聖書箇所 Ⅰペテロの手紙2:11,12

 

2:11 愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。

 

「肉の欲を遠ざける」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

冒頭のみことばにおいてペテロは、「肉の欲を遠ざけなさい」とおすすめしています。「遠ざける」のところはKJV訳だと、「慎む」「控える」「やめる」とあります。なぜ、「肉の欲」がダメなのかと言うと、「たましいに戦い」を挑んでしまうからです。KJV訳においては、「魂に反対」とか「魂に反抗」とあります。たしか聖書の他の箇所にも書かれていたと思いますが、「肉」と「御霊」は相反するものであって、これらは決して共存することはありません。なので、肉の欲に引っ張られることがないように私たちは細心の注意を払っていかなければいけないのです。もし、肉の欲で内側が支配されるなら、知らず知らずのうちに的外れな方向へと引っ張られてしまうのです。いくら信仰を持っている、礼拝に行っている、奉仕にも力を入れているとしても、です。聖書で一貫して言われていることですが、「どんな貪欲」にも私たちは支配されないように気をつけなければいけないのです。この世の人たちは自分の欲するままに歩んでいますが、もし最後まで悔い改めないなら、行き着く先は滅びであり、御国を受け継ぐことはありません。しかし、「欲」に引っ張られるのは、神さまを知らないこの世の人たちだけでなく、私たちクリスチャンも例外ではありません。なので、わざわざこんな風に書かれていのです。

 

さて、「肉の欲」は人それぞれ違います。要はこの世において、「種々の肉の欲」があります。そしてその人のもっとも弱い部分に入りやすいのが、「肉の欲」です。私も例外ではありません。見えるところにだけによらず、心の思いや感情の中にも、「肉の欲」は十分、いや十二分に入ってきますし、ふと気が付くと、「肉の欲」に支配されている自分を度々見ます。たしかにある部分では引っ張られないかもしれません。あるいは祈りによって強められた部分もあるかもしれません。しかしだからと言って、「ゼロ」になったわけではありません。少しでも気を許すと、あっという間に入り込んでくるのが、「肉の欲」です。ふと、ある牧師がメッセージの中でお話されていたことを思い出します。「悩みは欲から来る。だから良くない」と。たしかにそれも一理あるかな?と思います。もちろん聖書の中で正しく主に従う人が悩むことについて書かれているので、それ自体は否定しませんが、ただ、いつまでも引っ張られたり執着したりしていくときに、それが「欲」に発展してしまうのでは?と、思います。「こうなればいいのになぁ」と神さまに祈り求めたり、罪を嘆いたり悲しんだりすることは悪いことではなく、むしろ聖書の中で奨励されている一面でもあります。だからと言って、あまりにもそのことばかりに心がとらわれたり、支配されてしまうことには御心はないのでは?と、思います。正当だから、間違いはないのだからと言って、主張し過ぎるときに、サタンの策略や罠に陥ってしまうなんてことも、どこかに書かれていたように思います。そのあたりの折り合いやバランスはたしかに難しいのですが、神さまに祈って聞いていくときに正しい答えを得ていくのでは?と、思います。以前の私もそうでしたが、「欲」と言うと、見えるところ、身近な例を挙げるなら金銭とか物欲、地位や名誉、そういったものをすぐに思い浮かべると思いますが、聖書で言われているのはそれだけではなく、心の思いや奥底においてのことも言われていると思います。分かりやすく言うと、自分の思いや感情に支配されていくときにそれもやはり「欲」につながり、それによって聖霊の働きを妨害してしまうなんていうことも言われているのでは?と、思います。たとえ行動として出なくても、思いや感情に支配されてしまうときに、聖霊の声が聞こえなくなってしまうなんてことを経験されたことはないでしょうか?少なくとも私は度々経験しているので、気をつけなければと思っています。

 

それでは具体的に、「肉の欲」を遠ざけるにはどうすればよいのか?について、話したいと思います。一言で言うなら、御霊によって歩めばよいのですが、かつての私のように、「そうは言っても、それすらどうやったらいいのか分からない」という人もいらっしゃると思います。聖書でもたしかに御霊によって歩みなさいと言われています。そのためには、いつも申し上げるように、「お祈り」に徹することです。理屈抜きに、自然とそうなれるように、あるいは根底が変えられるまで祈っていくことです。また、「肉の欲」を取り去ることは、「割礼」とも関係します。「割礼」の意味合いは「肉を切り離す」ことです。そして、いつか話したことがありますが、「割礼」はクリスチャンの生涯のテーマでもあります。なぜかと言うと、世の中はサタンが支配しているので私たちを肉、つまり罪に引っ張る力はこの世にいるかぎり、ずっと働くからです。いくら、「今回は勝利した」と思っても、まだまだ「肉」との戦いがあることを忘れてはいけません。「もう、大丈夫」と油断するなら、その時点であっという間に「肉」に引っ張られていきます。そして「肉」に引っ張られていることすらも、気付かずに歩むなんてこともあるので、決して過信することなく、日々、祈っていきたいと思います。生涯の中できちんと対応していかないときに、天の御国が危ないなんてことにもなってしまいますので、きちんと行っていきたいと思います。そしてちゃんと祈っていくなら、神さまが色々と示しや方法を与えてくださいますし、祈りのポイントや対応の仕方についても親切に教えてくださいますので、ぜひ実践していきたいと思います。まじめにコツコツと祈っていくときに、主の時に、ひとつひとつの弱い部分が強められたり、肉の部分が切り取られたりしていきますので、信じて祈っていきたいと思います。また、少しずつでも肉から離れていくときに、益々聖霊さまに用いられていきますので、ぜひおすすめいたします。