詩篇39篇 2013.12.29
39:1 私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。
悪者:悪いことをする人
「口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は」と書かれているように、口の災いを犯すようにそそのかしたり、感情思索に働きかけてきたり、恨みを抱かせたりと、うまく操って悪いことばを言わせるという霊がいる、そういう時にダビデは沈黙を守っていた
クリスチャンと言っても・・・思わず怒りのことばが出てしまうことがある
しかしたとえ怒りがきたとしても、主に祈っていくときに、必要な沈黙を守ることができる
そして聖書には「迫害する人のために祈りなさい」とあるので、実践していく、そうすると聖霊が働く、口を押さえて罪を犯したり、悪者の誘惑に入らないようになる
沈黙を守ったダビデは正しい
裁きは主に任せる
自分たちが罪を犯すのは良くない、裁かれてしまうから
39:2 私はひたすら沈黙を守った。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。
39:3 私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。
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39:4 主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。
39:5 ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいものです。セラ
39:6 まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。
5節に書かれているように、人生というものはむなしいもので、短い間で終わってしまう
終わり:死ぬ時
ダビデのような考えが正しい→4節に書かれていることは模範的で必要な祈り
「必ず命が終わる日が来る」という考えを持つのが正しいクリスチャンとしての歩み
人間は有限なので、必ず寿命が尽きると考えるのが正しい
ダビデはそのことを理解した、「人生はあっという間」と考えるなら、聖書的
短いからこそ、大事なことをゲットしなければいけない
本日の午前の礼拝のメッセージ(Ⅱテモテへの手紙1章)でも語ったように、健全な霊を持っていない人は違うことを掴む
参照 マタイの福音書16:26
16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
齢がどれほどか?人生は皆短い、しかし、どうしてもしなければいけないことができるなら、それで良しとする
短い人生に、すべきことをする
参照 マタイの福音書5:25
5:25 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者は、あなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。
人生は短い間、そして「裁判官」と書かれているように、このことは「死後の裁き」に関係する
道の間に清算しなければ万事休す、すなわち永遠の滅びなので、永遠の命はゲットする
それこそ人生は短いので、とっとと結論が出て、死後裁判が始まってしまう、スローモーションでやり直しはきかない
39:7 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。
39:8 私のすべてのそむきの罪から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください。
人間はあらゆる背きの罪を持っている
ダビデですらあったので、私たちにもある
背きの罪や愚かな道から逃れないと、神からの怒りを招き、滅びに入ってしまう
ダビデのように、求めていくことが大事
神御自身が罪を御存知なので、私たちが求めていくときに、分かるようになっていく
自分で悟らないことでも、求めていくときに、だんだんと分かるようになる
主に聞いていくときに、紆余曲折なことがあっても大事なことを教えていただける
ただし、主に聞き従うことが条件
背きが分からなくても、聞く気持ちがあるときに、最終的に神が教えてくださる
39:9 私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです。
39:10 どうか、あなたのむちを私から取り除いてください。あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。
神は必要に応じて、私たちを訓練される
39:11 あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、その人の望むものを、しみが食うように、なくしてしまわれます。まことに、人はみな、むなしいものです。セラ
その人の望むもの(KJV):その人の美しさ
神が責めたり、厳しい鞭を下すときに、結構シビアな面がある
ダビデは王宮から追い出された
しかしそうではあっても、後の世に永遠の命を得れば良い
場合によっては、神はこういう厳しいことをされる
39:12 私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。
39:13 私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。
旅人とか、寄留者ということが書いてある
アブラハムやイサクは天幕生活をし、基本的に旅人、寄留者として歩んでいた
ヘブル人への手紙に書いているように、旅人&寄留者の歩みにポイントがある
旅人や寄留者の反対語は、黙示録に書かれている「地に住む者」そして「地に定住する」とか「住みつく」という風なニュアンスがある
主は、クリスチャンの歩みに関連して、この世において旅人&寄留者の歩みを言われている、要するにこの世につくことにポイントはない
参照 Ⅰヨハネの手紙2:15
2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
この世を全く受け入れてしまうのは、神に喜ばれない
旅人とは、「その国で何が起きても気にしない、深入りしない」こと、それが旅人の特徴
信仰の先祖アブラハムが模範
クリスチャンの歩みで気をつけなければいけないこと→この世で起きてくることにあまり深入りしない
この世における名声、健康に引っ張られたり、それを一番にすると歩みのポイントがずれる
イエス・キリストの歩みは寄留者に徹していた
ヨブも、「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。」と言っていた
ポイント:この世のものは何一つ持って帰らない
主も一時的には大人気だった、でも、ずっとは続かず逆に3年半の終わりにはカルト扱いされ、評判もガタ落ちになった
名声、持ち物を取られ、弟子も取られ、最後弟子たちもバラバラになった
主の歩みが私たちの導き手、完成者、それが模範
ゆえに主の歩みを行って、この世で全部失っても心配無い
問題なのは、この世のものを掴んで、それが仇になって永遠のものを失う
参照 マタイの福音書24:18
24:18畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
着物:名声、評判
歩みや心持ちが、寄留者&旅人であることにポイントがある
2つ良いことはない
この世で寄留者に徹するなら、惑わされたり変なものをつかんだりすることはない
書かれていることを守る人に恵みがある
レムナントキリスト教会
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天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!警告の角笛シリーズ エレミヤ著