Ⅰテモテへの手紙6(921) 2013.12.22

 

6:9 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

「金持ち」を求めると、欲に陥る、そのために、人によっては信仰から迷い出てしまった人もいる

金を求めることが罠となり、欲となり、信仰から外れてしまうことが大いにあり得る

ただし、このことは関してはたとえの意味合いもあるのでは?単にお金だけのことだけの話ではないのでは??

Ex:福音書に書かれている金持ちの青年の話

参照 マタイの福音書19:1622

19:16 すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」

19:17 イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」

19:18 彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。

19:19 父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」

19:20 この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」

19:21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

19:22 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。

聖書で言われている「金持ち」の一面に「なんでもかんでもできてしまう」という意味合いがある

この世において、あらゆる方向で自分を伸ばしていくことが、そう

ゆえに自分の能力を伸ばすのも、良かれ悪しかれある

 

6:11 しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。

神の人として歩んでいくとき、この世が求めている方向から避ける

避ける(KJV):逃げる

私たちは、「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」を熱心に求める

金持ちに関しては、この世のことにしか過ぎない、この世に生きている間だけのこと

短い寿命の間にどんなにお金を貯めても、後の世には持って行くことはできない

それよりも、永遠に属することを求める

「正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和」は、永遠の命に直結することなので、これらを求める

この世のことばかりにとらわれるなら、ズレてしまう

つい、目に見えることを求めやすい

永遠の命を求めていく中で、あらゆる妨害があり、広い道がある、お金を必要以上に求めるのもそうだと言える

しかし、主の言われた範囲にとどまっていきたい

 

6:12 信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

クリスチャンがやるべき方向→信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠の命をゲットすること

クリスチャンでも、何もせずに単に待っているだけで、永遠の命をゲットできると思っている人がいる、しかし、そんなことはない、それはNG

永遠の命を得るべきための戦いがあり、あるべき戦いを戦わないと、後の日に得るべき永遠の命を得ない可能性がある

「信仰の戦い」というのがある、そしてあらゆることで戦わなければいけない

たとえば剣の戦いをする、このことは、みことば&教理に関する戦い

変な教理をつかんでしまうときに、永遠の命を失う

剣は遊び道具ではない、命を失う可能性があるもの

何はともあれ、「信仰の戦い」がある

敵との戦いに勝利していかないと、永遠の命を得られない

戦いに敗れたら、命を失う

ちゃんと戦って勝利しないと、永遠の命はゲットできない

その1つに「金持ちになる」という欲がある

「あなたはこのために召され」と書かれているように、テモテは永遠の命を得るべくために神から声を掛けられて召された、これが第一目的

クリスチャンになって永遠の命を得られないと、一番大事な目的をゲットできなかったことになる

このあたりにポイントを起きたい

そして、このあたりから「告白」についてのことが出てくる

 

6:13 私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。

「告白」ということが、クリスチャンの歩みの中で大事な意味を占めている

信仰生活を歩んでいく上で、このことは大事なポイントとなる

私たちが決定的な場面でイエス・キリストを告白するか否かで、永遠の命をゲットするかどうかに関わるポイントは覚えておく

参照 マタイの福音書10:31,32

10:32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

そして主は、どのようにピラトの前で告白したか?

参照 マタイの福音書27:11

27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです。」と言われた。

ごく短い告白、しかし、はっきりとした告白

この告白のゆえに、キリストは肉体の命を失っている、ゆえにこのことは、命をかけていたと言える

このような場面でも告白するか?が問われている

私たちも、告白しづらいところで告白するか?が問われる

聖書はこういう面がある

そういうことが求められている

艱難時代になって、反キリストが擁立した時や死刑とか圧迫された時に告白するか?

そういう時にどうするか?について、どこかで、あるいは前もってシュミレートし、理解しておく

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命を与えるのは、神御自身

 

6:14 私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

キリストの現われの時:再臨

さらにみことばを守っていく

若干残っているマイナスの部分も主によって癒され、直していきたい、そうするなら主に受け入れられる

 

6:15 その現われを、神はご自分の良しとする時に示してくださいます。神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、

6:16 ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。

その現われ:キリストの現われ

 

6:17 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。

お金に富んでいる人は、お金に望みを置かない

能力(生まれつきのもの)にも頼ってはいけない、望みを置かない

自分の力に頼らず、主に頼る

 

6:18 また、人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。

このようにする

 

6:19 また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。

まことのいのち(KJV):永遠の命

未来に備えて(KJV):来たるべき時に備えて→主の再臨に備える

平時のためでなく、かねてから言われている信仰が試される時を想定して今、「基礎」を備えろ!と言っている

「基礎」とは、信仰や祈りや聖書通読のこと、その習慣は今、身に付けなければいけない

「基礎」を築くときに、信仰や奉仕のトラブルに対応できるようになる

問題が有る無しに拘わらず祈っているときに、危急の時の対応が取れるようになる

問題が有る無しに拘わらず祈りの基礎を築いていかなければいけない、積み上げていかなければいけない

「基礎」は問題の無い日に建て上げる

信仰をもって、みことばに従って「基礎」を築くなら幸い

そうしていくときに、その日(試しの日)に色々なものが見えてくる

 

6:20 テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさい。

6:21 これを公然と主張したある人たちは、信仰からはずれてしまいました。恵みが、あなたがたとともにありますように。

レムナントに任された人々のために委ねられたものを守っていくことが、私たちの働きであり、義務

レムナントに関わった人やそれぞれの親族は、主が委ねられた人なのでとりなしていく、大事なことなのでそれを守っていく、そうすると、どこかで祈りが聞かれる

霊知(KJV):サイエンス(科学)

ここでパウロが言っているのは、「科学」のこと

「科学」は間違えたことを言っている、そしてこれがクリスチャンの信仰の問題になる

キリスト教に「科学」が入ってきている

世の「科学」をどういう位置付けにするかで、信仰から外れていく場合がある、そして「科学」とは、別のことばで言えば、「ギリシャの角」

「科学」は、キリストを打ち倒した

多くの人が信仰から間違えた道に入っていくときに、「科学」が用いられる

Ex:ローマ法皇は「進化論は科学的なので、否定できない」と言っている、そしてこのことを公然と主張したために、信仰からズレていったり、訳の分からないことを信じている人が大勢いる

プロテスタントも例外ではない

Ex:等身大という神学校では、科学を用いて聖書の根本を攻撃している

Ex:復活や処女降誕や奇蹟は科学的であり得ないということを神学校で教え、教会でメッセージしている

結構、キリスト教会は、「科学」でやられている

Ex:カウンセリング

このこと(「科学」がキリスト教会に入ってくること)は2000年も前からパウロが預言し、警告していたこと

それにも拘わらず、変な神学を語り、多くの人が信仰から外れている

こういうことを聖書で警告している、しかし、悲しいことにほとんど誰も見ないというのが現実