就

 

アメリカでは「無神論者」が、キリスト教に「イチャモン」をつけている、そしてこのことは一時的ではなく、どんどんエスカレートしていく、いずれ「この世を迎合している教会」しか、政府では認められなくなる、そういう意味合いで1節の事柄は実現しつつある

 

そしてなぜ、5節に書かれているこれらのことが教会に許されるのか?→それは「神の怒り」のゆえ

 

今の教会は「背教の時代」にいる

 

「反キリスト」が立つのも、「クリスチャンの背教」のゆえ

 

「都合の良い教理」がキリスト教会を席巻している Ex:艱難前携挙説

 

教会に対してさいご「災い」が来る、しかしなぜか「災い」が来ないことになっている、その最たるものが「艱難前携挙説」

 

かつて旧約の時に、「ユダ」が「バビロン」に捕囚された、これも「背教」のゆえ、そして終末も同じ

 

今一度「正気」に戻って、見るべきものを見る

 

あなたの聖なる宮をけがし『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つ

 

エルサレムを廃墟→教会時代に「教会」が「廃墟」となる

 

しかし今のクリスチャンは時代を悟らない、そして「時代を見分けない人」のことをイエスさまは、「偽善者」だと言っている、このことはNG、憂えるべきこと、ゆえにきちんと時代を見分けていきたい

 

 

 

79:2 彼らは、あなたのしもべたちのしかばねを空の鳥のえじきとし、あなたの聖徒たちの肉を野の獣に与え、

 

このことも世の終わりに成就

 

:霊的なことのたとえ

 

今は「多くの汚れた霊」によって、「死の虜」となるクリスチャンが多いことはよくよく理解する

 

「惑わしの霊」を受けているクリスチャンを虜にする方法:奇蹟と不思議としるし

 

Ex:ピーター・ワグナー→しるしと不思議のリバイバリスト、そして今のクリスチャンを「悪霊の集会」に引っ張った発端者

 

「甘いえさ」を持って来て、「悪い霊」に引っ張っていく

 

「癒しがある」「すばらしい賜物がある」というパターンでくる

 

今でもみごとに引っ掛かっている人が多い

 

「偽預言者」がクリスチャンをだます、そして「変な霊」にやられてしまう

 

キリスト教会に「獣的な奉仕者」があらわれてくる、おかしな教理を持ってくる人がいる

 

 

 

79:3 聖徒たちの血を、エルサレムの回りに、水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。

 

「聖霊」が枯渇し、クリスチャンが惑わしに入ってしまう

 

 

 

79:4 私たちは隣人のそしりとなり、回りの者のあざけりとなり、笑いぐさとなりました。

 

背教のクリスチャンのひとつの特徴:「隣人のそしり」となる Ex:カトリックのスキャンダル

 

「今のキリスト教会」については神の前の現状を理解し、悔い改めるべきことは悔い改めていきたい

 

 

 

79:5 主よ。いつまででしょうか。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか。いつまで、あなたのねたみは火のように燃えるのでしょうか。

 

79:6 どうか、あなたを知らない国々に、御名を呼び求めない王国の上に、あなたの激しい憤りを注ぎ出してください。

 

「神の憤り」のゆえに、エルサレムの上に「災い」が下った

 

しかし今のクリスチャンは悟っていない

 

でも、詩篇の著者は常識的に悟った

 

今のキリスト教会の災いは、皆「神の怒り」のゆえ

 

今の時代はあまりにも「霊的に盲目」

 

反キリストが立つことは「神の怒り」のゆえ→神が教会を見捨てた

 

 

 

79:7 彼らはヤコブを食い尽くし、その住む所を荒らしたからです。

 

79:8 先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。

 

「先祖の咎」が今の時代に来る、そういう「不運な時代」がある

 

「過去の災い」が、「今の時代」にめぐってくるというのがある

 

今の時代だけを考えると分からない、しかし過去を振り返ると理解できる

 

「先祖の咎」に対する「報復」についてタイムラグはあるかも知れない、しかし神は遅くなってもさばく、これが聖書のひとつのパターン

 

 

 

79:9 私たちの救いの神よ。御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。

 

79:10 なぜ、国々は、「彼らの神はどこにいるのか。」と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。

 

79:11 捕われ人のうめきが御前に届きますように。あなたの偉大な力によって、死に定められた人々を生きながらえさせてください。

 

「血」が流されるときに、どこかで「復讐」が来る Ex:アベルの血

 

これから艱難時代に「殉教者」が出てくる、しかしそういう中でもクリスチャンらしく歩めるように祈り求めていく、「殉教」に関しても神が「復讐」するので、自分では「復讐」しない

 

キリストもすべて神に委ねた、そしてのちにキリストを殺した人への報いが神によってなされた、ゆえに「復讐」はしないこと、むしろ「証」ができるように祈り求める

 

 

 

79:12 主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、私たちの隣人らの胸に返してください。

 

79:13 そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。

 

あらゆるみことばが「終末」に向けて書かれている、ゆえに「思いがけないことが起きている」なんてことを思ってはダメ

 

すべて「神の御手」にある

 

たしかにこれから「サタンの揺るがし」が来る、しかし「不信仰」にならずに「みことば」に留まっていきたい