Ⅰテサロニケ人への手紙5章 2013.8.11,8.18,8.25
5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
時:前章を読んで分かるように再臨の時についてのことを言っている
今のクリスチャンは御言葉から離脱し、本質からズラされている
益々御言葉に堅く着く
今、御言葉からどんどん離れている方向
Ex:同性愛の容認
主の再臨の時には御言葉の一語一句で裁かれる
真剣に真理を求めて、留まり続けていきたい
5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
主の日(再臨)に関連して語られている→夜中の盗人のように来る
正しく主に着き、艱難時代に艱難に会っているなら救いに来る
しかし、安全だと言う人は裁きに会う
ある種の人々には裁き→未信者もそう、歩みが不忠実なクリスチャン
参照 Ⅰテサロニケ5:9
再臨は神の怒りの時
初降臨の時も同様だった、神の怒りが積み上げられ、爆発した
新約に関しても同じ、特に最近19~21世紀に爆発している
神の怒りが不忠実な神の民には爆発するのが再臨の時→これは奥義
夜中の盗人に関連して
神の意図:キリストの再臨を誰にでも分かるようにはしていない
神は再臨を不忠実なクリスチャンには教えようとしていない
主の御心を行わない歩みをしているなら、決して再臨には気付かない
初降臨も、意表をつくような形だった、多くの人がみごとにひっくり返された
主はベツレヘムで生まれるとも書いてあった、しかしナザレということで多くの人がひっかかった
初降臨の時も盗人のように来た
しかし、主に着こうとする人や御心を行っていこうとする人には分かる
主の弟子として歩んで御心を行っていけば分かる
しかし、多くの人の本音があらわれる
心の奥が見分けられる→再臨の時
再臨の時はさばきの時なので、御心を行っていない人には分からない
律法学者やパリサイ人は大きく間違えた
再臨の時、偽善的なクリスチャンは同じ失敗をする→決定的な裁きに入る
もう1つの意味合い
盗人→御言葉を盗むことに関係する
神のことばを勝手に盗んで自分の都合の良いように解釈する人は出し抜かれる、墓穴を掘る
ゆえに艱難前携挙説とかにしつこく異を唱える
御言葉を変えている人は再臨が分からない、みごとに大間違いをしている
御言葉を盗んでいる人は再臨にツケが回る
もう1つは夜中
光が無い時、真理の光が消える時、ゆえに盗人が来て再臨が分からない
聖書の御言葉を書かれているように読むなら私たちが理解しているように再臨が来る
再臨=背信の神の民のさばき、そのことを多くのクリスチャンは理解していない
根本的にズレている、ゆえに再臨が分からない、再臨に対応できない
ノアの箱舟のように滅びが来る→再臨
クリスチャンでも不忠実であったら滅びる、しかも多くのクリスチャンが滅びる
これから、そういう日に遭遇する
滅びが突然来る
神のことばに恐れを持ち、聞く耳のある人には警告を語っていく
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。
暗やみにいないなら、キリストの再臨は盗人のように来ることはない
光の中に歩んでいくなら、このことは明々白々
暗やみについて
参照 ローマ人への手紙13:11-13
13:11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
13:12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
13:13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
闇(暗やみ)のわざを打ち捨てる→13節に書かれているようなことを打ち捨てる
キリストの再臨に対応できない人は13節に書いている歩みをしている人
全然御言葉を行っていない人は、闇の中を歩んでいるのでキリストの再臨に対応できない
キリストの再臨に対応できるか否かは、御心を行っているかどうか?
そういうところから逃れ、光のうちを歩む
聖書に書かれていることを行うのが正しい
知識とかではない
暗闇、つまり罪に入っていると真理はない、ゆえに滅びに入る
結局は行い、信仰も大事、しかし結局歩みや行いを正しくしていくかどうか?
5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。
眠っている人が多いというニュアンス
しかし、それに倣ってはダメ、例外的な歩みをしていく
これからこの世もキリスト教会も、おかしくなっていく、ではあっても再臨の時は、御言葉によって裁かれるので恐れを持って歩んでいきたい
5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。
5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
今のキリスト教会は再臨のことに関して「救い」のことしか言わない
でも、実際には2つのパターンになる→御怒りに会う人&救われる人
ここでは2種類の人について言われている
1.御怒りに会うように定められた歩みの人々
2.救いを得るように定められた人々
どこかで神が定めてしまうことがある
神の判断は正しい
救いのコースから出ないように、救いを堅く守る
今迄の歩みを益々堅くして強めていきたい
5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
主と共に生きる人は救いにあずかる
主と共に歩むことを堅くしていきたい→祈り&みことばの読み込みに徹していく
5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。
一人では弱いので互いの得を高める
教会で互いに励まし合う
証をするときに、互いに励まされたり、徳を高めるものを祈り求めていきたい
5:12 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。
5:13 その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。
教会には奉仕者がいる
そういう人々を認める
パウロがあえて「あなたがたにお願いします」とまで言っているということは、教会の中では奉仕者を認めないということが起こりやすいのでは?
