聖書箇所 Ⅱコリント人への手紙11:13,14
11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。
11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。
「サタンは永遠の命を奪うために神の働き人を用いる」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。
サタン、すなわち「敵」働きについては、聖書のところどころに書かれています。また、「誘惑する者」とか「惑わす者」とか「人殺し」とか、そんな風にも言われています。
そう、サタンは人殺しなんです。そしてサタンの仕事のひとつとして、「真理」を「偽りに変える」という働きがあります。これはまさにクリスチャンの永遠の命を奪うことを目的としておこなわれます。そのための具体的な方法として、「人」を用いるのです。そこで登場するのが13節の「にせ使徒」なのです。彼らはサタンの手先として、人を滅びへと向かわせるために用いられます。「キリストの使徒に変装している」と書かれているように、「キリストもどき」ことをおこないます。それこそ、お寺のお坊さんが用いられるわけではないのです。あたかも、神の働き人を装って、多くの人を騙し、滅びへと至らせるのです。クリスチャンを騙すには、「神の働き人」を用いるのがもっとも効果的なのです。それはそうですよね、いくら「仏典が真理ですよ。ぜひ、これを受け入れてみませんか?これこそまさに救いの教えです。」なんて言われても、耳を傾けるクリスチャンは、ほぼ皆無だと思います。「ああ、そうですか」のひと言で、終わってしまいますよね。ところが、「使徒」とか「神の器」と聞くと、あまり疑うクリスチャンはいないのでは?と、思います。まして、多くの人たちから尊敬されているような人や世界的に有名な人なら、なおさらそうだと思います。
でも残念ながら聖書に書かれているように「にせ使徒」というのが実在するのです。逆説的ではありますが、「にせ」が存在するのですから、「本物の使徒」もいるわけなのですが、ここで問題なのは「にせ使徒」であることは言うまでもありません。また、「にせ使徒」は、KJV訳だと「誤った使徒」とあります。要するに、御言葉の解釈を間違えている牧師や教師のことを言われているのです。なおかつ、そのことに気付かずに、もしくは真理を知っていても、いずれも誤った教えをメッセージする人たちのことです。もっと言うなら、「永遠の命に通じる道」とは逆のことを語ったり、あるいは聖霊ではない別の霊を下したりするメッセンジャーや器のことです。
例を挙げるなら、獣の国がヨーロッパであるとか、クリスチャンは艱難の前に携挙されるとか、地獄は無い、セカンドチャンスがあるとか語る人たちのことです。これらの教えは残念ながら「永遠の命」にいたることはありません。また、エキュメニカル推進やトロント・ペンサコーラのリバイバル集会も、いわば「にせ使徒」の教えや働きと言えます。こういったものを吟味もせずに受け入れたり盲信したりしていくときに、まったくズレた道を歩んでいくことになりますので、くれぐれも気を付けるようにしたいと思います。いくら周囲の人たちが、「とても素晴らしい器や教え」だと、言っていたとしても、です。
また、「にせ使徒」と言われる人たち、いわばサタンに用いられている人たちというのは「嘘」「偽り」「間違え」を、もっともらしく語るというのが、特徴のひとつとして挙げられます。
たとえば艱難前携挙説を語る牧師は、Ⅰテサロニケ人への手紙の中の聖句(「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」)を引用して、「みなさん、クリスチャンはみな艱難を通らずに携挙されるから備える必要はありませんよ」ということを聞けば、「うん、素晴らしい」と、みなが納得すると思います。でも、これって、聖書が言われていることと全然違うと思います。そもそもイエスさまは弟子たちが世の終わりに起こることについてたずねたときに、「いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難がある」と、おっしゃっています。まかり間違えても、それに続いて、「でも大丈夫、クリスチャンはその前に天に挙げられるから」なんてことは、ひと言もおっしゃっていないのです。それどころか、「これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去らない」と言われているのです。ですからハッキリと言いますが、艱難前携挙説を語るメッセンジャーは、人前はともかく、神の前には「にせ使徒」と言われる人たちなのです。