聖書箇所 ヨハネ7:16-18
7:16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
7:17 だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
7:18 自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。
この前の節ではユダヤ人がイエスの教えに驚嘆していました。
それに対して16節でイエス様が彼らにはっきりと言われました。
「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。」と。
このことは何を言われているのでしょうか。
わたしを遣わした方、つまり、神様からの教えだということをおっしゃっているのです。
イエス様は宮で教えておられました。
今で言う、教会で語る牧師やメッセンジャーと同じです。
メッセージを語るというのは神様の前に尊い働きです。
また、教会で語らなくとも、今の時代、インターネットや出版物等を通しても語る機会があります。
いずれも恵みや祝福にあずかる奉仕とも言えます。
しかし、そのためには条件があります。
神様の前に、正しく行うことです。
16節で言われているように神様が語っていることについて宣べ伝えていくことがポイントです。
さて、今、この文章を読まれているあなたにおたずねしたいことがあります。
もし、あなたがメッセンジャーの働きを何らかの方法で担っている(メッセージの訓練も含めて)としましたら・・・
メッセージ作成のために、どのようにされていらっしゃるでしょうか。
神様の語りかけを聞くために、祈り、御言葉を読み込んでいますでしょうか?
この地上には多くのメッセンジャー、いわば御言葉を取り次ぐ教師の立場の人がおられます。
話の上手な人もいればそうでもない人もいます。
でも、これは人間的な見方に過ぎません。
究極、死後、天の御国を受け継ぐのか、はたまた火の池に行くのか、いずれにしても二つに一つのように、メッセージも御霊の油注がれたものか否かに限ります。
分かりやすく言うなら、人からのものか神様からきたものなのかということです。
言うまでもありませんが、人からのものについては神様から拒否されてしまいます。
そのことについては18節の御言葉が証する通りです。
人の栄光には全く価値がありません。
私たちはいつも神様の栄光を求めていくべきです。
祈り、御言葉を通して神様の御声を聞いて御霊の力によって語っていくのなら神様からの教えを語っていくことに通じます。
そしてこのことは神様の栄光を見事に反映させます。
しかし、ろくに祈らずに御言葉にも触れないのなら・・・
的外れなことを語ってしまい、結果として受けるべき報酬は得られません。
たとえば、信じれば皆天国、クリスチャンは裁かれることはない、死後セカンドチャンスがあるとか、神様の愛ばかりを強調し、肝心な裁きのことについては語らない等。
たとえ人からは賞賛されたとしてもこのようなことには全く御心がないことをご理解ください。
また、聖書に書かれている御言葉よりも教理の本を優先して語ることもポイントからズレてしまいます。
なぜなら大半が合っていたとしても人の教えにはわずかでも間違いが入る可能性があるからです。
そしてほんの小さな誤りが・・・時には永遠の命を失う危険性もあるのでくれぐれも注意が必要です。
聖書ではパン種を用いてはいけないことについて度々語られています。
パン種とは「罪」を指します。
つまり、的外れなことを語るのはダメなのです。
繰り返すようですが、語る人はよく祈り、御言葉を繰り返し読んでいかなければならないのです。
また、語る側が正しく伝えることは大切なことなのですが、聞く人たちも正しく聞き分けなければいけません。
先ほども申し上げたようにどんなに素晴らしい器であっても、時折、間違えてしまうことはあるからです。
17節で言われているように神様からきた教えなのかどうか、一つ一つのことを吟味しながら聞いていくことが大切です。
聖霊から来たものであるのなら、真理を見出します。
しかしそうでないのなら真理ではない別のものをつかんでしまうことになります。
ですから、語る立場であっても聞く立場であっても神様からのものなのかそうでないのかについては絶えず見分けていくことが大切です。
時代を正しく見分けるなら・・・
今は残念ながら聖霊の働きが消えつつある時に入っています。
聖書(黙示録)で預言されているように、クリスチャンが信仰を捨て去り、キリストが戸の外に追い出されているような時代です。
それゆえに不法がはびこり、惑わす力が送り込まれているのが現状です。
闇の勢力が増し加わる中で、ますます嘘、偽りが繁盛し、そういった中で真理はかき消されていきます。
しかし、そういった中にあっても、17節にあるように、神様の御心を行う人は真理が消え去ることはありません。
御言葉を語る立場であれ教えを受ける立場であれ、きちんと神様の言われたことを守り行っていく人に御心があります。
その際には常日頃、祈りと御言葉に触れていくことです。
このことはキリストと寝食を共にしたペテロやヨハネをはじめとする12弟子の歩みにそのままつながっていきます。
神様が何を語っているのかを絶えず聞いていく人が神様の働き(メッセージ、預言をはじめ御言葉にかかわる働き)の中心を担っていきます。
そしてそのことを通して一人でも多くのクリスチャンが真理に立ち返っていかれるようになります。
聖書はイエス・キリストを証する書と言われているようにクリスチャンの働きはどこまでもキリストについて宣べ伝えていくことです。
メッセンジャーの皆さん、今一度、真の意味合いでキリストにつながっておられるかどうかを吟味されることをぜひおすすめします。
絶えず祈り、御言葉を通して神様が言われていることについて正しく語っていき、神様からの誉れを受けていきたいと思います。
証
私もメッセージを取り次ぐ者として、上記の教えは決して人事ではありません。
弟子の歩みの訓練を通して祈りと御言葉に触れることの大切さを最近更に痛切に感じています。
なぜかというと、一歩誤ると、呪いを受けてしまうからです。
特に教理にかかわることに関しては祈りの時間を費やすようになりました。
以前はメッセージ作成のために労していましたが、今は祈りに重点をおくようになりました。
毎週1章ずつメッセージを作成していますが、最低7回は祈りながらその箇所を読むようにしています。
はじめはさっぱり分からないのですが、祈り、御言葉に触れていく中で神様がはっきりと教えてくださることを実感しています。
また、メッセージのことに限らず、他の働きや歩みに関しても、神様に聞いていくときに不思議な方法で示しや導きが与えられていきます。
これからもどんなに小さなことについても祈りの中で神様に聞き、聖霊の力によって働きを成していかれたらと思います。
レムナントキリスト教会
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