聖書箇所 創世記2:1-3
2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
2:3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
メッセージの前に・・・
最近レムナントキリスト教会の午前の礼拝メッセージのヘブル人への手紙の学びを通してエレミヤ牧師が語られていたことですが、聖書には「堅い食物」と「柔らかい食物」があるということです。そして聖書では前者「堅い食物」を私たちが食することを奨励されているわけですが、要はこれは聖書のおもての意味合いだけでなく、神さまが代々にわたって語られている隠された奥義やたとえの意味合いに関しても理解しなさい、ということです。一方、「柔らかい食物」とは「聖書の初歩の教え」のことを言われています。ヘブル人への手紙によりますと、「初歩の教え」とは、「死んだ行いからの改心」「神に対する信仰」「きよめの洗い」「手を置く儀式」「死者の復活」「とこしえのさばき」等のことです。もちろんこれらも大事なことではありますが、しかし、いつまでもそこに留まり続けてそれ以上先へ進まないことに御心はありません。しかし残念なことに多くの教会やクリスチャンはいつまでもそこ(柔らかい食物)に留まっている、ということです。でも、ヘブル書の著者(パウロ)が「私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟をめざして進もうではありませんか」と言われているように、私たちはいつまでも「初歩の教え」に留まらずに、神さまが本来語ろうとされている奥義やなぞやたとえの意味合いに関しても少しずつ理解していきたいと思います。私自身もまだまだ分かっていないことが多く、何も偉そうなことを言える者ではありませんが、時折神さまが「こんなことを語っているかなぁ」なんて思うことや理解させていただいたことについて少しでも紐解かせていただけたらと思います。では、メッセージに入りたいと思います。
「七日目ってどんな日?」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。
はじめに話をしましたように、聖書には多くのなぞや奥義が隠されています。一見そうは見えないかもしれませんが、じつは本日の箇所もそうなんです。ただし、示されたすべてのことをお話すると、話が分散してしまいますので、今回はその一部について述べていきたいと思います。
早速ですが、少し質問させていただきます。「七日目」と聞いて、皆さんはどんなことを連想するでしょうか?かつての私は単純に「日曜日」あるいは「聖日礼拝の日」と思っていました。六日間学業やお仕事に励んで、そして、七日目はそれらをお休みして神さまを礼拝する日と、そのように理解していました。そのことが当たっているのか?そうでないのか?についてここではあえて論じませんが、聖書の視点から「七日目」ということについて改めてみていきたいと思います。まず、「日にち」に関して書かれている箇所がありますので、そこを見てましょう。
参照 Ⅱペテロの手紙3:8
3:8 しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
ここで「一日は千年のようであり、千年は一日」ということが言われています。なんか不思議なことばですよね?私たちの感覚から言えば、「一日」は「24時間」ということを思い浮かべますよね?なので以前の私はこの箇所が一体何を言っているのか全く理解できませんでした。ですが、聖書では「一日」は「千年」だと、あるいは「千年」は「一日」だと言っているのです。これをそのまま文字通りに当てはめていくと、神さまが天地万物を創造された時(BC)からBC3001年までが「一日目」、BC3000~BC2001年までが「二日目」、BC2000~BC1001年までが「三日目」、BC1000~紀元前の終わりまでが「四日目」ということになると思います。(年数に関してはアバウトなので若干誤差があるかもしれませんが、ご了承ください)さらに紀元前の後に、ADに入りますが、AD元年~1000年までが「五日目」、1001年~2000年までが「六日目」、2001年以降が「七日目」ということになります。ですから今はまさに「七日目」ということになります。そう、冒頭のみことば2節に書かれていますように、神さまがわざを完成されて、なさっていたすべてのわざを休まれた時なのです。「神さまのわざ」と今の時代とが、どんな関わりがあるのか?と疑問に思う方もおられるかもしれませんが、まずは、そういう時代にいるんだなぁということをぼんやりとご理解ください。少しはじめに戻ってみことばを見てみましょう。
2:1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。