たとえ、それらしい御言葉を引用してきて、もっともらしく語ったとしても、他の聖書箇所と矛盾があってはならないのです。時々、このことを話していますが・・・聖書は「私的解釈を施してはならない」と言われています。このことを多くの牧師やクリスチャンは「霊的解釈をしてはいけない」と思っているようですが、それは違います。原語では「その箇所のみではなく、他の箇所も参照しなさい」ということが言われています。あちこち参照していくときに、疑問点や難問に関しても、どれもこれもつじつまが合うようになり、正しい解釈ができるようになっていきます。そう、まさにジグソーパズルのように、あっちこっちから御言葉を集めていくときに、納得のいく、しかも正しい答えを見付けることができるのです。にも、かかわらず、「霊的な解釈はダメ」なんていうインチキにひっかからないように気を付けていきたいと思います。
そう、もっともらしく語ること、そのことで思い出すことがあります。このことは最近の礼拝のメッセージのときに、エレミヤ牧師が参照箇所として用いておられたところですが、まさに創世記のエバと蛇(サタン)とのやりとりがそんなことを言われているように思います。神さまは善悪の知識の木から取って食べるなら、「必ず死ぬ」と言ったのです。しかし、サタンはエバに、「あなたがたは決して死にません」と言ったのです。まったくの、もう、嘘八百ですよね。でも、さっき話をした艱難前携挙説の教えも、それと同じことが言えるのです。エバはどうだったでしょうか?サタンに「死なない」と言われて食べて、命を失ってしまいましたよね。それと同じように、私たちも、嘘・偽りを受け入れていくときに、永遠の命から退けられてしまうのです。ですから、そのことにはくれぐれも恐れをもっていきたいと思います。そう、もし、嘘・偽りを盲信していくのなら、得られると思っていた永遠の命を失ってしまうのです。そのように語った人も、もちろんそうですが、騙された人も死後、裁かれてしまうのです。Ⅱテサロニケ人への手紙には、「真理を信じないで悪を喜んでいたすべての人が裁かれる」と書かれていますので、ぜひ真理だけを受け入れていきたいと思います。
今までも幾度か証をさせていただきましたが、私もレムナントキリスト教会にいく前には、艱難前携挙説を盲信していましたし、他の人々にもそのことを奨励していました。でも、神さまの憐れみによって、エレミヤの部屋のホームページを通してそのことが誤りであることを教えていただき、艱難の備えをさせていただくようになりました。もし、今でも、艱難前携挙説を信じていたら、間違いなく「滅び」に直行していたと思います。
改めて考えてみると、本日の御言葉は・・・2000年以上前にパウロを通して語られたことではありますが、まさに今の終末の時代に、みごとに成就しているのではないかと思います。私たちが気付くか否かは別として。
そして、さらに恐ろしいことに神さまは、こういうことをゆるしているのです。嘘、偽り、インチキは、このことに限りません。艱難前携挙説は氷山の一角であって、ありとあらゆるインチキが今はゆるされている時代に私たちは生きているのです。偉そうな言い方で恐縮ではありまずか、そういった認識で歩んでいったほうがよいと思います。そしてそういったインチキな教理に囲まれていても、神さまに憐れみを求めて強いて真理を見出して、真理のうちを歩んでいくのか?が、お一人一人に問われているのでは?と、思います。なぜ、そういったことがゆるされるのか?についても、Ⅱテサロニケ人への手紙の2章に書かれています。
参照 Ⅱテサロニケ人への手紙2:10,11
2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
最後に、そのような嘘、偽りを前もって回避するにはどうすればよいのか?について簡単にお話して、本日のメッセージを終わらせたいと思います。このことも、エバの話の中で礼拝のメッセージで教えていただいたことですが、日々きちんと御言葉を読むことです。なおかつ御言葉にとどまっていくことです。御言葉をあやふやに握っているときに、エバのようにあっさりとひっくり返されてしまいますので、このことを日々の習慣としてしっかりとおこなっていくように心がけていきたいと思います。そうしていくときに、嘘や偽りを見きわめていく力も自ずと培われていきますので、ぜひ実践していきたいと思います。今日も大切なことを語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。
レムナントキリスト教会
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