聖書箇所 ヨハネの黙示録5:1-5
5:1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
5:2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
5:3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
5:4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
「日本人が封印を解き明かす」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。
前章では、「天的な教会で封印が開かれる」というテーマでメッセージをしましたが、今回はそれに関連して「日本人」がそのことを成すということについてみことばからみていきたいと思います。
順に見ます。
5:1 また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
「御座にすわっておられる方」とは、イエス・キリストのことです。ちなみに「御座」のところは、KJV訳だと「王座」と訳されています。なので、王の王、主の主であるキリストのことだと理解できます。「巻き物」は、「聖書」を指します。KJV訳では“Book”とあります。パウロがかつてテモテの手紙の中で、「また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」とテモテにお願いしたことがあります。この「書物」ということばは“Book”、すなわち「巻物」と同じ意味合いです。また、「内側にも外側にも文字が書き記され~」とあります。これは何を言っているのか?と言うと、聖書は一般の書物と異なり、表の意味合いと裏の意味合いについて書かれているものなのです。なぜか?と言うと、答えは単純で人間が書いたものではなく、神さまが書かれたものだからです。そしてこの聖書のことばは、「七つの封印で封じられていた」とあるように、神さまが封印しているのです。
次を見ます。
5:2 また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
5:3 しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
先ほど申し上げたように、聖書はすべて神さまの霊感によって書かれた書物です。ですから普通に読むだけでは不可解なことが多いのです。なので「封印を解くにふさわしい者はだれか」と言っているように、聖書に書かれていることについて解き明かしをする人が必要なのです。たしかに表面だけを読んで分かることもあります。たとえばイエス・キリストの父がヨセフで母がマリヤだとか、人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているとか、神は愛のお方だとか、です。でもイエスさまは、聖書には多くのたとえが使われていること、そしてそれを解き明かすことが大事だと言われました。なので「封印を解く」と言うと、何かとても形式ばっているような、難しいような、そんな風に聞こえる感じもしますが、要は聖書で使われているたとえや謎の解き明かしをしていくことにポイントがある、ということについて言われているのでは?と思います。もし、それらのものが解き明かされていくのなら、ここに書かれている「七つの封印」を解くことにつながっていくのでは?と思います。ところが・・・「天にも、地にも~見ることのできる者もいなかった」と書かれているように、そういう人を神さまは求めているのですが、解き明かしのできる人がいない、ということを2節では語っているのです。ちなみに「封印を解く」のところは、KJV訳だと「封印を自由にする」というような意味合いのことを言われています。こんなたとえがよいか分かりませんが、自宅の庭で犬を飼っているとします。もちろん一般的に自宅の外で犬を放ってはいけませんが、ある家庭では土地が広いためにドッグランが庭にあります。でも、犬小屋に鎖でつながれたままでは犬は自由に走ることはできません。でも、飼い主が鎖を解除するなら、庭を自由に駆けずり回ることができます。聖書のことばが封印されているというのも、それと同じ意味合いで、封印されている以上、神さまは何を言おうとしているのか?どういう意味なのか?が分からないですよね。でも、封印が解き明かされるなら、自由にされるなら、聖書に書かれているたとえの意味合いや謎について明確になり、真理について見ることができるのです。
さらに次を見ます。
5:4 巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
5:5 すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」
さて、2,3節で、封印が解かれていかなければいけないことについて話しましたが・・・しかし4節では、「巻物を開くのにも、~私は激しく泣いていた」とあるように、巻物を開いたり、見る人がいないということについてヨハネは泣いていたのです。ヨハネの時代、封印を解き明かす人がいなかったことが分かります。「激しく泣いた」とあるように、ヨハネはそのことに大きな嘆きをもって激しく泣いたのだと思います。たしかにそうですよね。せっかくの神さまのことばが、聖書が与えられているのに、何が書かれているのか分からなかったら悲しいですよね。しかもこれから先、何が起こるのか分からなければ、不安になりますよね。でも、それを察してか、長老のひとりが「泣いてはいけない~七つの封印を解くことができます」と語っています。
