Ⅰテモテへの手紙6章(1-10節) 2013.12.15
6:1 くびきの下にある奴隷は、自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。それは神の御名と教えとがそしられないためです。
くびきの下:権威の下
このことは、クリスチャンとしてあるべき姿・・・敬意を払うべき人には払って、言われたことは正しく行っていきたい、たとえば会社の上司、一家の家長、牧師、指導者等に対して、そのようにする
クリスチャンであるにもかかわらず、何かとぶつかっていくときに、神の御名と教えがそしられてしまう、クリスチャンの中には人を非難したり、中傷したりと、勘違いしている人がいる、しかし、上の人には敬意を払う
6:2 信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。
場合によっては、そういうケースがある
ご主人や会社の社長がクリスチャンの場合、益々仕えていく
6:3 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、
6:4 その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、
これも大事なこと
聖書やキリストが言った正しい教えと違うことを言う人がいる、あるいは同意しなかったり、反対したりする人がいる
今の時代、このことは非常に大事
今の時代、健全な聖書の教えに同意しない人が多い
参照 Ⅱテモテの手紙4:3
4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいる(KJV):健全な聖書のことば、キリストのことばに自ら反対したり、同意しない人がいる
そういうことを言っている教会やクリスチャンや牧師が沢山いる時代、そのことは、よくよく理解する
この世もそういう流れ、しかしキリスト教会も、みことばに逆らっていることを言ったり書いたりしている
4節に書いているように、そういう人は高慢になっている、そしてプライドが高い
色々と文句を言う人は、自分を高く上げたい人、そういう人は何も分かっていない
「何一つ悟らず」と言われているように、みことばに何かとイチャモンをつける人は、何も悟っていない
聖書の恐るべき預言の成就を分かっていない、もっとも大事なことを分かっていない
ことばの論争をする人に対して、パウロはいくつもの非難を重ねている、そして「病気にかかっている」とまで言っている
そういう病気がある、むろん良い症状ではない
キリスト教書店で、病人が書いた本がある
Ex:カトリック→進化論が正しい、しかし、これは創世記を否定するもの
みことばに色々と疑いをかける人の特徴は、次節に書かれているように、「絶え間のない紛争」がある、色々と論争を仕掛けたりと、まさに病気の状態
結果、ろくでもないことになる
6:5 また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。
敬虔を利得の手段と考えている人
Ex:律法学者、パリサイ人→キリストに「白く塗られた墓」と言われた
あらゆる論争に入っていく→「絶え間のない紛争」に入る→真理に到達しないし、大事な真理から外れていく、ゆえに真理を失った人々だと言える
そして終末にも、訳の分からないことを言う人がいる Ex:艱難前携挙説
しかし、真理に到達しない
でも、聖書のことばをそのまま受け入れるなら、大事な真理を理解する
ただし現実問題、多くの教会や神学校は、油断も隙もない、ゆえに頼りになるのは神のことばのみ、人を見るとずれていく、要するにみことばが私たちの規範
今はみことばの論争が絶え間なく起きている時代
しかし、みことばに論争をかけるのは恐ろしい→全く真理が開かれないという弊害がある
今のキリスト教会全体は、みことばに疑いをかける病気にかかっている、神のことばを否定しているので、当然の結果を受けている、しかし、愚かな人たちの後をついて行ってはいけない
6:6 しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。
6:7 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。
6:8 衣食があれば、それで満足すべきです。
6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。
6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
9節では、お金を追い求めたための弊害について書かれている
そして6節の「満ち足りる心」は、9節とは対照的
「満ち足りる心」とは、自分の持っているもので満足すること
こういう惑わしや欲があるし、実際にこういう類いのものがくる
金を追い求めると、クリスチャン生活が両用しないことがある
金銭をグーッと追い求めていくときに、クリスチャンとしての歩みができなくなる
働くのは大事、でも、どこかで満ち足りる気持ちを伴うことが大事
7節のみことばは、そのことに符号する
金儲けのためにいくら時間を費やしても、それはこの世のことだけで、後の世に反映されないし、残らない
ゆえに8節で言われていることは大事→衣食があれば満足、それで満足すれば、満ち足りる
欲に駆り立てられると、惑わしに入るので気をつける
6節のようになれれば恵み、そしてラッキー
そして敬虔(KJV:神のよう)に歩むことは、「大きな利益」を受ける
利益(英語):取得
しかも、大きな取得
変な欲望に引っ張られずに、敬虔に歩むなら、もっとも大事な大きなもの、すなわち永遠の命を得る
他のものに時間を使うなら、大事なことを掴めない
どこかで線引きして敬虔に歩むことは、もっとも大事な大きなものを得る最短の道だと言える
でも、人の話を聞くと、グラッときてしまう、でも、どこかで心を定める
もっとも徳で、ベストな道だということを、6節では語っている
見えるもので、その都度ぐらぐらしてはダメ
レムナントキリスト教会
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