聖書箇所 マタイの福音書26:59
26:59 さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。
「偽証や訴えに対して正しく対応する」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。
この箇所は、イエスさまが群衆に捕らえられて大祭司や長老や律法学者の集まる議会に引き渡された場面です。「死刑にするために」とありますように、十字架に付けられる前のことです。そしてこの時、イエスさまを訴えて死刑にするための偽証を彼らは求めていました。
さて、ここで少し考えてみましょう。なぜ、彼らは「偽証」が必要だったのでしょうか?イエスさまが本当に悪いことをして捕まったのなら、そんなものは必要ありませんよね?極端な言い方をするなら、そのまま即、死刑にすることも可能ですよね?たとえばこの世において、誰かが窃盗の罪を犯したとしたら、特別な証言無しにすぐさま逮捕されますよね?そしてそれに見合った罰を受けることになりますよね?けれども、イエスさまの場合は全く違います。イエスさまがなされたことは良いことばかりです。人々をあらゆる病から解放したり、悪霊を追い出したり、癒しのわざや奇蹟を起こしたり、はたまた死人を生き返らせたり、そして永遠の命に至るためのメッセージを語ったりと、いずれも良いことしかしていないのです。しかもイエスさまは神さまの御子ですので、罪は全く無いお方であります。ゆえに、死刑にされる理由なんてひとつも無いわけなのです。それにも拘わらず、人々は死刑にするために偽証を求めていたのであります。そうです。何も悪いことをしていないから、ゆえに偽証が必要だったわけです。それも、死刑にするために、です。また、イエスさまを訴えた人々が間違えていたから、こういうことが起きたわけなのです。
それで、実際に偽証が出てきました。そのことが以下に書かれています。
参照 マタイの福音書26:60,61
26:60 偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、
26:61 言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる。』と言いました。」
「偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。」とありますように、証拠はつかめなかったのですが、しかし、「最後にふたりの者が進み出て、~言いました。」との証言が出てきました。彼らが言うように、たしかにイエスさまは「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」(ヨハネの福音書2:19)と言いました。けれども、それは建物としての神殿を言われたのではありません。「しかし、イエスはご自分のからだの新聞のことを言われたのである。」(ヨハネの福音書2:21)とありますように、ご自分のからだ、すなわちキリストのからだのことを言われたのです。また、「教会」はキリストのからだとも言われていますので、このことはつまり、「教会」のことを言われたのでした。そして、「建てる」とは、建物のことではなく、教会の教理をまっすぐにする、という意味だったのです。このことを多くの人々は理解しなかったのです。「神殿」のことを文字通り、建物だと思っていたのです。ゆえにイエスさまのことを偽り者としたのです。けれども神さまの前にはどちらが正しかったか?と言うと、それは言うまでもなくイエスさまのほうでした。ですから、彼らがしたことというのは、「偽証」だったのです。
さて、そんな風にイエスさまは偽証を立てられて、死罪に定められてさいごは十字架で死刑になったわけですが、このことはひとつの型であります。何を言っているのか?と言うと、旧約時代の終わりに起きたことは、新約時代の終末にも再現するであろうと思われるのです。つまり、イエスさまのように正しく歩んでいるクリスチャンはいずれ訴えられたり、引き渡されたり、はたまた死罪に定められる可能性がある、ということです。
今、すでにアメリカにおいてはそれまがいなことが起きています。たとえば、同性愛者のことを指摘した人たちに対して罰金&懲役の刑が課せられています。すでにアメリカは同性愛者の結婚が合法化しつつあったようですが、法律を下に彼らは訴えられたわけなのです。人間的に見れば、法律を犯すなんてとんでもない人たちだ!と思われるかもしれません。しかし、神さまの前には訴えられた彼らが正しいのであります。聖書には、「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。」(レビ記18:22)と書かれているからです。人の視点では、たしかに彼らは間違えているように見えるでしょう。けれども、神さまの前には違います。明らかに正しいのです。つまり、このことも偽証の類だと考えて良いでしょう。そしてこのようなことは、今はアメリカを中心に起きていますが、しかし艱難時代が近付くにつれて、全世界へと及んでいくと思われます。ですから我々日本人のクリスチャンも、このようなことと無縁では無い、ということは心の片隅に入れておきたいと思います。