ここにもたとえの意味合いが使われています。「天」と「地」は1章でも話しましたように、「教会」を指します。「すべての万象」ということばですが、実際の天体、たとえばオリオンとか火星とか月や太陽、昴や冥王星とかのこともたしかに言われていますが・・・でも、「万象」とは、クリスチャンのことも指します。なぜか?と言うと、「天」と「地」、すなわち「教会」にいるのは「クリスチャン」ですよね?少なくとも、月や星や太陽は教会の中にはありませんよね?そうなんです、神さまがご自身のご計画のもと、そして時代ごとに登場させる器(クリスチャン)をお造りになったということを言われているのです。聖書を読めば一目瞭然ですが、たとえば、創世のはじめには、ノアやアブラハムが出てきましたよね?それからモーセやアロンの登場があり、彼らは私たちクリスチャン律法を与えるために用いられた器です。ダビデの登場は、彼は「王」としての「キリスト」の型でした。また、ヨブは「苦難を受けるキリスト」の型として出て来た人です。また、初代教会時代にはパウロが登場しました。彼は、「教会」の働きや「伝道」に用いられた器でした。そして、これらの器の働きや歩みが土台となって、今の「教会」や「クリスチャン」の歩みが存在するのです。そんな風に神さまはキリストのからだである「教会」を築き上げるために、また、それぞれの時代の働きの目的に合わせて、万象、すなわち器(クリスチャン)を造られたのです。ちなみに今の時代もそうです。それに関しては、次節以降のみことばを通して、「七日目」がどんな日なのか?について学びながら見ていきたいと思います。
2:2 それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
先ほど話しましたように、「第七日目」に、神さまはご自身のわざを完成させて、すべてのわざを休まれました。要するに、神さまのわざというのは、天地万物が創造されてから七日目、つまり第7のミレニアムの時点で「完成」(英語:終わり)されているのです。また、「わざ」ということばが2,3節で何度か使われていますが、私の思いや想像なので当たっているかどうかは分かりませんが、「神さまのわざ」とは、クリスチャンお一人一人を「天の御国」へと導くための働きのことを言われているのでは?と理解しています。次を見てみましょう。
2:3 神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。
そして、「第七日目」を祝福された日とし、この日を「聖」(英語:聖別された、清められた)とされました。そうなんです、神さまはこの「第七日目」を祝福され、そして清められたのです。たしかに神さまはそうされたのです。ここにハッキリとそのように書かれているので、それはそのまま信じましょう。ですが・・・神さまはそうなのですが、しかし、ここで注意しなければいけないことがあるのです。繰り返しますが、神さまの側では「第七日目」を「清められた」のですが、しかし実際にこの「第七日目」が本当に「清められて」いるかどうか?です。ちなみに「七日目」に関して書かれているみことばがありますので、少し見てみましょう。
参照 民数記19:12
19:11 どのような人の死体にでも触れる者は、七日間、汚れる。
19:12 その者は三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない。三日目と七日目に罪の身をきよめないなら、きよくなることはできない。
ここで「三日目と七日目」に、水(聖霊のたとえ)で「罪」をきよめなさい、ということが言われています。「一日目」とも「二日目」とも、はたまた「四日目」「五日目」「六日目」とも書かれていません。「三日目」と「七日目」とあります。ちなみに「三日目」と「七日目」は同じ日です。先ほど、BC2000~BC1001年までが「三日目」と言いましたが、「三日目」のもうひとつの見方として、AD元年からカウントしていくと、AD元年~1000年までが「一日目」、1001年~2000年までが「二日目」という風になります。そうすると2001年以降は「三日目」ということになります。つまり「三日目」=「七日目」ということになります。そして、「三日目」と「七日目」は「汚れをきよめる水で罪をきよめ」とありますように、「罪」に入りやすいことが分かります。つまり、他の日と違って注意が必要だということです。「罪」とは具体的にどういうことなのか?と言うと、「七日目」すなわち2001年以降は、「教理&霊的」な事柄が「変質」していくことを言われているのです。本来ならば、「六日目」までの「教理&霊的」なものが保たれていなければならないのですが・・・これは具体的にはペテロやヨハネやパウロから伝わった福音や信仰のことを言われています。そして教会やクリスチャンはそこに留まっているべきなのですが、しかし「七日目」にはそれらのものが、つまり教理や霊的な事柄の根幹が崩されていく、ペテロやヨハネやパウロから伝承されたものが取り去られていく、ということを言われているのです。