Ⅰコリント人への手紙1章 2011.5.8,5.15,5.22
1:1 神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
パウロは使徒の第一人者
パウロは神によって手招きされて働きを担った
神の御心によって召されてその働きについていくのがポイント
しかし実際には偽善的な預言者が多い
神が御心を感じて厳然として働きに召し、奉仕につくのが大切
「自称」というのがある
主が召された働きならば永遠に残る
神が召している働きがある
すべての人が見ているわけではない、求めていくことが大切
弟子として歩むことがポイント
1:2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
聖徒:聖なる者とされることがポイント→聖書を読む
レビ人はきよめられなければ主の働きにつくことができない→祈り、御言葉に触れる
器は聖なる者とされ、用いられる
1:3 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
1:5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
言葉と知識において豊かになる→聖書を読む
1:6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
賜物を求めていくならどんな賜物もかけることが無い
このことは聖書的であり、正しいこと
現れ:啓示(英語訳) つまり、啓示を待っている
○クリスチャンとして御霊の賜物を求める
○クリスチャンとしてキリストの啓示(御言葉の奥義)について求めていく→健全なクリスチャンの姿勢
啓示は求めないと与えられない
求める人には啓示が与えられる
啓示を求める祈りをする→すぐに与えられるものもあり、後に与えられることがある
神様が教えてくれるまでは語らない
Ex 兄弟を忍耐する数→70×70
70週を超えると神の怒りが炸裂する
なぜ啓示を求めるのか?→聖書は神の奥義と啓示を含んだ書だから、神様は事を隠されるお方、隠された啓示や奥義を読み取っていくのは大切なこと
1:8 主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。
どんな人もある1つの日が定められている→イエス・キリストの日
参照 黙示録20:11-15 この日を目指してクリスチャンは生活をする
命に書に記されているかどうか?
名前の無い人は火の池に投げ込まれる
そういう日を一度は迎える
神を恐れなければならない→その日に責められることがないように
召し・選びをかたくする
1:9 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。
1:10 さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。
クリスチャンの歩みや教会において
教会の中で、党派心や争いを持ってはいけない
互いに心を合わせるべき
微妙な問題も主にあって心を合わせる
多少のズレがあっても同じ心、同じ判断を持つことが大切
1:11 実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、
1:12 あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。
1:13 キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。
争い:分裂
本来あるべきものはキリストの名前のみ
キリストの名以外のものはNG
それにもかかわらず、他の人につくということがある
名目はキリストを知っていても他の人の名をもってきてしまうことがある
今の時代でもバアル崇拝やアシェラ崇拝をしている人がある
パウロはすごい器、しかし限度がある、そのことについて勘違いする人がいる
1:14 私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。
1:15 それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。
1:16 私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。
バプテスマのこと
誰の名によって受けるかが大事
人の名前をつけてしまう(洗礼名)
あらゆるたぐいのインチキや罠がある
キリスト以外の名前でカソリックは洗礼を受けさせる
霊的なバプテスマもある
人の霊を受けると影響されてしまう
キリストの名においてバプテスマを受け、キリストの霊を受ける
1:17 キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それも、キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。
キリストの十字架が空しくなるというニュアンスをとらえる
多くのクリスチャンにとって十字架が空しいという歩みをしている
十字架、よみがえりは私たちクリスチャンが現実に経験していく
自分の肉の力や判断や能力に頼らずにキリストに頼る
いつまでも肉に頼っている歩み→十字架を空しくする
十字架は用いるもの
十字架を経験しないと復活しない可能性がある
霊的な十字架を経験する
本来得るべき最も経験するべきものをしないのは違うものをつかんでしまう
1:18 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
知恵や賢さで特に十字架を経験する
生まれつきの知恵や賢さが仇になってしまう
Ex:パリサイ人、律法学者
多くのクリスチャンが自分の知恵や能力に頼っているため再臨の主に対応できない
自分の知恵に頼らない→神の知恵が与えられる
主の悟りに頼る
きちんと十字架を適応する→神の力となり真理を見ていく
自分の知恵に頼る人は滅びる
生まれつきのものに頼ってはダメ
生まれつきのものに頼る→聖書で言われている救いと無関係になってしまう
1:19 それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」
この世の知恵に頼っている人々は裁きにあう
人間的な知恵に対して裁きを下した
神はこの世の知恵を憎んでおられる
人間的なわけの分からない教理から悔い改めなければいけない
このことに関して神のすさまじい怒りが下される→黙示録
1:20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
この世の知恵:パリサイ人や律法学者
この世の知恵や方法で今のキリスト教界は神を理解している→そのことを言っていかなければいけない
初降臨の悲劇は再現する
主が言われた働き人は少ない
この世の知恵では神を正しく見られないのが聖書の方法
人間的な知恵を用いている人は覆されてしまう
この世の知恵で神を理解している人を神は憎んでおられる
再臨のときにも、このことは再現する
人間的なものは必ずしっぺ返しがくる
学者:聖書学者
聖書学者でありながらこの世の知恵を用いている人は外れてしまう
わけの分からない牧師や教師が多い
1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。
この世の知恵に頼っている人は神を知ることはない→神の方法
この世の知恵をもって生きているから理解しない
宣教の言葉の愚かさ
宣教(言語):語られたメッセージのこと
教会で語られているメッセージは人間的に考えると愚かなもの
愚かな方法を通して救うのが神の方法(kjv:神の喜び)
信じがたい、一般受けしないことを信じる人を神はのぞんでいる
救いのハードルを高くするのが神の方法
高いハードルをあえて信じることが尊い
あえて神の言葉を信じる人を求めている
1:22 ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
1:23 しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、
1:24 しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
一般の人は信じない
しかし少数であっても召された人にとっては神の力、神の知恵
キリストを信じるならこの世の知恵や悟りに勝る知恵や悟りが与えられる
キリストに頼るなら神の知恵が与えられる
キリストを力とし、キリストを知恵とする
1:25 なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
1:26 兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
1:27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
1:28 また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
1:29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
29節(kjv):神の前で肉を誇らせないため
26-28節:人間的な知恵や力に過ぎない、それに頼っている人は恥を見る
何も頼るものがない人はキリストを頼らざるを得ない
だからそういう人が選ばれた
この世の知恵や力を神は用いない、むしろ辱められる
Ex:律法学者、パリサイ人はメシアであるキリストを理解できなかった
生まれつきの力や知恵を神は憎んでおられる
割礼を経験することはとても重要
そうでないと神の民から絶たれてしまう
自分の生まれつきの肉を頼らない
そうでないと大事なことでひっかかる
神の知恵に頼るならこの世の知恵に勝ることを悟る
弱いから主に頼る、このことにポイントがある
1:30 しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。
本当にキリストの知恵に頼るなら神の知恵を得る、神が答えを与えてくださる
人間のひねくりだした知恵は何の役にも立たない
主に頼っていくときに悟りや理解が与えられる
神にあって賢い人がいるなら語らなければならない
しかし賢い人がいないなら語ることができない
神の知恵を求めていることが大切
1:31 まさしく、「誇る者は主にあって誇れ。」と書かれているとおりになるためです。
誇るなら主を誇る
レムナントキリスト教会
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