Ⅰコリント人への手紙3章 2011.6.12,6.19
3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
3:2 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
3:3 あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。
コリントの教会全体の問題:肉に属している
しかし、御霊に属している人もいる
クリスチャンといっても、一様ではない 2種類のクリスチャンがいる
肉or御霊(御心がある)
ほとんどの人が肉に属している
肉に属しているというのはポピュラーな問題→妬みや争い(kjv:分派)
肉に属している人は遠い存在ではなく、身近な存在
このことはかなり大事な問題
最後まで肉に属するなら後の世において行き先が異なる
参照 ガラテヤ5:18-21
ここには大変なことが書いてあることを理解する
21節:天の御国ではない、別のところへ行ってしまう→神の国を相続できない
参照 ガラテヤ5:22
御霊によって歩むことが大切、御霊によって導かれていかなければならない
肉にある人は堅い食物(たとえの理解、奥義の理解)を食べることができない
乳しか飲むことができない
参照 ヘブル5:11-14
乳:御言葉のことを言っている
礼拝のメッセージも2種類のメッセージがある
●乳のメッセージ:聖書に書かれていることを文字通りに読む Ex:右の目をえぐりなさい・・・このようなことを、文字通りに読み、理解する
「大人になったら堅い食物を求めろ!」と、神は言っている
●深い教えを語るメッセージ:隠された奥義や譬えの意味合いを理解する
堅い食物を求めていくべき、堅い食物を噛みこなす→聖書が言っている事柄
3:4 ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。
こういうのは、NG
3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。
3:6 私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
3:7 それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
クリスチャンの成長のこと
ここでの問題点:どうしても人間を見てしまう
しかし大事なのは成長させて下さる神
ここに重点を置くこと
器を追いかけることに意味は無い
主に祈り、御言葉に触れ、主に頼る→成長する
3:8 植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。
パウロもアポロも働き手、なぜ働くのか?→報酬を受けるから
当然のことながら、この世においても働かなければ給料は無い
今の世で奉仕をしないなら、後の世において報いは無い
3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
●私たちが神の働きに連なっていくときに、神の協力者となっていく:神と一緒に仕事をする、神と共に働きをすることになる→このことは感謝なこと
きちんと働けば協力者になる
神の働きにつくことは非常に恵みになる
神はへりくだって、私たちに協力を求めておられ、永遠の朽ちることの無い報いを受けるために働きに招待されている、このことも感謝なこと
Ex:パウロの書簡(ガラテヤ書、エペソ書等)は今でも、用いられている、パウロの働きは神に用いられた
そのように私たちを協力者として用いてくださっている
神様が人の働きを成長させてくださり、気長に待っていて下さっている
●神の畑にポイントがある
畑には麦が蒔かれる:良い麦&毒麦
どのように教理を受け歩むかによって倉におさめられるor火の池に行くかが決まる
歩み方次第でゴールは違う
建物:火で焼かれる建物(働きが台無しになる場合がある)、もしくは残る建物もある
クリスチャン生活のスタートは誰しも一緒
しかし、ゴールは違う
歩みやそれぞれのクリスチャン生活によって建物も違うように、ゴールも違う
3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
●私たちは神の畑
畑は作物を植えるところ トマトやりんごや梨の木等を植える
何を植えるかで結果が変わってくる
いばらだと、人を汚したりする
畑は用意されている
各自の自己責任において蒔いていく、何を蒔くか?
肉に蒔くか?御霊に蒔くか?