はたまた、教会の礎石であるイエス・キリストまでもが取り除かれて、聖書には書かれていないような全く別の教えや霊が教会やクリスチャンに入ってくる、というのが「七日目」なのです。一例を挙げるなら、「地獄は無い」とか「クリスチャンは艱難を通らずに携挙される」とか「セカンドチャンスがある」とか「同性愛の容認」とかです。また、キリスト教会の一部の集会では「聖霊」ではなく、「悪霊」が下されています。トロントペンサコーラがまさにそうです。ベニー・ヒンはあろうことか集会の中で「デーモン、デーモン」と言っています。これは私もビデオで観ました。「六日目」まで、そのようなことはなかったのですが、しかし「三日目と七日目に、汚れをきよめる水で罪の身をきよめ、きよくならなければならない」とありますように、どこまでも聖書の言うことが正しく、「七日目」、すなわち今の時代はありとあらゆる「罪」が蔓延しているのです。そしてなぜ、このようなことになっているのか?と言うと、それはクリスチャン側に問題がありまして、率直に言うなら、神さまの言うことを聞かなくなった、つまりみことばを行わない、もっと言うならクリスチャンの背信のゆえに、このようなことが許されているのです。繰り返しますが、今の時代、つまり「七日目」は、「教理」&「霊」的な事柄が変質している時代なのです。しかし、そうではあっても、神さまがそのことをずっと良しとしているか?と言うと、そうではなく、先ほどの話に少し戻りますが、そのことを是正するための、あるいはそれらの「罪」から例外的に逃れていくための働きも用意してくださっていて・・・そう、そのための働き人(器)をまさに「七日目」の時代にも備えていてくださっているのです。そして今の時代の働き人は何をするのか?と言うと、「おかしな教理&霊的な事柄の回復の働き」に携わるのです。
手前味噌で恐縮ではありますが、レムナントキリスト教会はまさにその働きをさせていただいています。それこそ、「六日目」までのものが保たれていれば、あえてそのようなことをする必要性は無いのですが、しかし聖書に書かれている通りにみことばは成就していますので、一人でも多くのクリスチャンがおかしな教理や霊から免れていくことができるように、聖書のみことばから、ありとあらゆるおかしな教理や霊に関して指摘をしたり、警告をしたりしています。もちろん聖書のどこかの箇所に「主であるわたしが剣(教理)をさやから抜いたことを知ろう。剣はもう、さやに納められない。」とありますように、一旦広まったおかしな教理や霊に関して留めることはできません。しかし、私もその一人でしたが、それらに関して警告を受けて、そこから例外的に脱出したり、逃れたりすることは十分可能ですので、その働きにひたすら従事させていただいています。
色々と回りくどい説明になってしまいましたが、「七日目」がどのような日なのか?というポイントについて少しでもご理解いただけましたでしょうか?エレミヤ牧師が時々言われていることですが、「どのみことばも冷徹です」ということをおっしゃっていますが、私も全くその通りだと思います。繰り返しますが、たしかに神さまは「第七日目」を「聖なる日」とされたのは一面の事実です。ですから「六日目」までと同じく「七日目」も、本来は「聖なる日」とならなければいけなかったのです。教理や霊的な事柄が、曲げられるべきではなかったのです。一面はたしかにそうです。しかし、もう一面の「三日目と七日目は水(聖霊)で罪からきよめられなければいけない」という事柄も見落としてはいけません。「聖なる日」に反して、皮肉にも現実はその逆パターンの状態になっていることも見ていきましょう。そしてもし、水(聖霊)によって「罪(おかしな教理&霊)」からきよめられずに汚れ(罪)がついたままクリスチャン生涯を終えていくときにどうなってしまうのか?と言うと、クリスチャンの最終ゴールである「天の御国」に入れない、すなわち「永遠の命」を得られない可能性がありますので、よくよく気を付けていきたいと思います。また、おかしな教理や霊的な事柄から例外的に逃れたり、脱出させていただけたのでしたら・・・強制はしませんが、御心を感じましたら神さまのそのような恵みに応じて歩みや働きをしていくことをおすすめします。今の時代は残念ながらおかしな教理や霊が益々キリスト教会やクリスチャンを席巻している時代なので、そういった働きが尚々神さまの前に必要かと思います。ぜひ、「七日目」ということを正しくご理解いただき、そのことを踏まえて、神さまの前に正しく歩みをし、他のクリスチャンのために「警告の働き」を担っていきたいと思います。最後まで正しくそのことを全うするなら、後の世において、神さまからの誉れや栄冠を受けますので、御心を感じましたらぜひおすすめいたします。
レムナントキリスト教会
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