多少不満があったとしても認めていく人にポイントがあり、祝福や恵みがある
主が立てた奉仕者を尊重する
奉仕者と信者の間に争いやぶつかり合いがあってはダメ
小さなことでもみことばを守っていく人に恵みや祝福がある
5:14 兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
小心者を励ます
弱い人を助けたりカバーする
気ままな者(KJV):unruly→ルールを守らない
ルールを守らない人には注意を与える
生まれつきルールを守らない人がいる
主にあって、だんだんと変えられるように祈り求めていく
主にあって忠実に行っていくことがその人の歩みに益になる
結局、忠実な人が強い、全家において忠実なしもべにポイントがある
思いついた時だと、不安定な歩みになってしまう→主に誉められない
不忠実だと主からの奉仕が来なくなる
主の目に留まるような歩みをしていきたい
忠実なしもべは主に選ばれる
5:15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。
このことは聖書で何度か語られている
参照 ローマ12:17-21
12:17 だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
12:20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
12:21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
この世は悪い世なので、善を行っていても、それでも悪を企む人がいる→でも、悪に報いたり、自分で復讐してはダメ、神の怒りに任せる
こういうことを通して真価が試される
5:16 いつも喜んでいなさい。
どういうことがあっても、どんな場合でも、喜ぶ→クリスチャンとして正しい歩み
5:17 絶えず祈りなさい。
絶えず祈る(KJV):とどまることなく祈る
このことを習慣とする
どういう時でも絶えず祈る
祈りの壁を崩していく
祈りの壁は低いほうが良い
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
すべてのことに感謝していきたい
感謝できないことが多い、でも、感謝する
感謝が試されることがある
不都合なことを含めて、どれもこれも益になるので感謝する
5:19 御霊を消してはなりません。
消す→火を消すことに通じる
Ex:賢い娘&愚かな娘
火に関しての聖霊のたとえ
聖霊の火を消してはならない
Ex:全焼のいけにえ
聖霊の火を消してしまうなら、肉(生肉)の奉仕になってしまう
主の前の奉仕であっても、神は生肉は食べない
毎日祈る
祭壇の火は燃やしていかなければいけない、消してはいけない
肉の奉仕は神の前にも人の前にも問題
祈っていないと奉仕する気になれない
祈りをさぼってはダメ
そうでないと奉仕以前になる
みことばに従っていく
5:20 預言をないがしろにしてはいけません。
ないがしろ:軽視する、気にもとめない、相手にしない
預言を教会やクリスチャンで取り入れない人がいる
ないがしろにする人は預言を通しての恵みは受けない
でも、積極的に預言をする人は預言を通しての恵みを受ける
みことばを守ると恵みを受ける
預言を軽視せずに行っていく
5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。
見分ける(KJV):テスト、試験を行う
どれもこれも・・・教理、器も含めてテストすべき、すべて試験していくのが正しい
テストして問題がなければ受ける
テストして問題があれば受けない
テストしないで受けるのは問題
Ex:艱難前携挙説→みことばに沿ってテスト、結果受け入れず真理に入った、受け入れている人は終末に関して勘違いしている
霊においても吟味
器、霊、教理、どれもこれもテストする、そして正しければ守っていく
そして本当に良いと思ったものは堅く守る、ずっと守り続ける努力が必要
5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。
そのようにする
5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
主の来臨の時、二種類の人がいる
1.責められる人
2.責められない人
1にならないようにする
完全に守られるような歩みに入って生きたい
参照 出エジプト記19:10,11,14,15
19:10 主はモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。
19:11 彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、主が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。
19:14 それでモーセは山から民のところに降りて来た。そして、民を聖別し、彼らに自分たちの着物を洗わせた。
19:15 モーセは民に言った。「三日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない。」
三日目:三つ目のミレニアム、今のこと、その時に聖霊の衣によって洗わなければいけない→サルデスの白い衣に通じる
女は教会のたとえ、淫婦バビロンに近付かない
洗い→水が必須、聖霊の水が下るには祈りが必須、そういう備えが大事
5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。
主は責められないように必要な用意をしてくださる
主が一番御存知
主に従っていくならきちんとした用意や備えができる
主の前に忠実に歩んでいくならそんなに心配する必要はない
欠点も一つ一つ解消してくださる、親切に教えてくださる
主に指摘されたことを聞き従う
そうでないと必要な備えができなくなる
大事なことは主が繰り返し語られる
でも、うなじを怖くしたらどうなるか分からない
語られていないクリスチャンは一人もいない
しかし、言うことを聞かない人はいる
5:25 兄弟たち。私たちのためにも祈ってください。
5:26 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもってあいさつをなさい。
5:27 この手紙がすべての兄弟たちに読まれるように、主によって命じます。
5:28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。
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