クリスチャン生活:毎日、畑に蒔いている
過去に蒔いたものによって、災いを刈り取ったり、祝福を刈り取ったりする
残るものは報いを得る
呪いを蒔いたらのろいを刈り取る
どんなものを蒔いたのか、建てたのか?その結果によって良い報いを得るのか、悪い報いを得るのかが、決定する
●土台はパウロ等の奉仕者が建てる、しかしあとは各自の責任によって建てられる、それは歩み方次第でどのように建てられるか変わってくる
クリスチャン生活を送る=毎日家を建てている
火に耐えられる建物or燃やされる家のいずれか
3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
同じ土台だからクリスチャンと呼ばれる
そのあとは、わらのクリスチャンとか宝石のクリスチャンとかの名前がついている
3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
火で耐えるような金・銀で建てる
木で作ったものでも金で作ったものでも平素の時には変わりは無い
しかし火事が起こった時が問題
ためす:テスト
クリスチャンは必ず火の試験を通る
その結果残る人とそうでない人がいる
試験が無いクリスチャンはいない、それについては平等
その日のために用意をするのがクリスチャン
真価をためすためのテストが必ずくる
火の試しがやってきても耐えられる家を建てる
そうでないとクリスチャン生活が無意味になってしまう
霊的なことに対しての試練や試験がくる
ある人はそれが通過できずに今までのものが台無しになってしまう
火:具体的には惑わしの霊
惑わしの霊がきたときに木や草の信仰は燃えてしまった→神の前に何も残らない
しかしペテロやヨハネのように宝石で作った家は残った
Ex:「あなは、生ける神の御子キリストです」と、イエスがメシアであることを正しく理解した
このことはイエス様の時代だけではない
それぞれのクリスチャンは必ず火の試練を通る
火の試練は容赦なくくるし、焼かれている人がいる
きちんと火に耐えられる家を築くことが大きなポイント
試験について Ex:思索感情、思い、霊の惑わし→これらは神の方法であることを理解する
試験を経て残った人は入るべきところに入る
途中で焼かれてしまったらそれっきりという聖書の厳しい言葉があるので気をつける
3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
私たちは建物を立てて、働きをして、後の日に報いを受けるために奉仕をする
報いについて 参照 ルカ19:13,15-17
帰ってくる主人:再臨のキリスト
きちんと働くなら報いを得る
余談:そう考えると、ある意味キリスト教は御利益宗教とも言えるのでは?!
しかもこの世ではなく、後の世においての価値のある報い
残る報いを得るために、やるべきことをやっていく
仕事をしない人は報いを得ない
働きに応じて報いがくる
時間を割いて、やるべきことを行う
3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
損害を受ける:働きが全部、台無しになってしまう
奉仕が火で焼けてしまったら、すべて台無しになってしまう
そのような惑わしに入ることがないように歩むべき歩みに入れるように祈り求めていく
惑わしの火で働きが焼かれることがある
Ex:律法学者、パリサイ人は、火で焼かれた奉仕をしていた→イエス様を異端扱いやカルト呼ばわりをし、排斥し、十字架につけた
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
神の神殿を壊すなら:(原語)神の神殿を汚すなら
自分の神殿を汚すなら神がその神殿を壊す→後の世において報いを得ない
神殿について 参照 Ⅱ歴代誌7:17-22
ソロモンの宮:一人一人のクリスチャンの体に通じる
他の神々を拝むときに体が汚され、なぶりものとなり、投げ捨てられる→今の時代にもつうじること(預言的なこと)
神の宮を汚すのは、個々のクリスチャン
歩みによってクリスチャン人生は変わってくる
残らないクリスチャンがいる
個々の歩みによって大いに結果が変わってくる
3:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。
キリストの前に愚かになり、へりくだり、幼子になる人が知者になり、正しいものを得る
しかし、そうではなく人間的なものを頼っている人は的外れになっていく
人間の前に愚かに見えても、神の前に知恵を得たり、明確に見えたりする
この世の知恵を求めるのではなく、主の言われることを何でも行っていく→悟るようになる
御言葉を実践する人が神の前に賢くなる
3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
3:20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
「知者」ということばが、Ⅰコリント2章にも度々書かれている
人の知恵に惑わされて神の啓示からはずれていってしまう人が多い
Ex:キリスト教界における嘘・偽りの教理
キリスト教界や神学校にこの世の方法が用いられている、それに騙されてはいけない
Ex:艱難前携挙説、第三神殿が建てられる等
知者ぶっている人が変な教理にひっかかり、永遠の命が危ない
3:21 ですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。
3:22 パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。
3:23 そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。
キリスト教界でも人間的なものを誇っている人がいる→わけの分からない論議に入り、変な教理をつかんでしまう
レムナントキリスト教会
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