そして誰が封印を解き明かすのか?その答えが5節にあります。読んで分かるように、「ユダ族から出たしし」が解き明かすのです。「ユダ族」とは、12部族の中の1部族です。「ユダ族」以外にも、ルベン族、マナセ族、シメオン族、ベニヤミン族等を含めた11部族がいるのですが、しかし、「ユダ族」が封印を解き明かすように召されているのです。なので「ユダ族」は、神さまの目から見てある意味特別位置にいることが分かります。「それってえこひいきなんじゃあない?」なんて声も上がってきそうですが、でも、聖書に書かれていることなので、そんなものだという風にここは素直に受けとめていきたいと思います。また、この箇所もKJV訳で見てみたのですが、「封印を解くことができます」のところは、「封印を解くのに優勢」とか「封印を解くことが流行る」とか「封印を解くことがはびこる」という風に書かれています。このことからも、「ユダ族」が封印を解き明かす民族として神さまから前もって意図されていること、選ばれていることが分かります。
では一体、「ユダ族」とは、どこの民族なのか?その答えは本日のテーマにも掲げたように、ズバリ!それはなんと、私たち日本人なのです。「どこにそんな根拠があるのか?!」と言われる方もいるかも知れません。じつは私もレムナントキリスト教会に行ってから知ったことなのですが・・・日本の皇室は、なんと万世一系のダビデ王朝の子孫、末裔なのです。それでもなおかつ「そんなはずはない!」と言われる方におすすめしたい一冊の本があります。このメッセージは本を販売するのが主旨ではありませんが、このたび当レムナント教会におきましてエレミヤ著の「天皇家は万世一系のダビデ王朝の末裔である!」の本を一般書店にて流通しましたので、もし興味がありましたら書店でお求めいただき、お読みいただけたらと思います。お急ぎの方は、エレミヤ牧師のメールアドレスかFAX、もしくお電話で申し出ていただければ販売させていただきます。話はそれましたが・・・その他にも、みことばを通しても、日本人が封印を解き明かすことについて言われていますので、参考までに紹介しておきます。
参照 ヨハネの黙示録7:2-8
7:2 また私は見た。もうひとりの御使いが、生ける神の印を持って、日の出るほうから上って来た。彼は、地をも海をもそこなう権威を与えられた四人の御使いたちに、大声で叫んで言った。
7:3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
7:4 それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
7:5 ユダの部族で印を押された者が一万二千人、ルベンの部族で一万二千人、ガドの部族で一万二千人、
7:6 アセルの部族で一万二千人、ナフタリの部族で一万二千人、マナセの部族で一万二千人、
7:7 シメオンの部族で一万二千人、レビの部族で一万二千人、イッサカルの部族で一万二千人、
7:8 ゼブルンの部族で一万二千人、ヨセフの部族で一万二千人、ベニヤミンの部族で一万二千人、印を押された者がいた。
2,5節の下線のところを見ていただきたいのですが、まず2節に、「日の出るほう」と書かれています。皆さまも御存知のように、我が国日本が世界の国々の中で一番はじめに朝を迎えます。ここでは御使いが、「神の印」すなわち「聖霊の印」を押すことについて言われていますが、日の出るほう、すなわち日本から上って来たということを言われているのです。そして5節「ユダの部族で印を押された者」とあって・・・「ユダの部族」の名前が真っ先に出てきています。つまり他の部族よりも一番はじめに「神の印」を押されることについて言われています。要するに、聖霊の働き、すなわち七つの封印の解き明かしは日本からはじまるよ!ということを言われているのです。もちろん「ユダの部族」以外の他11部族もそれに続いて「神の印」が押されるのですが、何せ「ユダの部族」が一番はじめなのです。このことからも、「ユダの部族」、すなわち日本人が他のどの部族よりも一番はじめに「神の印」が押され、そして「七つの封印の解き明かし」をすることがお分かりになるかと思います。ではあっても、「なぜ、こんなにクリスチャン人口の少ない国が??信じられない!」と思われる方もいるかも知れませんが、聖書に書いていることなのでその通りに成就していくのだと、実現していくのだと素直に信じていく人に恵みがあります。
また、「封印」については、以下のダニエル書のみことばにあるように、世の終わりまで封じられています。ゆえにヨハネの時には、解き明かされなかったのです。ヨハネが巻き物を開くのにも見るのにもふさわしい者が見つからなかったと、泣いていたことにおいても合点がいくかと思います。参考までにご覧ください。
参照 ダニエル書12:1-9
12:1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
12:2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
12:3 思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。
12:4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」
12:5 私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。
12:6 それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」
12:7 すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
12:8 私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」
12:9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
せっかくなので、この箇所も少し見たいと思います。
12:4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」
