Ⅱコリント人への手紙9章 2012.6.10
9:1 聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。
奉仕:聖徒たちに仕えること(原文の意味合い)→そのことは大事
主の働きに参加していく
共に手伝うことは非常に大事
9:2 私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。こうして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。
9:3 私が兄弟たちを送ることにしたのは、このばあい、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。
9:4 そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。
9:5 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
献金:原文において、「豊かさ、豊富さ」という意味合いがある、しかし、もちろん、献金のことも言っている
6節は、御言葉の奉仕について語っている、「種を蒔く」とは、御言葉の種蒔きのこと、その面も見ていきたい
9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
豊かさについて
御言葉や教えが与えられたら、惜しまずに与える
参照 箴言11:24-26
11:24 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。
11:25 おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。
11:26 穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。
26節:「穀物」とは、種、麦、すなわち、御言葉に関するたとえ
教えや教理を売り惜しむ者は民に呪われる、しかし、きちんと語るなら、恵みに入る
9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
「神は喜んで与える人を愛してくださいます。」の言葉に語りかけがある
参照 箴言22:8(70人訳)
ちなみに本来、旧約聖書はヘブル語、そして、ペテロやパウロやイエス様が引用しているのは70人訳
この箇所は70人訳では、このように書かれている
悪意をもって蒔く者は災いを刈り取る
「その行いの罰を受ける」神はよろこび自由な人を愛する
しかし人はその行いの愚かさをあらわす
蒔く:御言葉の種を蒔くこと、すなわち、聖書の教えに関すること
クリスチャンの奉仕は2種類に分かれる
① 御心に沿ったメッセージをする働き
② 悪意のメッセージを語る働き
この2種類があり、半年後や一年後に、結果を刈り取る、すなわち、御言葉の奉仕は結果を伴う、そして、場合によっては悪い結果を招く
神の前の御言葉の奉仕は刈り取る
メッセンジャーは実を刈り取る
たとえば、悪いと、ろくでもない信徒が育つ
それこそ、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」という御言葉があるように、両面の効果があることは正しくとらえておく、ゆえに、神の奉仕は怖い!なので、おごそかに行う!!
この言葉は的確に成就する
神の語られていないことを語るとろくでもない結果になる
Ex:艱難前携挙説
9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。
参照 詩篇112:9
112:9 彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠に堅く立つ。その角は栄光のうちに高く上げられる。
パンを蒔くことに力が入っている
貧しい人に惜しみなく与えるのは大事→永遠に至るような報いを得たり、永遠のいのちを得る
そういう人に向けてメッセージをしなさいと言っている
ちなみに、貧しい人とは、自分の力や行いに頼らない人のこと
反対に富める人とは、お金も持っていて、行いも出来る人のこと、どういうこともできる、人間的な能力のある人のこと
でも、残念ながら、自分の義や能力に頼っている人は天の御国に入らない
イエス様も、そのように言われた
参照 マタイ19:23,24
19:23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。
19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
自分の力に頼らないことにポイントがある
私たちが、自分の力に頼っているときには、神様は助けられないから
Ex:かつて、エレミヤ牧師がウォッチマン・ニーという兄弟の本を読んだときに、このような話が書かれていたそうです。
ウォッチマン・ニーがクリスチャンの兄弟たちと海辺のキャンプに行ったときのこと。
そのときに、泳ぎが苦手な兄弟が、海で溺れてしまって、助けを叫び求めていたという。
仲間の中に、水泳の得意な兄弟がいたので、ウォッチマン・ニーは、すかさず、その人に溺れている兄弟を助けるように、話しかけたそうです。
しかし、あにはからんや、その兄弟はすぐに立ち上がらなかったそうです。
しばらくして、溺れていた兄弟がいよいよ力尽きて、静かになったとのこと。
そのときに、水泳の得意な兄弟が立ち上がって、溺れた兄弟を救助しに行ったそうです。
戻ってきた兄弟に、ウォッチマン・ニーは、「なぜ、すぐに助けに行かなかったのか?」と、救助した兄弟に問いかけてみたところ、「もし、溺れている兄弟にバタバタと、もがく力があるときに助けに行ったら、しがみついて、二人とも、溺れてしまうことになる。でも、すべて、力が尽きたときに助けに行くなら二人とも助かる」と答えたそうです。
この話から、エレミヤ牧師は、教訓を得、なおかつ、神様も私たちに対して、同じなのでは?ということを学ばれたそうです。
つまり、自分の力に頼らなくなったときに神からの助けが来る
ゆえに、自分の力に頼るメッセージにポイントは無い
主の力に頼るメッセージに御心がある
9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
一義的には献金のことを言っている、しかし、このことも御言葉のことを指す
参照 イザヤ書55:10
55:10 雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
種を蒔く者に種を与えるのは大切なこと
種が無ければ、種蒔きの奉仕ができない
ただし、そういう奉仕に入ろうとしなければ、このことは関係無い
しかし、奉仕に着くと、実感として分かる→毎回必要な種を与えてくださる
Ex:セミナーで毎回語る言葉が与えられる
種を蒔くのも信仰の歩み→語るべきメッセージを与えてくださる
もし、種を蒔こうとしなければ、そういうメッセージは来ない
しかし、種を蒔こうとし続けていくなら、その種は尽きない
9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。
9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。
9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。
献金に関しても御言葉の豊かさに関しても、惜しみなく、与えていく
9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。
9:15 ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
特に御言葉に関して、与えていくときに、さらに神様が与えてくださる
必要なことを語っていくときに、益々、必要な啓示が与えられる
15節に書いてあるように、与えれば、与えるほど、与えられていく
レムナントキリスト教会
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