Ⅰテモテへの手紙2(715) 2013.10.27

 

2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

神が奥義を示す

時が来て、開かれる真理がある→聖書の方法

終末に隠された真理がある

啓示が開かれることについて時が大事、神は約束を守るお方

その時になったのでパウロが遣わされた

キリストの贖いの真理についても、そう、その働きにパウロは任命された

その働き(奥義や啓示を語る働き)にパウロは任じられた

しかし、よっぽど嘘つきにパウロは思われていた、でも実際にパウロの働きは残った

それと同じく終末のことについての働きに任じられている人々や召されている人々がいる、そういう人に、はっきりとした啓示が来る、そしてそれを通して真理を見る人々があらわれる

終末も同じ→封印が開かれる

その時までは閉ざされていても終末の啓示も、その時になって開かれてくる

終末の啓示も神が誰かを任命する

任命される人が出てくる→信仰と真理を教える働きが起こされる

そのことに関して、今まで聞いたことがないと言われても不思議ではない、場合によっては拒否されることもある、しかしこれは聖書的

ではあっても、任じられたら忠実にその働きを行っていきたい

 

2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。

怒りっぽいクリスチャンはダメ

争う(KJV):疑う

とにかく祈る

 

2:9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、

2:10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。

女性に関してのおすすめ→良い行いを飾りとする

また、それに関しての奥義やたとえの意味合いもある

男と女は、キリストと教会のたとえ

教会への教えがある

教会や個人において目指すのは、主が示されたことをどんどん行っていくこと

 

2:11 女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。

これも大事→特に女性のクリスチャンは、実践していきたい

そしてまた、教会としてもこのことを考える

よく従う心をもって教えを受けなさい(KJV):よく従い、静かにしていることを学びなさい

「静かにしている」ことは、旧約聖書の「荒野でつぶやいた民」に通じるし、そのことの反対の意味を指す

荒野の民のような歩みの教会はよくない

主の声を静かに聞くことを学ばなければいけない

そして主のことばに従うことも学ばなければいけない

普通は従わない

しかし、聖書に書かれているので、教会としても個々のクリスチャンとしても、これらのことを学んでいくことにポイントがある

レムナントもこのことを徐々に実践していく中で、祝福を受けていくようになった

従っていく中で、祝福を受ける

Ex:ニュースレター、出版、セミナー

聖書に書かれていることは、実践してなんぼ、大いに祝福がある

参照 マタイ5:19

5:19 だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。

どんな小さなことも、神のことばを尊重していくときに、大きな大きな祝福がある

 

2:12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。

教会では基本的に、女の人が教えたり、支配しないほうがいい、ゆえに指導者は男性が良い

また、このことに関しては、預言的な意味合いがある

教会(女性)がキリスト()を教えたり、コントロールしたりしてはダメ

しかし今、このことは成就しつつある

今のアメリカのトレンドは同性愛を容認し、教会も世の中に合わせて、このことを受け入れて、聖書の教えから外れてきている、これはこのことばの成就

Ex:自分たちの都合の良いように、聖書を書き換える等

そしてこれは、全世界に広がっていく、黙示録に書かれているソドムやエジプトと呼ばれる大きな都(教会)がまさにそう

参照 黙示録11:8

11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

しかしポイントは、おかしなトレンドやムーブメントに流されないようにする、みことばにとどまる

 

2:13 アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。

2:14 また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。

女性のひとつの特徴→惑わされやすい

女性の人は、そういう特性を理解して歩む、そうするなら、あらゆるトラブルや災いから守られる、ゆえにこのこと(惑わされやすいこと)に自覚を持って歩む

過信すると、ろくでもないことになってしまうので気をつける

尊重するなら、守りになる

そしてここにも、たとえの意味合いがある

教会()も、惑わされやすい

それぞれの教会が何か惑わされている

たとえば、ローマ・カトリック教会は、ほとんど惑わされている、しかし、プロテスタントの福音派の教会も、そう

Ex:ホーリネス教会→義を追求するあまり行いに入ってしまっている

Ex:ブラザレンの教会→艱難前携挙説を受け入れている、牧師を敵視している、そのためまともなメッセージがない

でも、アダム(キリストの型)は、惑わされない

もし、私たちが惑わされやすくても、しかし、夫であるキリストにその都度聞いていくなら、惑わされたり、間違えたりしても、正しい方向へ導いてもらえる

教えの罠に入っていたり、行き過ぎていたりしたら、教えてもらえる

益々主に聞いて、正しいことを理解し、正しい方向へ行きたい

半分は警戒し、半分は期待していく

 

2:15 しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。

「救われる」ことに関して→女性としても、そう

そしてここでも、教会に関してのたとえの意味合いがある

教会→救われる教会&救われない教会がある

「救い」について→基本的に、人は皆、滅びに向かっている、永遠の命を得られないのが当然

しかし、例外的に贖われて救われる

行く教会によっては救われるし、そうでない教会がある

救われていく条件について、この節(15節)に書かれている→信仰と愛と聖さを保つようにする

そうでないと、滅びてしまう 

Ex:黙示録のバビロンはたしかに教会、しかし災いを受けてしまう

そして、単に自分たちだけが救われるだけでなく、子(霊の子ども:信者)を産むことを考える

(霊の子ども:信者)が生まれるための用意をし、子(霊の子ども:信者)が育つような行いをしていく→救いに直結する

真理を知るべき人たちに働きをしていく

Ex:セミナー、出版、HP、ニュースレター、とりなしの祈り等

これらはすべて救いにつながるので、益になっていく