ここでも終わりの時、すなわち終末までこのことば(1-3節に書かれていること)が封じられることについて言われています。
12:8 私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」
ここで神のしもべダニエルが、「私はこれを聞いたが、悟ることができなかった」と言っています。このことばは同じく神のしもべヨハネが「巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。」のことばと非常に似通っているのでは?と思います。そしてダニエルも「わが主よ。この終わりはどうなるのでしょう。」とご自分の疑問や嘆きを亜麻布の衣を着た人、すなわち御使いに投げかけています。
12:9 彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
ダニエルの疑問に対して神から遣わされた御使いは、「このことばは終わりの時まで、秘められ、封じられている」と答えました。そう、つまり聖書のことば、封印は世の終わりまで封じられているのです。このことは裏返して言うなら・・・聖書のみことばの大半のことは、世の終わりに成就していくということを言われているのです。ゆえにその時になって封印は開かれていくと、そんな風にも取れます。そしてもし、私の霊的な感覚に間違いや捉え違いや勘違いがなければ、今がまさにその時なのではないか?と思います。なのでユダの部族、ユダ族から出たしし、すなわち私たち日本人から少しずつ、世の終わりに関する封印が解き明かされつつあるのではないかと思います。このことはレムナントキリスト教会でも言っていることですが・・・そして、私個人の感覚としてもダニエルの時代に解かれなかった封印が紐解かれつつあるのでは?と、そんな風に思います。聖書のことばをそのまま素直に受け入れるなら、日本を起点としてこれから「七つの封印」が解き明かされる時代に入っていくと思います。たしかに見えるところにおいては、日本のクリスチャン人口はとても少なく、キリスト教に関しては発展途上の国かもしれませんが、聖書で言われていることなのでこういうことも視野に入れて今の時代にふさわしい歩みをし、働きを担っていきたいと思います。
証
メッセージでチラッと話をしたように、教会では天皇家が万世一系のダビデ王朝の末裔であること、すなわち日本人がユダ族の子孫であるという本を出版しました。私もレムナントキリスト教会の礼拝のメッセージを聞くまでは全く知らなかったのですが・・・しかも以前は聖書のみことばをあまり真剣に読んだことがなかったのでそういうことに関して深く考えたこともなかったのですが、メッセージを通して学びをしながらも、列王記や歴代誌をきちんと読んでいく中で理解したのは、ダビデ王朝、すなわち南のユダ国は王の子が王になるという風に綿々としてダビデ王の血族が受け継がれているということです。それに反して一方の北のイスラエル国は、はじめからダビデの血族とは全く関係の無い人が王に選ばれていて、その後もまったく血縁関係の無い人が代わる代わる入れ替わり立ち代り王になっているのです。そういうことをひとつ取っても、天皇家が万世一系のダビデ王朝の末裔であるということに関して非常に納得するものがあります。また、本の中に記述があるように、日本の天皇家に関しても、同じ血族が今に至るまでずっと続いているのです。しかも世界中の皇室の中でも一番長く続いているのです。なので、メッセージやみことばを通して日本人が「ユダ族のしし」だということを耳にしたときに、何の躊躇も疑いもなく、すんなりとそのことを受け入れることができました。
また、手前味噌で恐縮ではありますが、前章のメッセージの中でも話したように、レムナントキリスト教会の働きを通して「封印」が徐々に紐解かれつつあります。もちろんすべての「封印」が解かれているわけではありませんが、少しずつ神さまが教会の働き人を通して解き明かしてくださっています。一例を挙げるなら、艱難前携挙説は空想話で、実際にはクリスチャンが艱難を通ること、獣の国はヨーロッパではなくアメリカであること、黙示録に書かれている「淫婦バビロン」とは、「アメリカ由来のおかしな教理や霊」のこと等です。それこそ黙示録には、「この女(淫婦バビロン)から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです」という記述がありますが、このことはアメリカ由来の嘘、偽りのおかしな教理や変な霊から出て行きなさいという風に理解することができました。「女」は「教会」のたとえでもありますので、「アメリカのまがいものの教理を掴んでいたり、変な霊に侵食されている教会に近付くことはやめなさい!そうでないと災いに巻き込まれるよ!」という神さまからのメッセージだということを理解しました。こういうことは、すべてレムナントキリスト教会に神さまが教えてくださったことですが、まさに日本人が封印を解き明かすことに通じるのではないかと思います。本日のメッセージを通して、これからも神さまに封印の解き明かしをしていただくことができるようにお祈りしつつ、主の御心に叶った歩みや働きに一心に励んでいきたいと思いました。いつも大切なことを語ってくださる神さまに栄光と誉れがありますように。
※補足までに・・・
「ユダ族」の「ユダ」ということばに関してですが・・・「ユダ」ということばは聖書のあちこちで使われていますが、私たちレムナントキリスト教会では一面の意味合いとして、旧約で言う南のユダの国のことを指すとも理解しています。そしてそれは新約時代のプロテスタントに相当します。ゆえに封印の解き明かしをするのは、旧約の北のイスラエルの国、新約時代のカトリックではなく、少数ではあっても日本人のプロテスタントのクリスチャンによって成されていくことが理解できます。
レムナントキリスト教会
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