聖書箇所 ヨハネの黙示録2:23

 

 

 

2:23 また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう。

 

 

 

「テアテラの教会(カトリック教会)への警告」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

 

 

本日のみことばはテアテラの教会、新約聖書で言うローマ・カトリック教会に宛てて言われていることです。同章の18節から読むと分かるのですが、カトリック教会の行いと愛と信仰と奉仕と忍耐について19節のみことばは奨励しているのですが、しかしそれ以降の節では非難についても語られています。参考までに見てみましょう。

 

 

 

参照 ヨハネの黙示録2:2022

 

2:20 しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

 

2:21 わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

 

2:22 見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行なう者たちも、この女の行ないを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

 

 

 

20節でカトリック教会では「わたしのしもべたち」すなわちキリストの信者を誤りに導いたり不品行を行わせたり、偶像の神に捧げた物を食べてさせていると言われています。そして22節で、そのことをきちんと悔い改めないなら、「大きな患難の中に投げ込む」と言われています。要するに、カトリック教会で言っている教えは聖書で言っていることと違うということです。一例を挙げるなら、キリストにも祈るけれども、まずはマリヤに祈る、他宗教でも救われる、進化論は正しい等です。もし、そういう教えに引っ張られるなら、この女、すなわちカトリック教会は「病の床」に投げ込まれるのです。そしてまた、この女、すなわちカトリック教会と姦淫を行う者、つまりカトリックの教えに引っ張られていく人たちも、さっきも話したように、その教えから離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込まれるのです。

 

 

 

このことはもし、私のとらえ違いや勘違いでなければですが・・・今、まさに成就しつつあるように思います。聖書に書かれていないことがカトリック教会ではメッセージされていて、いわばインチキな教理にやられてしまっているカトリックの信者さんはじつに多いのでは?と思います。失礼ながら、それこそ肉体の命はあっても、あるいは毎週礼拝(ミサ)に通いながらも、霊的には、冒頭のみことばに書かれているように「死病」によって殺されている、すなわち霊的な病にかかっているのでは?と思います。ちなみに「死病によって殺す」のところはKJV訳では「死」と書かれています。「死」とは、聖書では「罪」のことも指します。罪の教えの中で、信者さんが永遠の命を失っていくと、そのようなことを語っているように思います。

 

 

 

以上のことを改めて考えてみると、とても恐ろしいことですよね?!クリスチャンと称して毎週教会に行きながらも滅んでしまう、つまり永遠の命を得られないなんてことがあるのです。具体的に言うなら、カトリック教会で言っている法皇崇拝やマリヤ崇拝、地獄は無いとか進化論が正しい等のインチキの教理から離れていかなければ、教会と一緒に滅んでしまうのです。そしてこれらの教えというのは、同章24節を読むと分かるのですが、サタンの教えなのです。ですからそのことを悔い改めないのなら・・・「わたしは、あなたがたの行ないに応じてひとりひとりに報いよう」というみことばが、悪い意味合いで成就してしまうのです。たしかにカトリック教会はプロテスタントよりも規模が大きく、信者さんの数も多く、慈善事業が盛んだったりしますよね。また、みことばに書かれているように信仰や奉仕に熱心であり、神さまの目から見て奨励されることがあるのは事実のようなのでそれらは良いものなのですが・・・しかし、その一方では信者の人たちを滅びへと向かわせる教理が語られていて、そのことについて神さまは厳しく警告しているのです。「プロテスタントのあなたにそんなこと言われたくはない!」と言われるかも知れませんが、聖書で語っていることですのではっきり言いますが、サタンの教えに最後まで引っ張られてしまうなら、天の御国には入れなくなってしまいます。でも、きちんと悔い改めていくなら、同章24~28節のみことばが成就していきますので、ぜひ耳を傾けていただけたらと思います。参考までに見てみてください。

 

 

 

参照 ヨハネの黙示録2:2428

 

2:24 しかし、テアテラにいる人たちの中で、この教えを受け入れておらず、彼らの言うサタンの深いところをまだ知っていないあなたがたに言う。わたしはあなたがたに、ほかの重荷を負わせない。

 

2:25 ただ、あなたがたの持っているものを、わたしが行くまで、しっかりと持っていなさい。

 

2:26 勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。

 

2:27 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。

 

2:28 また、彼に明けの明星を与えよう。

 

 

 

せっかくですので、少し見てみましょう。24節「テアテラにいる人たちの仲で、この教えを受け入れておらず・・・」と書かれているように、イゼベルのインチキの教えを受けていない人に関しては、「他の重荷を負わせない」と言われています。「他の重荷」とは、それ以前の節から判断するなら「大きな患難」とか「死病」のことを指していると思います。インチキの教えから離れていくなら、「大きな患難」、すなわち災い、そして「死病」、つまり滅びから免れていくのです。そして26節で言われているように、最後まで神さまが言われていることにとどまるなら勝利を得て諸国の民、すなわちクリスチャンを支配する権威が与えられるのです。どうでしょうか?「大きな患難」「死病」とは真逆の立場ですよね。なのでぜひ、ここで言われている神さまの警告を尊重していきたいと思います。

 

 

 

もし、ローマ・カトリック教会の中で、まだイゼベルのインチキの教理に入っている信者さんがいましたら・・・このことを契機にぜひ、神さまが、つまり聖書が言っていることに従って永遠の命への道に方向を変えていきたいと思います。このことを真摯に受け止めて耳を傾けていただけたら幸いに思います。

 

 

 

 

レムナントキリスト教会に行くまでは、ローマ・カトリック教会の問題点についてほとんど理解していませんでした。きっと私だけでなく、多くのプロテスタントの信者の方がそうなのでは?と思います。でも、レムナントキリスト教会で毎週語られている礼拝のメッセージやニュースレター等を通して、カトリック教会の問題に関して少しずつ理解するようになり、およばずながら本日カトリックの信者さんに向けて警告をさせていただきました。かつて学生時代に友人(カトリック教会の信者)に誘われて一度だけカトリック教会のミサに出席したことがありました。見た目は少し古い感じでしたが、一般のプロテスタントの教会に比べて大きな建物で、中に入るとステンドガラスがあったりしてとてもきらびやかだなぁというのが印象的でした。もちろんそれは良いことなのですが・・・でも、レムナントキリスト教会のメッセージを聞いて聖書を学んでいく中で、とんでもないことが語られているということを知り、それらの問題点や後の世における危険性についてはハッキリと語らなければいけない・・・と思っていましたので、本日は主から良い機会が与えられてとても感謝でした。それこそカトリックは私たちプロテスタントと兄弟ですので、いわばお互いに親類ですので、これからも主の導きの中で少しずつでも語っていく機会があるといいなぁと思います。本日も大切なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。