では、さいごに、もし訴えられて偽証を立てられてしまった、なんていう場合にどうしたら良いのでしょうか?その対応の仕方について考えてみたいと思います。
参照 マタイの福音書26:62‐64
26:62 そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
26:63 しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
こちらの箇所は、先ほどの続きになりますが、ここで大祭司がイエスさまに「何も答えないのですか~これはどうなのですか。」と質問しています。つまり、偽証に対してどうなのか?ということをイエスさまに問いかけているのです。それに対してイエスさまはどうされたか?と言うと、「イエスは黙っておられた」とありますように、何もお答えになりませんでした。また、別の箇所では、このようにも言われています。
参照 マタイの福音書27:11‐14
27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです。」と言われた。
27:12 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。
27:13 そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」
27:14 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
そうです。「偽証」とか「訴え」については、一切答えなかったです。けれども、「あなたは神の子キリストなのか~言いなさい」とか「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」という質問に対しては、「あなたの言うとおりです」とか「そのとおりです」と返答されました。つまり、本当のこと、真理についてはきちんと答えたのです。このことを通してこういうことが言えるのでは?と思います。
私たちが万一、訴えられたり、議会に引き渡されたりしたときに、「偽証」や「訴え」に関しては何も答える必要は無い、ということです。イエスさまがされたように、黙っていることが正しいのです。「違います~。こっちの話を聞いてください~。」なんていう風につい反論したり、弁解したくなってしまうかもしれませんが、しかしイエスさまの態度に倣っていきたいと思います。しかし、もし、「あなたは聖書を信じているのですか?」「クリスチャンですか?」なんて質問されたときには、すかさず「はい、そうです」と答えましょう。そんな風に聞かれて、「えぇと~。そうかもしれません」「うーん良く分かりません」と答えたり、あるいは黙っている、なんてことはやめましょう。その時には、ハッキリと「私はクリスチャンです」とか「聖書のことばは真理なのですべて信じています」なんていう風に答えたいと思います。
また、場合によっては、弁明をする機会が少しでも与えられているようでしたら、イエスさまのことを証したいと思います。イエスさまのように、たとえ死罪が確定してしまっているとしても、悔い改める人も起こされるなんていうこともありますので、イエスさまを見上げて大胆に語っていきたいと思います。それこそ、別の箇所には、「だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」ということが書かれていますので、聖霊さまにすべてを委ねてその時に示されたことをただ、ひたすら語っていきたいと思います。
今回の要点をまとめます。
今はそんな日が来るなんてことは夢にも思えないかもしれませんが・・・しかし、イエスさまのように正しく歩んでいるクリスチャンは、議会に引き渡されたり、偽証を立てられたり、訴えられたり、そして最悪死罪に定められてしまう、なんていう日がいずれ来ますので、一応そういう心構えで歩んでいくことをおすすめいたします。その時に、どうするのか?偽証を立てられたり訴えられたからといって、反論するのか?と言うと、そうではなくて、その時にはひたすら沈黙を守っていきましょう。しかし、偽証以外のこと、たとえば先ほども話しましたように、「あなたはクリスチャンなのですか?」とか「神さまを信じているのですか?」というような質問をされた場合には、黙秘することなく、ハッキリと信仰の告白をしたり、また、許していただけるようでしたら、イエスさまが救い主であることや救いはキリストのみにある、ということを大胆に証していきたいと思います。
人間的には、訴えられたり、偽証を立てられたり、死罪に定められたりすることは決して喜ばしいことでも嬉しいことでもありませんが、しかし聖書は明らかに正しいクリスチャンにはこういった困難な日がいずれ来ることが言われていますので、一応そのような心構えでいたいと思います。そして繰り返すようですが、その時にはぜひ、イエスさまの取られた態度に倣っていきたいと思います。黙る時には黙り、語るべき時には語り、多くの人たちの証となっていきたいと思います。そして、永遠の命を得ていきたいと思います。よろしければこのようなこともご理解いただけると幸いです。
レムナントキリスト教会
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